ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

チャンネル桜の「NHK告訴」について

2009年06月06日 | 偏向マスコミ
NHKを告訴 チャンネル桜

 これでウヨクの方たちは、サヨク市民に向かって「裁判を政治利用するな」と言えなくなりました。お互い様だからです。

 この「告訴」(笑)のきっかけになったのは、おそらくかの「アジアの一等国」の件だろうが、これの内容については私は見ていないし、関心もないから言及しない。



 私は以前にも「偏向番組の是正は当然」と書いたように、内容的に著しく偏っている場合には、それは是正されて然るべきものと考えている。しかし、それはあくまでも是正としての手段が、「国家権力」の力を頼らない場合だ。

 たとえNHKであっても、「表現の自由」は保障されている。もちろん、とは言っても一定の「限度」は存在する。しかしそれはたとえば免許制の公共電波を私物化して使用することはできないようにしたり、善良な性風俗に反しないようにするなど法的な規制は最低限にとどめるべきで、特定の歴史観に依拠した放送をしただけで裁判所という国家権力による介入を許すようでは、とても言論や表現活動の自由が保障された社会とは言えないだろう。

 当然、裁判所としてはこうしたことを承知しているだろうから、訴えを棄却することは間違いないだろう。もしくは却下すら考えられる。まぁアクションを起こし世論を動かすこと自体が目的、つまり政治運動が目的なのであれば、たとえ最高裁まで争って棄却されても意味はあるのだろうが。



 ここでウヨクはこう言うのだろう。放送法には番組の編集にあたり政治的に公平であること、見解が対立するものごとは多角的に放送するよう規定されている、と。

 しかし、この規定には罰則は設けられていない。そしてこの規定は強制力をもったものではなく、あくまでも自主規制的なもので、これに反したからといって直ちに何らかのサンクションが科されるわけではない。それに報道の自由の制限根拠となる「公共の福祉」(憲法13条)に、歴史観を放送しただけの番組が反するとは思えない。



 それに、たとえNHKの番組が歴史認識を著しく誤っているものであっても、言論には同じ言論によって対応すべきで、司法の力を借りてNHKの歴史認識を是正させるのは、これは非常に危険なことである。

 表現の自由はあらゆる自由に関係してくるものであり、我々が生活を送る上でも欠かせない自由である。私がこうやってネット上で自由に意見を述べられるのも、表現の自由が保障されているからである。

 たとえば、私は皇室と天皇陛下に敬意を持っており、日本にとってまさに掛け替えのない存在だと思っているが、天皇制に対して敵意を持っていたり、否定的な勢力を、国家権力によって封殺しようとは思わない。それはなぜか。

 答えは簡単だ。私が逆の立場なら私の自由が侵害されるからだ。規制をしたり国家権力に頼る場合、それら権力が自分の側にあるのなら都合はいい(「権力の追い風に乗っている状態」とでも表現しようか)。しかしその権力がもし自分の側に向いたらどうなるか。そうなれば、偏向した言論は規制すべきという今までの自分の主張によって自分の首を絞めることになる。

 権力に頼る規制とは、常に自分もその餌食になりかねないという意味で、諸刃の刃で極めて危ういものなのだ。だからこそ憲法によって国家権力に縛りをかけるのだ。国家権力を縛ることを主たる目的にするのが「法の支配」なのである(ハイエク)。

 しかし、彼らウヨクにはこの大切を理解いている者がいない(もちろん、サヨクにもいない)。特定の歴史認識に立って番組を制作しただけで裁判にかけられる(裁判にかけるのは国家ではなく国民だが。)ようでは、ある一定の勢力(声のデカイ連中)にとって都合のいい歴史観しかNHKの電波に流れないことになる。これではバウ・ネットのときと同じだ。



 思うに私としては、放送法の上記規定はあくまでも自主規制なのであるから、イデオロギー的に大いに左に偏って、自虐史観的な放送をしても全く構わないと思う。

 そのかわり、そこでバランスを取るために保守派もしくはウヨクの主張も堂々と電波に流れるようにしたらいい。日本は侵略国家でない、核武装せよ、こういった主張も同じように放送する。

 左の力が強すぎるのは現行憲法も影響しているが、それ以上に右の力が弱いからだ。両者の発言力がフェアでなければ健全な自由は担保されないと思う。その意味ではチャンネル桜の意味は非常に大きい。

 しかし、言論活動の自由を行使したまでのNHKに対し、国家権力によってその放送活動に介入しようとするのは、これ本来の保守の行うべきことではない。少なくとも、「保守」を自称するチャンネル桜の取るべき手段ではない。

 本来の「保守」のあるべき姿勢というのは、自由の大切さを説き、国家に対して常に懐疑の目を向けることだ。これは一見してリベラルそのもののように見えるが、保守は「国」の伝統と文化を守り、住まう「国」を自分たちの代だけのものとせず、それは先人たち、そして未来の子孫たちに受け継ぐものと見る点で全く異なる。



 果たして「告訴」(笑)までする必要は一体どこにあるのか。最近の保守を自称するウヨクは、中川昭一の朦朧記者会見を庇ったり、今回のように告訴に踏み切るなど、ついていけないと思うときが多々あるのが心配だ。

 ともあれ、やはりウヨクとサヨクの発想は同根だと改めて実感しましたよ(嘲)

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4 コメント

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Unknown (おとろし)
2009-06-11 06:26:23
穏健派保守の人が迷惑するでしょうね
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おとろしさん (管理人)
2009-06-11 18:59:29
全くです。
これではやっていることがサヨクの裏返しです。
サヨクが世間からようやく白い目で見られてきたというのに、その彼らと同じやり方で行こうものなら、結果も同じだということを理解して欲しいですね。
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Unknown (えまのん)
2009-07-02 14:55:00
こんにちは。

NHKに対して、訂正要求や謝罪要求を行ったが、ナシのツブテだったので、訴訟に踏み切った…という辺りかと。

今回の集団訴訟については、名古屋高裁で出た自衛隊海外派兵差し止め請求と同じように、「原告不適格」で訴訟却下になりそうな気もしないではないです。
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えまのんさん (管理人)
2009-07-02 21:59:11
コメントありがとうございます。

>NHKに対して、訂正要求や謝罪要求を行ったが、ナシのツブテだったので、訴訟に踏み切った…という辺りかと。

そうですね。私もそう思います。なので、私はNHKへの抗議までは支持したいです。しかし、訴訟というのはあまりにも無謀としか思えませんね。

そして私も今回の訴訟は却下、良くても請求棄却で終わるものだと思っています。これはバウネットのときと同じ理由によります。とは言うものの、彼らの目的がイデオロギー的なメッセージを送ることであれば、どちらにせよ目的は達成できたと言えるでしょうが・・・。
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