ユング心理学では、人間のタイプを思考・感情・感覚・直感の4つの傾向に分けて考えています。この4つの軸は便宜上、分割されたものですので、どの傾向が最も好ましいとかの判断材料に使われるものではなく、あくまでも、その人の傾向を示すものとして理解されるべきものです。私はずっと、ただ単純に、一つの目安として、自分のことを感情優位の人間だと思ってきました。そのことを良し悪しの問題としてではなく、自分のエネルギーは「感情」の方向に集約されているらしいという認識を抱くことで、このタイプ論を活用してきたのです。これまでは、感情豊かであることや思考力に富んでいることを、人間にとっての優れた属性の一つであると考えてきましたし、そうした見方は、今でも、あながち間違いとも言い切れないだろうとも思っています。けれども、このところ、私にとっては(あくまでも私にとっては…ということです。)この思考と感情というものが大変な曲者で、宇宙の塵にも匹敵する位の余剰物だと感じるようにもなってきたのです。思考とか感情とかは、私にとっては、扱い方次第では、宿主を潰してしまうほどの強大なエネルギーを内包したものなのです。私が抱く感情は、私を撹乱し、私の存在を飲み込んでしまおうとする邪悪な側面が強いですし、私の思考の数々も、まったくもって、愚にもつかない馬鹿馬鹿しいものばかりで、私という宿主に何の益ももたらさないばかりか、根拠もないのに、私という存在の根っこを脅かすおどろおどろしいものばかりだと気づくようになったのです。思考が浮かぶから、それに伴って感情が湧いてくるのか、感情というものが湧出してくるから、思考が形成されてくるのか、その辺の事情は、未だに不明なのですが、この2つは分かちがたく結びついていて、どちらが先に浮上してくるものなのか、私には、皆目、見当もつきません。恐らく、コインの裏表のように、剥がすことが不可能なほど、両者は密接に結びついていているものなのだろうと想像しています。だから、なるべく自分にとって有害な思考や感情とは、距離を置くようにしよう…(残念ながら抹殺することは不可能なので)少なくとも、そのように心しようと思うようになりました。けれども、やってみるとすぐに分かることなのですが、これは、実際には、想像以上に‘至難の技’でもあります。何故ならば、思考も感情も、私という存在に、これまた切ろうとしても切り離すことが極めて困難なほどの‘昔なじみ’として貼り付いてしまっているものだからです。意識すると、右手と右足を同時に出してしまうようなギクシャクとした滑稽なことになってしまいます。思考と感情に翻弄されないようになるためには、それらを無意識の大海の中に放流してやらなければならないということになるのでしょうか?無意識の世界の中に、深く沈んでしまえば(=具体的には、つまらないことは考えないようにし、愚かな感情は抱かないようにする…ということになると思います。)もう、思考だ!感情だ!と騒がずに済むようになるのでしょうか?う~ん。謎です★
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でも、僕は具体的な話を知らないので、ここで紹介されているお話を興味深く読ませていただいております。
思考・感情・感覚・直感ですか・・・それぞれの定義が分からないのですが、文字通りと解釈してよいのでしょうか。
そうすると、僕はどの傾向が強いのか・・・感覚と直感でしょうか。
状況や関係を感覚や直感で捉えて、後から思考により理屈をつける行動が多いように思うからです。
Rayさんは、感覚と感情ではないでしょうか?感覚的なセンスを十分にお持ちだと思います。
感情のコントロールを従来、理屈(思考)によって行ってきたのではないでしょうか?
その際、理屈(思考)で抑えることが難しくなると理屈(思考)が捻じ曲がってくる・・・ここに問題があるように感じるのですがいかがでしょう?
感情を理屈(思考)で抑えるのではなく、感覚により、よい方向に誘導するようなことを試みてはいかがでしょう?難しいかも知れませんが、チャレンジする意味はあると思いますよ。