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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

偶像

2006年02月28日 | 日々の泡
それが歴史上の人物であれ、海や山などの自然界のものであれ(例えば、ふるさとの桜島などというように…)、芸能界の超人気者であれ、私たちは心に偶像や何らかの象徴を持つことによって、そのモデルに憧れたり、人であればその人物のありようを手本にしたりすることによって、この人生に目標や張り合いを持てたりするものです。それが人からはどんなにミーハー的行為に見えようと、その行為が、その人の存在を根底から支えるものであるならば、誰もそのことを馬鹿にしたり侮ったりは出来ないものです。3月26日の日曜日の夜の『NHKスペシャル』で「永ちゃん 俺たちはもう一度走れるだろうか」という特集を放映していました。56歳にして生粋のロックンローラー、今もバリバリの現役として活躍する矢沢栄吉氏の、40代を中心とするファン達の人生模様を作家の重松清氏が追跡しながら紹介するという内容のものでした。突然のリストラによる落ち込みから(矢沢ファンの励ましのおかげで)再就職を果たした人、事業の失敗から2年間ひきこもりながらも屋台一つで仕事を再開した人、交通事故による精神的ショックから立ち直りつつある人、仕事のストレスから休職に追いやられても、矢沢氏の音楽に衝撃を受けて元気を取り戻し再起できた人など(この人は唯一20代後半の女性で、趣味の作詞が彼のCDに採用されるという幸運に恵まれました。)枚挙に暇がないほど、彼の生き様や音楽に多大な影響を受けて、挫折を乗り越え、地を這うようにして逞しく生き続ける、彼のコアなファンが紹介されていました。自殺者が年間3万人を超える日本。人々の生活は押しなべて中流以上と言われながらも、映像の中に映る矢沢氏のファンの人たちの生活は経済的にも精神的にも、私には崖っぷちのものに見えました。

日本では、ニート問題が大きく取り上げられていますが、アメリカでは、家にひきこもることが許されていない層が総じてホームレスとなり、貧困や犯罪を深刻化させている分、問題はもっと悲惨だとされています。

話題はコロコロ変わりますが、政府の年金改革で支給対象が、これまでの60歳から65歳まで段階的に引き上げられるのに呼応して「高年齢者雇用安定法」が施行されます。今年は取り敢えず、62歳までの定年延長が企業雇い主に義務付けられるそうですが、退職年齢が62歳まで延長されるというニュースの裏には、再雇用にも評価主義の厚い壁が立ちはだかっていて、そこでもはじかれる人々が出現してくるし、時給も何と875円程度で抑えられてしまうという深刻な問題が含まれているのです。若者にも働く場がない。SE(システムエンジニア)と呼ばれる職種の人の多くも20代後半から30代に差し掛かる頃には、能力の限界が自ずと見えてきてしまうそうですから、その時点で、持てる力が頭打ちとなり、淘汰されてしまう人々も出てくるというわけです。30代後半ともなれば、どんな職種でも、もうウカウカとはしておれず、50の声を聞けば、退職予備軍となるならば、一体、どのポジションに立てば安泰だとういうことになるのでしょう?政治や経済のことには疎く、社会の様相のことになど、ほとんど関心を向けたこともなかった私なのに、まるで我が事のように(決して悲観論者ではないのですが)社会のひずみの狭間で起こる出来事に心的影響を受けるようになってしまっているのです。一体何が起こったというのでしょう?すべてはあの忌まわしい事件から始まっているような気がします。一歩間違えれば、私も犯罪被害者になっていたかもしれない…あの時の理不尽な怒りがいろいろなことに対する視点に波及してしまっているようなのです。そこに、この頃のネットワークビジネスのことも絡んでいます。こうしたビジネスのことを知ってから、自分が、この人生を生きる上で、十二分なお金を生み出せる能力を持つことの大切さに気づいてしまったからなのです。そうした能力がなければ、自分や自分の愛する人々への責任が果たせないとまで考えるようになってしまっているからなのです。衣食足りて礼節を知る生活を獲得することの困難さを今さらながらに痛切に感じてしまっているからなのです。

NHK SPECIAL HOME PAGE→【放送記録】の2/26日分をご覧ください
★「格差」ある社会の高齢者「雇用延長」~「制度」をゆがめる「勤務評価」のハードル


今日この頃の私の心境の移り変わりが一過性の現象であることを願っています。ほわほわっと漂いながら、のほほ~んと暮らしていた頃が懐かしいです。

ネットワークビジネスは、私のような世間知らずの人間にとっては、熾烈なビジネスなので本当にうまくはいかないのです。何一つもうまくはいかないのです。でも不思議と恨みつらみの言葉を吐いても何の意味もないことも分かるのです。誰のせいにも出来ない…ということは、何故か、自分のせいにも出来ないというからくりを含んでいます。苦しいのに、こうした状況から逃げることも出来ないのです。葛藤状況を抱えながらも、やじろベーのように変なバランスが取れてしまっている自分を見つめています。通常なら、苦しい状況は少しでも早く解消させたいと思うものですが、苦しいけれど、この先行きを見極めなければならないという気持ちに支えられているのです。

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