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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

思考と感情

2005年08月18日 | 日々の泡
ユング心理学では、人間のタイプを思考・感情・感覚・直感の4つの傾向に分けて考えています。この4つの軸は便宜上、分割されたものですので、どの傾向が最も好ましいとかの判断材料に使われるものではなく、あくまでも、その人の傾向を示すものとして理解されるべきものです。私はずっと、ただ単純に、一つの目安として、自分のことを感情優位の人間だと思ってきました。そのことを良し悪しの問題としてではなく、自分のエネルギーは「感情」の方向に集約されているらしいという認識を抱くことで、このタイプ論を活用してきたのです。これまでは、感情豊かであることや思考力に富んでいることを、人間にとっての優れた属性の一つであると考えてきましたし、そうした見方は、今でも、あながち間違いとも言い切れないだろうとも思っています。けれども、このところ、私にとっては(あくまでも私にとっては…ということです。)この思考と感情というものが大変な曲者で、宇宙の塵にも匹敵する位の余剰物だと感じるようにもなってきたのです。思考とか感情とかは、私にとっては、扱い方次第では、宿主を潰してしまうほどの強大なエネルギーを内包したものなのです。私が抱く感情は、私を撹乱し、私の存在を飲み込んでしまおうとする邪悪な側面が強いですし、私の思考の数々も、まったくもって、愚にもつかない馬鹿馬鹿しいものばかりで、私という宿主に何の益ももたらさないばかりか、根拠もないのに、私という存在の根っこを脅かすおどろおどろしいものばかりだと気づくようになったのです。思考が浮かぶから、それに伴って感情が湧いてくるのか、感情というものが湧出してくるから、思考が形成されてくるのか、その辺の事情は、未だに不明なのですが、この2つは分かちがたく結びついていて、どちらが先に浮上してくるものなのか、私には、皆目、見当もつきません。恐らく、コインの裏表のように、剥がすことが不可能なほど、両者は密接に結びついていているものなのだろうと想像しています。だから、なるべく自分にとって有害な思考や感情とは、距離を置くようにしよう…(残念ながら抹殺することは不可能なので)少なくとも、そのように心しようと思うようになりました。けれども、やってみるとすぐに分かることなのですが、これは、実際には、想像以上に‘至難の技’でもあります。何故ならば、思考も感情も、私という存在に、これまた切ろうとしても切り離すことが極めて困難なほどの‘昔なじみ’として貼り付いてしまっているものだからです。意識すると、右手と右足を同時に出してしまうようなギクシャクとした滑稽なことになってしまいます。思考と感情に翻弄されないようになるためには、それらを無意識の大海の中に放流してやらなければならないということになるのでしょうか?無意識の世界の中に、深く沈んでしまえば(=具体的には、つまらないことは考えないようにし、愚かな感情は抱かないようにする…ということになると思います。)もう、思考だ!感情だ!と騒がずに済むようになるのでしょうか?う~ん。謎です★

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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心理学を学びたい (Bliss)
2005-08-18 23:30:42
ユングさんは、よく名前が出てきますよね。

でも、僕は具体的な話を知らないので、ここで紹介されているお話を興味深く読ませていただいております。



思考・感情・感覚・直感ですか・・・それぞれの定義が分からないのですが、文字通りと解釈してよいのでしょうか。

そうすると、僕はどの傾向が強いのか・・・感覚と直感でしょうか。

状況や関係を感覚や直感で捉えて、後から思考により理屈をつける行動が多いように思うからです。



Rayさんは、感覚と感情ではないでしょうか?感覚的なセンスを十分にお持ちだと思います。

感情のコントロールを従来、理屈(思考)によって行ってきたのではないでしょうか?

その際、理屈(思考)で抑えることが難しくなると理屈(思考)が捻じ曲がってくる・・・ここに問題があるように感じるのですがいかがでしょう?

感情を理屈(思考)で抑えるのではなく、感覚により、よい方向に誘導するようなことを試みてはいかがでしょう?難しいかも知れませんが、チャレンジする意味はあると思いますよ。
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感覚機能の醸成 (midnight_ray_polaris)
2005-08-19 22:25:59
ユングは人間の心理機能を4つに分けて説明しています。直感の反対軸にあるものが感覚で、思考の反対軸には感情が位置しています。反対軸にある機能は、起点に位置する機能とは対立関係にあると解釈されていますので、一般的には、もし感情機能に長けていれば、思考機能に弱い、すなわち思考機能が未分化な状態にあるということになります。劣等機能の恐さは、時として、私たちの制御を超えて働き出し、私たちを脅かすところにあるようです。ですから、理論的には、感情優位である私は思考機能に足を掬われる確立が高いということになります。現実も、そのとおりですね。非常に意外なことには、思考と感情は対立機能でありながら、両者共に合理機能という同一のカテゴリーの中にあり、直感と感覚は非合理機能という共通の機能の枠を持っているということです。直感や感覚型の人の答えは簡単で、「ともかく思いついたのだから…」「ともかく起こったのだから…」仕方ないと認識できる点にあるそうです。確かに、Blissさんはそうですよね。片や、思考や感情型の人間は、自分の思考体系や感情体系を強く持ちすぎているために、現実をそのままに認識できなかったり、困難を感じたりするそうです。これらの機能は、ある個人にとっては、1つの体系なり、方向づけを持ってしまうものだそうなのですが、私がまさにそうですよね。ですから、Blissさんのおっしゃるとおり、行き場を失ってしまった感情を(意識の世界では、コントロール不能と感じられるような感情を)感覚機能を使って、相応しい方向に誘導するというやり方は、極めて的確な道筋を示唆してくれているということになりそうです。私の場合、ものごとをありのままに認識する感覚機能に故障が起きているような状態にありますが、Blissさんに、私にも感覚的なセンスはあるはず…と言っていただけたのでとても安堵しています。Blissさんの今回のご指摘の中に、私が現在、抱えている問題への解決の鍵が潜んでいそうですね。私は長いこと、思考と感情に翻弄され続けてきましたので、この2つの機能には、もう相当に辟易しつくしています。気功に惹かれ始めたのも、直感力や潜在力を養いたいと切に希望したからかもしれません。今後しばらくは ‘直感と感覚’ を私のキーワードにしてこの世界の中で足を踏みしめてみたいと思っています。
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