朝日新聞朝刊・投書欄に、千葉空襲の体験談が掲載されていました。
投書の要旨は以下のとおりです。
千葉県に住む87歳の女性の投書です。
≪要旨≫平成25年7月16日 朝日新聞の投書欄より
昭和20年7月6日夜~7日未明まで行われた千葉空襲の体験談です。
投稿した女性(仮にAさん)は当時、女学生だったそうです。
Aさんは空襲の煙の中を逃げている途中で、家族とはぐれてしまいました。
夜が明けてから、焼け落ちた町を歩いて自宅まで行ってみたところ、家族の姿はありませんでした。
あてもなく歩いていると、焼け残った一角に住んでいる女学校の同期生から声をかけられました(この同期生を、仮にBさんとします)
AさんとBさんは親しい間柄ではなかったのですが、BさんはAさんの状況を尋ね、Aさんも問われるままに話します。
すると、家の中からBさんのおばあさまが出てきて、家にあがるように熱心に勧めてくれたそうです。
Aさんは気が進まなかったものの、熱心に誘われたので、家に上がらせてもらいました。
すると、今度はおにぎりを沢山出してくれて、食べるように熱心に勧められたそうです。
そして、「ご家族に会えなかったら、ここにまた戻ってくるように」と、噛んで含めるように繰り返してくれたそうです。
Aさんは、その時は家族のことが気になって上の空だったのですが、後になって、「Bさんとおばあさまは、私が一人きりになったときのことを心配してくれたんだ」と、思い及びます。
「同期生で顔見知りというだけなのに、あんなに心配してくれた」と、Aさんは今でも感謝の思いに満たされるそうです。
その後、Aさんは無事に家族と再会して、田舎に戻られたそうです。
後になってBさんの家にお礼に行った際は、留守で会うことが出来ず、その後の消息はわからないとのこと。
Aさんは、「Bさん、どこかでお元気にお幸せにと祈っています」と結んでいます。
焼け野原になってしまった千葉の町。
犠牲になった方、被害に遭われた方を思うと苦しいです。
同年6月の空襲では、母校の前身・千葉高女の施設も被害に遭いました。
当時の校長先生(元千葉県知事の沼田武氏のお父様)も殉職されたそうです。
千葉空襲についても、学んでいきたいと思います。