地元川口は鋳物の街、地場産業は昔から工業の町、鋳物とは木型を作り、鋳型に埋め込み
上型、下型から木型を抜き、そこに湯道と湯口を作り、溶けた鋳鉄を流して、鋳物を
作る、鋳物を砂落としをして、仕上げて製品にする。 簡単な説明です。
1964年東京オリンピックの旧国立競技場に置かれた聖火台は、東北大震災の復興に
被災地を回り、最終的に故郷の川口に戻ってきたのが去年でした。
今日の最後の式典は3月に聖火台が新国立競技場に、戻されるために、聖火台を丁寧に磨き上げ、最後の
川口での点灯でした。1962年に川口の鋳物治(いもじ)と呼ばれ名工、鈴木氏の親子が
作り上げた聖火台は試行錯誤の連続でした。 試作品は何度も失敗して、出来上がったのが
オリンピックが目の前の時でした。 そして制作から数日で親方が息を引き取りました。
渾身の作品と今も川口では伝えられてます。 高さ2.1m 重量2.6トン、春に戻る
と言われ、安行桜も祝いの満開、そして1週間前に、聖火台近くの川口湯汲職人の像の横の
五葉松の剪定を行いました。
オリンピックの開催は先行き不透明ですが
聖火台は東北に回り多くの被災地の皆様方が
見られ、復興の力を頂いたと言われてます。
我が町川口から作り上げられた聖火台が
新国立競技場、近くに点灯されることを
期待してます。
新聞の埼玉版に過去に大きく載せられてました。
点火されてるのをまじかに見せてもらいました。
経緯も鋳物の街、川口で作成された、素晴らしい聖火台
磨かれ新品です。 安行桜や剪定作業、盛り沢山、
のブログ、楽しませてもらいました。 mikioさん
更に聖火台が作られたのも知ってます。
3月にいよいよ元の場所に戻されることは知りませんでした。安行桜に送られて、再出発、聖火台
故郷や、震災地に回り多くの人が、元気をもらい、
とても素晴らしい旅をした聖火台、いよいよ本番ですが
確かに今は先行き不透明、終息をして、迎えられることを祈るばかりです。 東京大空襲~東北大震災~聖火台、mikioさんのブログの流れ、スタッフ全員で、かつyasu社長も.。 拝見してきました。
まさに真骨頂、これからも楽しみにしてます。応援いたします。
本日、上野地区から谷中に回り、寄り道をして安行に帰宅です。 毎年この時期に時間が有るときに谷中を訪問です。 お寺が好きな自分はそぞろ歩きをいたします。
今、樹木たちが咲き始め、終わる光景が沢山見られます。 寺の境内の姿が好きです。 聖火台、なかなか見られないので載せて見ました。 何十年たちますが鋳物の姿は変わりません。有難うございます。
流れそのものです。 オリンピックは私はぜひ勧めてほしいと願うばかりです。 応援有難うございます。
皆様方。