ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

最近の朝日は看過できない その1

2008年04月03日 | 偏向マスコミ
「靖国」上映中止―表現の自由が危うい
 これは言論や表現の自由にとって極めて深刻な事態である。
 中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の今月公開を予定していた東京と大阪の五つの映画館が、すべて上映中止を決めた。来月以降の上映を準備しているところも数カ所あるが、今回の動きが足を引っ張ることにもなりかねない。
 右翼団体の街宣車による抗議や嫌がらせの電話など具体的な圧力を受けたことを明らかにしている映画館は一つしかない。残りは「お客様に万が一のことがあってはいけない」などというのが上映をやめた理由だ。
 トラブルに巻き込まれたくないという気持ちはわからないわけではない。しかし、様々な意見がある映画だからこそ、上映してもらいたかった。
 すぐに思い起こすのは、右翼団体からの妨害を恐れて、日教組の集会への会場貸し出しをキャンセルしたプリンスホテルである。
 客や周辺への迷惑を理由に、映画の上映や集会の開催を断るようになれば、言論や表現の自由は狭まり、縮む。結果として、理不尽な妨害や嫌がらせに屈してしまうことになる。
 自由にものが言えない。自由な表現活動ができない。それがどれほど息苦しく不健全な社会かは、ほんの60年余り前まで嫌と言うほど経験している。
 言論や表現の自由は、民主主義社会を支える基盤である。国民だれもが多様な意見や主張を自由に知ることができ、議論できることで、よりよい社会にするための力が生まれる。
 しかし、そうした自由は黙っていても手にできるほど甘くはない。いつの時代にも暴力で自由を侵そうとする勢力がいる。そんな圧迫は一つ一つはねのけていかなければならない。
 言論や表現の自由を守るうえで、警察の役割も大きい。嫌がらせなどは厳しく取り締まるべきだ。
 五つの映画館が上映中止に追い込まれた背景には、国会議員らの動きがある。自民党の稲田朋美衆院議員らが公的な助成金が出ていることに疑問を呈したのをきっかけに、国会議員向けの異例の試写会が開かれた。
 稲田氏は「私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない」との談話を出した。それが本気ならば、上映を広く呼びかけて支えるなど具体的な行動を起こしたらどうか。
 政府や各政党も国会の議論などを通じて、今回の事態にきちんと向き合ってほしい。私たちの社会の根幹にかかわる問題である。
 いま上映を準備している映画館はぜひ踏ん張ってもらいたい。新たに名乗りを上げる映画館にも期待したい。それを社会全体で支えていきたい。



 稲田朋美衆院議員という特定の個人を攻撃する意図がまざまざと伝わってくる社説だ。朝日は安倍氏と主張が近い稲田氏がお嫌いのようだ。もう、いい加減特定の個人を名指しして潰しをかけるような、大新聞社が聞いて呆れるような大人気ないマネは、自社の品位のためにもやめたほうがいいと思うのだが。

 この社説のおかしな点として、まず、何故試写会を要求した稲田氏が、「上映を広く呼びかけて支えるなど具体的な行動を起こ」す必要があるのか。朝日は、まるで稲田氏が右翼らに焚きつけて上映中止を呼びかけたとでも言いたいような物言いである。ならば、そのような証拠を出すのがジャーナリズムのあるべき姿勢であって、その証拠を何も挙げずに(挙げられないだろうが)批判だけは一丁前にしておいて。普通に考えて、ただ試写会を要求したことをもってそこまで稲田氏がする義理は全くないと思うのだが。
 
 いや、朝日がこの件で、そこまで表現の自由に危機を感じたならば、朝日自身が何か「上映を広く呼びかけて支えるなど具体的な行動を起こ」せばいいではないか。自身は特定の個人を攻撃するだけしておいて、あとはインテリぶって「表現の自由の危機だ」とは、随分と都合のいいことを言っているものだ。

 稲田氏らが試写会を要求したのは、文化庁が国税を出して補助をするに足る映画なのか、事前にその目で確かめておこうというものであって、検閲でも、ましてや表現の自由を侵害させるような意図をもってなされたものではない。そもそも、稲田氏らも、この映画が国税の補助を受けていなかったならば、わざわざこのようなアクションを起こさなかっただろう。にもかかわらず、朝日はこのことを全く恣意的に解釈し、勝手に表現の自由の危機だとわめいているに過ぎない。



 次に、「すぐに思い起こすのは、右翼団体からの妨害を恐れて、日教組の集会への会場貸し出しをキャンセルしたプリンスホテルである」、という件をここで持ち出すのは明らかに無理があり、ただの「右翼つながり」で持ってきたという、こじつけの感が否めない。

 そもそもロジック的にも、稲田氏に対しては、まるで稲田氏が上映中止を呼びかけたような主張を展開しておきながら、プリンスホテルの件を持ち出して話を繋げるのであれば、プリンスホテルの件も、国会議員の誰かが集会を中止させるような動きをしていなければ、関係のない話を文中で無理矢理挿入したことにより、話がバラけて論理的にもおかしくなってしまう(実際、そのような動きはなかった)。
 したがって、ここで朝日がプリンスホテルの一件を持ち出したのは、稲田氏に右翼というレッテルを貼り、保守派議員にマイナスイメージを植え付けるためなのだろう。

 今回の稲田氏らのアクションは国家のために存在する国会議員として至極当然であって、何ら批判を受けるようなものではない。文化庁という国家機関がイデオロギー的に偏っていると指摘されている内容の映画を、自ら補助金を出してバックアップするということは、それはすなわち国家の至上命題である「国益の追求」に反するのであって(ましてや、そこに荒唐無稽な反日的な主張があるにもかかわらず補助金を出してしまえば、それはつまり日本という国家がそれを是認したととられかねない)、それに対し国民を代表する国会議員がおかしな税金の使い方を監視するためにも、試写を要求するのは当たり前である。



 最後に。この社説では声高に「言論の自由」の尊重を主張しているが、ならばどうして以前扶桑社の歴史教科書を「教室で使うにはふさわしくない」などと、社説で言ったのだろう。朝日のお気に召すものには表現の自由は担保されて、そうではない存在には表現の自由を享受する資格がないのだろうか。

その2につづく。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。