
歯髄が細菌感染を起こすと、膿が溜まって、温熱刺激に反応するようになり、歯の内部の内圧が高まっていきます。歯に自然治癒力はありませんので、放って置いて歯の故障が治るということはありません。専門家による治療が絶対に必要になります。部分的な治療で軽快することがほとんどであるとは思いますが、抜歯が必要な局面をむかえることもあるでしょう。自分の歯が一番ですから、良心的な歯医者さんは保存両方を心がけてくれるでしょうが、それでもやむを得ずに抜歯でしか治療の方法が残されていないこともあるとは思います。抜歯してしまうと、これまでの痛みや苦痛が何だったんだ!と思えるほど、途端に楽になってしまうそうです。科学を勉強している多くの人はもう気づいていることでしょうが、心の仕組みと身体の仕組みは同じ次元で起こっていることです。分子レベルで起こっていることが心でも起こっているのです。さぁ!また心と身体の問題が登場してきました。心身一如ということです。話はころっと変わるよう恐縮ですが、一般的には「受動的」であるよりは「能動的」であるほうが積極性も高く価値があるように思われていますが、歯科学の分野では「受動的」であることには非常に高い付加価値があるようです。水というものは必ず高いところから低いところへと流れていきます。これが、低いところから高いところへ流れようと思ったら、(あり得ないことですが)大変なことになります。ものすごい抵抗を受けるにも拘らず、試みは必ずや失敗に終わることになるわけです。脂溶性の薬物は難なく「受動的に」細胞に流れていけるのだそうです。ところが「能動的」と言われている薬物は抵抗を受けてしまうのだそうです。素人の聞きかじりなので、細かいことの説明は間違っているかもしれませんが、大まかにはこんな事情があることを知りました。で、何が言いたいかというと、排膿路を知っている人間は強いということです。膿が溜まるまで溜まる状況にいくら耐えて苦しんでも(第一、膿なんて身体の内部に一時たりとも溜めておく必要のないものですから)、膿は穴を開けて、排除しない限り、膿自らは内部に溜まり続けるだけなので、水の流れが上へではなく下に流れるという真理をも踏まえると、そして「受動的」であることの力強さにも目を向けてみると、排膿路(膿を排出する道筋)を自ら、あるいは時には、人の力を借りてでも、見つけ出せる人間であるほうがいいのかもしれないという…話がしたかったわけなのです。ちなみに、精神分析の発達論の分野でも「受動的」であることは「能動的」であることの次の段階に訪れる、より高次の概念のようです。色々なことって、面白いことに、結構、根底では繋がっているんですよね!