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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

類縁

2006年03月22日 | 至福の花
恋人・愛人・ベターハーフ・妻・女房・かみさん・家内・奥さん・うちの嫁…男の人が自分のステディな関係にある女性(婚姻も含む)を呼ぶ時に使われる呼び名の数々です。私の友人は、「夫が…」という言い方をしますが、仕事関係の仲間の多くは、「旦那が…」というふうに読んでいる人が多いです。私は以前から、旦那という呼び方が苦手でした。馴れ合いのちょっと崩れた関係をイメージしてしまうからです。私だったら、私の友人同様、夫という呼び方をすると思います。ただ、私にはよく分からないことですが、一度結婚すると、その相手を、確かに間違いなく、私の伴侶なのだと絶対的な確信を持ってしまえるものなのでしょうか?

NHKの朝ドラ「風のハルカ」のハルカの好きな猿丸さんという青年が、ハルカの父親にこんなふうに言っています。「僕はハルカのことを愛しています。でも手に入れたいとは思っていません。人の気持ちはどうすることも出来ないものだし、好きになりすぎると、思わぬところで相手を傷つけてしまうこともあります。時々支えたり話しをしたりして、遠くから眺めているだけでいいんです。愛してもらいたいとも思いません。僕ももういい歳です。一人でひっそり生きていこうと思っています。」ハルカを好きなのだけれど、決して受け入れようとはしない猿丸さんを見ていて、思わせぶりな態度は相手を傷つけてしまうものだということを思い切って遠まわしに伝えるハルカの父に向かって、猿丸さんはこのように胸のうちを語ります。

でもこれで終わるとは思えません。あと1週間ちょっとで「風のハルカ」も終結を迎えます。朝ドラは続けて観る時と、全然興味がなくてまったく観ない時とがありますが、今回は観続けました。いつも自分の気持ちに正直に生きてきたハルカが果たして、この猿丸さんに対して終盤に向けてどのようにぶつかっていくのか、とても楽しみです。

急に、話しが飛んでしまって、まったく関係のない話題に触れているようですが、実は、私の頭の中では、無理なく、こうした連想が浮かんできたのです。猿丸さんのような人もいる。そして、猿丸さんとハルカのような関係もある。全然、拘束しあっていないのに、とても仲が良く、風のような二人。

友人とか友だちという言い方は、何か、素っ気無くて、距離があってあまり好きではありません。程よく距離をおきたい相手や友人と呼ぶことで、その関係がぴったりの相手になら、その言葉は心地よく使うことが出来ます。女性の友人の場合は、まさに友人や友だちという言い方が一番好きかも知れません。けれど、相手が男性で、しかも私がかなり気に入っている人の場合には、友人とか友だちとかは呼ばれたくないし、そのような紹介もされたくありません。じゃあなんて呼ばれたら、気が滅入らないのか?いい言葉がずっと見つけられなかったのですが、最近‘類友’ならいいかなぁってちょっと思っています。

恋人とか愛人というと、いかにも、その人にとって一番大事な存在というような印象を与えますが、恋人や愛人という関係には、常に別れの予感が付きまといます。恋人や愛人はいつでも、実は交換可能な存在でもあるという落とし穴があります。だから、恋人とか愛人といっても、「その時はそうである」とか「あの時はそうだった」にしか過ぎない関係であることが多いのです。かつての恋人とか、今の恋人という言い方がその関係の儚さを端的に現しています。消費されてしまう関係という側面を持っています。もちろん、それはそれでいいし、それなりの役割もあるわけなのですが、誰かの恋人にも愛人にもなったことのない私としては、それってなんなんだろう…って思ってしまいます。その時の欲動がたまたまその相手に向かっていたというだけに過ぎない現象のことを指しているというような見方はあまりにも歪んだものでしょうか?

類友(類は友を呼ぶという言葉に象徴される同類の仲間の略語)は軽いけれど深い意味を含んだ言葉のように感じられます。地縁・血縁などという言葉同様、類縁という言葉も強い絆で結ばれた関係のことを指すような気がしています。

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