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愛犬くんとのゆったりライフ

温厚な愛犬くんとの日常を気ままに綴ります。
郷土の武将・武石胤盛さんに関するレポートもございます。

千葉空襲の体験談を読みました

2013年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

朝日新聞朝刊・投書欄に、千葉空襲の体験談が掲載されていました。

投書の要旨は以下のとおりです。

千葉県に住む87歳の女性の投書です。

≪要旨≫平成25年7月16日 朝日新聞の投書欄より

昭和20年7月6日夜~7日未明まで行われた千葉空襲の体験談です。


投稿した女性(仮にAさん)は当時、女学生だったそうです。

Aさんは空襲の煙の中を逃げている途中で、家族とはぐれてしまいました。

夜が明けてから、焼け落ちた町を歩いて自宅まで行ってみたところ、家族の姿はありませんでした。

あてもなく歩いていると、焼け残った一角に住んでいる女学校の同期生から声をかけられました(この同期生を、仮にBさんとします)

AさんとBさんは親しい間柄ではなかったのですが、BさんはAさんの状況を尋ね、Aさんも問われるままに話します。

すると、家の中からBさんのおばあさまが出てきて、家にあがるように熱心に勧めてくれたそうです。

Aさんは気が進まなかったものの、熱心に誘われたので、家に上がらせてもらいました。

すると、今度はおにぎりを沢山出してくれて、食べるように熱心に勧められたそうです。

そして、「ご家族に会えなかったら、ここにまた戻ってくるように」と、噛んで含めるように繰り返してくれたそうです。

Aさんは、その時は家族のことが気になって上の空だったのですが、後になって、「Bさんとおばあさまは、私が一人きりになったときのことを心配してくれたんだ」と、思い及びます。

「同期生で顔見知りというだけなのに、あんなに心配してくれた」と、Aさんは今でも感謝の思いに満たされるそうです。


その後、Aさんは無事に家族と再会して、田舎に戻られたそうです。

後になってBさんの家にお礼に行った際は、留守で会うことが出来ず、その後の消息はわからないとのこと。

Aさんは、「Bさん、どこかでお元気にお幸せにと祈っています」と結んでいます。

 

焼け野原になってしまった千葉の町。

犠牲になった方、被害に遭われた方を思うと苦しいです。

同年6月の空襲では、母校の前身・千葉高女の施設も被害に遭いました。

当時の校長先生(元千葉県知事の沼田武氏のお父様)も殉職されたそうです。

千葉空襲についても、学んでいきたいと思います。

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市川市動物園!

2013年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム

久しぶりに更新いたします

6月27日に、今話題の市川市動物園に行ってまいりました

お目当ては勿論、『流しカワウソ』です


↓この日は6月とはいえ暑く、気温は30℃超えだったと思います。

雨続きの後の突然の暑さに、園内の動物たちもバテ気味でした

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↓こちらが『流しカワウソ』の舞台なのですが…

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↓カワウソさんたち、流れてくれません

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↓何度も呼びかけてみたのですが、暑さで、泳ぐ方が楽しいようでした

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↓ターンしたり、水中でタックルし合ったり、元気なカワウソくんたち

Img_0108

訪ねた時間がお昼時だったので、『流しカワウソ』の気分ではなかったのかも。

また見に行きたいと思います

他の動物さんたちも、かなり可愛らしかったです

↓レッサーパンダさん。木の上で涼んでいます。

Img_0069

↓次に見た時には、お顔が見えました

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↓別のレッサーパンダさんも、お昼寝中~

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↓ハクビシンさんも、ちょっとバテ気味

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↓小屋に入って、ゴロンとしています

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↓タヌキさんは、ずーっと小屋でお昼寝~

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他の動物さんたちは、また後日アップします

今回初めて市川市動物園に行きました

規模は大きくはありませんが、動物たちが近いです

カピバラさんや、ヤマアラシさん、牛さん、馬さん、サルさんたちも沢山います

楽しい時間を過ごしました~

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NHK歴史秘話ヒストリア『本能寺の変 明智光秀と家族の運命』楽しみです!

2013年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

物凄く久しぶりの更新になってしまいました

愛犬くん共々、のんびりマイペースに日々を過ごしております

さて、本日のNHK歴史秘話ヒストリアのテーマは『本能寺の変 明智光秀と家族の運命』です

Dscn7079

母方の祖母の家系が、岐阜県各務原市に加え愛知県江南市と判明して、美濃&尾張への愛着が湧き上がっている飼い主です

さて、織田信長に対する私のイメージは「怖ろしい」です。

岐阜県各務原市には、織田信長に関する史跡などがあって、本来なら親近感を覚える筈です。

しかし!昔から一貫して怖いのです


↓お転婆な姪っ子と、愛犬くん。仲良しです

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さてさて…

歴史秘話ヒストリア『本能寺の変 明智光秀と家族の運命』

非常に興味深いです。

明智光秀の家族や親戚たちは、どのような運命を辿ったのでしょうか…。

(個人的には『光秀は、黒衣の宰相・天海になった』という説を信じたい飼い主です


その昔、三浦綾子さんの『細川ガラシャ夫人』を読んで以来、光秀の娘・ガラシャさんに関心があります。

ガラシャさんは本能寺の変の直後に、夫の細川忠興によって山里に幽閉され、蟄居していたと言われています。

豊臣秀吉に赦され、再び忠興の正室として戻ってきた後、どのような心境で日々を過ごしていたのか…。

キリシタンというところも、非常に興味があります。


『隠れキリシタン』にも、引きつけられます。

(飼い主自身は、千葉神社や芝山仁王尊にお参りしているのですが…)

その昔、夏休みの読書感想文の課題図書で、天正遣欧少年使節団の話(題名は失念しました)を読みました。

衝撃を受けました。とても悲しい結末だったように思います。

その後、遠藤周作さんの『沈黙』も読みました。


キリシタン弾圧によって、千葉一族出身の原主水さんも殉教したそうです。

駿府城跡地の近くの教会に像があるということで、いつか訪ねたいと思っています。


…長くなってしまいました。

本日の歴史秘話ヒストリアの放送が楽しみです

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己がつとめに励みつつ…

2013年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

本日、母校の大先輩である作家の北原亞以子さんがお亡くなりになりました。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

 

下記の記事は、以前(平成21年)に投稿したものです。

ブログ全体を大幅に編集した際、誤って非公開にしてしまいました

今回、母校の大先輩の訃報をお聞きしたこと、そして先日墓参をした岐阜の曾祖母に、母校に合格した時に喜んでもらったことを思い出したこともあり、再投稿することにしました。

数年前のもので文章が幼い感じですが、お許しください

 

<己がつとめに励みつつ…>

H21年11月13日

飼い主の母校は、高等女学校を前身とする、伝統ある、ちょっと古めかしい?クラシカルな校風の女子高でした

出身校は県立千葉女子高校です

 

元来、楚々とした雰囲気ではない飼い主が、なぜ女子校へ?

…と、友人たちは首をひねっておりましたが、それには抗いがたい理由がっ! 

実は、お袋様の母校だったので御座います

それだけでは御座いません。

お袋様の三人の妹たち(叔母上たち)も皆、母校の先輩なのです

また、一歳年上の従姉(ほぼ同じ成績)が、前年に市立稲毛高校に進学しました。

これでは、飼い主に選択の余地は御座いません。

無言の圧力&期待を感じ取った飼い主は、素直に要望に従ったのでした~

 

…思わず大仰な表現になってしまいました

母校は、飼い主が在学していた約20年前に『90周年』を迎えた伝統校だけに、校歌も相当に時代を感じさせるものでした。

ただ、歴史好きな…というか、古いものを好む?飼い主は、この校歌が好きでした。

今でも座右の銘と言いますか、生きる指針と言いますか、大切に心に抱いております(また大げさに

お袋様も時々、ご飯を作りながら歌っております

二番の歌詞が特に好きです。ご紹介しましょう

 

袖が浦曲(うらわ)を漕ぐ船の

驕らず(おごらず)倦まず(うまず)怠らず(おこたらず)

己がつとめに励みつつ

御国(みくに)の民と世に立たむ

(作詞・高野 辰之 氏)

※「御国の民と~」の部分は、現代では、地域貢献とか社会貢献と捉えるのかな~と思います。 

 

この歌詞は、本当に戒めになります。

『おごらず、うまず、怠らず』のうち、『おごらず』は気弱な飼い主には、あまり当てはまりません。

しかし、『うまず、怠らず』は本当にマズイです

資格試験の勉強をしていても、すぐに飽きて眠ってしまう飼い主

早く試験に合格して、その資格で働いて、少しでも世のためになりたいです

おっ!

今も仕事をしていますし、善良な?一市民として、のんびりと穏やかに暮らしているので、まぁ良しとしましょう~ 

↓この週末は、愛犬くんとお昼寝三昧の予定で~す

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<追記>H25.3.14

時には怠けたり、ひと休みしながらも、その後、何とか試験に合格出来ました

今後も、時には校歌を思い出して、一市民として少しでも社会貢献したいです

 

<追記>R6.4.20

母校に進学した理由や学校生活について、追記します。

内容的にどうかな?と思わなくもありませんが、どなたかのご参考になれば…と思います。

 

中学生の時に運動部に所属していて、そのスポーツが大好きでした。

将来は中学校の先生になって、その部活の顧問になろうと考えていました(懐かしい…)

人気のあるスポーツではないので、先生方や親父殿から勧められた他の学校には部が存在せず、あったとしても、遠くから見学してみると熱心ではなさそうでした。

中学三年生の冬休みに、お袋様と母校の見学に行った際に練習を覗いてみると、先輩達の動きが良くて活気があって雰囲気も良さそうだったので、志望校に決めました(入部してから知ったのですが、激戦の地区予選を突破して毎年、県大会に出場していました)

在学中は部活ばかりして勉強が疎かになっていましたが、数少ない?運動部員ということで、大目に見てもらった気がします

選手として出場した二年生・三年生の五月の地区予選でも、県大会への切符を手にしました!二年生の時には一勝して、県大会ベスト16入りしました(人数がギリギリなので、これが我々のベストでした

極端な文系だった上に、二年生の頃は部活で疲れて家でも授業中も眠ってばかりいたので、苦手な数学の試験は本当に苦労しました。

同じく数学が苦手な仲間たち?と、何度も追試を受けさせてもらって、無事に三年生に進級しました

追試が決まる度に、数学の得意な友達に丁寧に教えてもらったのも、今では良い思い出です

三年生の六月に部活を引退してからは、真面目に受験勉強モードに入ったので(本当か?)追試を受けることはなくなりました!

時代が平成初期ということもあり、長閑な高校生活でした

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墓参で岐阜に行って来ました!

2013年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、念願だった曾祖母の墓参で岐阜に行ってまいりました!

時間的な事情により、今回は日帰り旅行でした~

久しぶりの新幹線

久しぶりのレンタカー

久しぶりの岐阜

岐阜羽島駅から、曾祖母の墓参のため各務原市に向かいました。

曾祖母が亡くなってから十数年を経て、やっとお墓参りできました!

※当日は曇りと小雨という天気模様で、画像が少し暗いです。

↑お墓側から見た景色です。

お墓は、同じ地域の方たちと相談して、コンパクトに整備したそうです。

飼い主が子どもの頃にお参りした時は、木々に囲まれて、蛇の抜け殻まであるような自然に溢れた場所でした。

 

次に、曾祖母の生家のある地域(前渡地区)に行ってみました。

木曽川が近くに流れ、田園地帯が広がっていました。

↑耕作前のようです。

ナズナの花が一面に咲いていました。

 

曾祖母の面影を感じつつ、木曽川を渡って、愛知県江南市へ!

愛知県江南市は、曾祖母の母と、曾祖母の祖母の実家があったところです。

↑江南市役所です。

画像が曲がってしまいました

先日は、古い時代の除籍謄本を送っていただき、ありがとうございました!

↑こちらの画像は曲がっていません。大丈夫です

市民会館では、グルメ・イベントが開催されていました。

 

江南市の郷土資料館に行き、当地の歴史を少し勉強しました。

曾祖母の母と、曾祖母の祖母が存命だった頃は、養蚕と製糸業で栄えていたそうです。

岐阜県各務原市の曾祖母の実家が機屋(農業と兼業)だったことを考えると、商い上のお付き合いが婚姻の縁だったのかも知れません。

↑再び木曽川を渡って、岐阜県各務原市へ!

写真は助手席の母上が撮影しました。

(焦点が合っていなくてスミマセン!)

小雨が降り出しました。

 

子どもの頃、祖母の実家(各務原市那加地区。曾祖母の婚家先)の周辺で、虫捕りや魚釣りをして遊んでいました。

子どもの足ですので、各務原市内の他の地域については、あまり知りませんでした。

今回、短時間ですが、市民公園周辺の散策も出来て良かったです!

↑市民公園は、岐阜大学農学部の跡地だそうです。

 

次に訪問する際は、鵜沼地区まで回ってみたいと思います。

泊りがけで「鵜沼宿」「加納宿」にも行ってみたいです。

(曾祖母は加納の女学校に通っていたそうです)

また、子どもの頃に行った愛知県犬山市の「犬山城」にも行ってみたいです。

愛犬くんの故郷・愛知県一宮市にも行ってみたいです。

(一宮市のブリーダーさんのところで生まれました)

陽のあるうちに予定通りに岐阜羽島駅に到着!

駅のホームから、名鉄の新羽島駅の看板が見えました。

駆け足で駆け抜けた墓参旅行でしたが、心休まる旅でした~

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