愛犬くんとのゆったりライフ

温厚な愛犬くんとの日常を気ままに綴ります。
郷土の武将・武石胤盛さんに関するレポートもございます。

「羽衣伝承の池」についての記事を発見!

2009年12月08日 | 千葉氏について(郷土史)

朝日新聞の千葉版に「羽衣伝承」についての記事が載っていましたので、ご紹介します!

朝日新聞 2009年12月8日朝刊 千葉版

記事の概略です。

  • 菅原孝標女さんの『更科日記』の記述から、千葉市中心街に大きな池があったと推測される。
  • 池は、千葉氏に伝わる『羽衣伝承』に出てくる「池田の池」ではないか?(かなり大きな池だったそうです。千葉氏が埋め立てをして、水田にしたそうです)
  • 地質調査によって、池田の池があったのは、県庁から知事公舎の一帯ではないか?ということが分かったきた。
  • 地質調査の過程で、当時の千葉市中心街では「オーロラ」が見える条件が整っていたことが分かってきた。

つまり、オーロラと羽衣伝承に何らかの関係があるのではないか?ということです。

シンポジウムも開かれるそうです。

日時:2009年12月12日(日)

   10時~16時

場所:千葉県立中央博物館

内容:「更級日記」と池田の池 ー菅原孝標女は見たか!千葉の天女をー


<池田の池について>『下総国千葉郷妙見寺大縁起絵巻』に描かれていること

千葉氏が信仰した妙見様の御神体が隠されてしまった際、妙見菩薩が僧の夢に現れて「池田の田の中に隠された」とお告げをされた。

僧たちが池田に行ってみると、田の中に光るご神体を発見した。

※僧と一緒に「武士」が描かれているのですが、その武士は千葉常胤公の父・常重公ではないか?とのことです。

※ブログの筆者・飼い主が本で読んだ範囲ですと、「池田に当たる地域がどこかは特定されていない」ということでした。


<ブログの筆者・飼い主の感想>

『更科日記』の冒頭の時期…寛仁四年(1020年)

武石胤盛さんの生年…久安二年(1146年)

時代は126年下りますが、千葉市中心街から北に10キロほどの武石郷でも、オーロラは見えたのでしょうか?

武石胤盛さんにまつわる「羽衣伝承」にも、オーロラが関係しているのでしょうか?(胤盛さんの菩提寺である真蔵院の敷地内に「羽衣神社」「羽衣の池」があります)

とても興味深いです。


高校時代、古典の授業で『更科日記』の冒頭の「東路の道の果てよりも なほ奥つ方に生ひ出でたる人~」の部分を学んでいた際に、担当の先生から「これは、あなたたちのことですよ!」と言われたのを、今でも覚えております

※菅原孝標女さんは、お父上が赴任していた上総国府周辺で育ったそうです。

※担当の先生は生まれも育ちも都内で、都内から通勤している方でした。

「先生だって『東路の道の果て』の生まれじゃん」とクラスメイトが言うと、「あなたたちは『なほ奥つ方』なのよ~」と仰っていました

ちょっと悲しいような、逆に誇らしいような?複雑な気持ちになりました~

↑地図の上でくつろぐ愛犬くんです!

【飼い主が読んだ新聞記事

朝日新聞 2009.12.8 朝刊 千葉版

【飼い主が勉強した本

◎千葉日報社 「千葉氏探訪 ~房総を駆け抜けた武士(もののふ)たち~」

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