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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

オーサー・ビジット

2006年03月03日 | 日々の泡
個性豊かでユニークな各界の作者が教室を訪問し、その個性と知識・技能を発揮して、それぞれの作者ならではの「授業」を行うという朝日新聞による企画のタイトル名です。授業の内容はその作者によってさまざまで、作者の得意ワザを披露しながら‘何でもあり’で特定の形式に捉われることのない授業が展開されていて、新聞紙上にそれらの授業の内容が定期的に報告されています。NHKの“課外授業”のような感じのものと推察しています。子どもたちが、作者との出会いを経験することで、もっと本に親しんでほしいというのが、このプロジェクトの狙いのようです。厚生労働省提唱の「ゆとり教育」も頭打ちとなり、思考力を育てる…ということに目標が方向転換されました。そんな趨勢の中にあって、読書推進を基本としつつ「生きる力」を育むことを目指す「オーサー・ビジット」は時宜に適った骨太なプロジェクトといえると思います。今回は7人の作者による授業内容が新聞紙上で報告されていましたが、私の目に留まったのは、「意識」を扱った、養老孟司さんの授業内容でした。意識の周辺には、思考・感情・気持ち・直感・感覚・心・魂…など、いろいろな観念が散らばって(配置されて)いて、それぞれの観念に見合った表現が命名されています。そのどれもが分かちがたく結びついてはいるものの、それぞれの意味合いは微妙に、あるいははっきり異なっています。これらの観念に優劣や序列付けは出来ませんが、何となく、‘意識’というものに対しては‘物言わぬ観察者’というイメージを、私は勝手に持ってしまっていました。精妙な意識が洗練された行動を導くような確信を抱いていたのです。とにかく、「初めに意識ありき」で意識が生まれてから、すべての行動が意識に伴ってついてくるという印象を持っていたのです。ところが、養老さんの授業報告から、そうではないことを知りました。「こうしたい」と人が意識する0.5秒前には、もうすでに行動の指令が出ているのだそうです。熱いお鍋に直接触れたら、熱い!と思う前にさっと手を引っ込めていますよね。そういうことなんだそうです。頭で考えていることが立派だと思っている人が多いけれど、意識というものは実は後からついてくるものに過ぎない、いわば‘後知恵’なのだそうです。道筋を決めているのは、むしろ感覚や気持ちなのだと聞いて、本当にびっくりしてしまいました。意識よりはむしろ感覚の世界を磨いて欲しいということでした。「オーサー・ビジット」とはという問いに対して、養老さんは、「総合力を身につけるための貴重な出会い」と答えています。以下は養老さんの談話です。『脳はいろんな情報を外から入力してそれを処理・分析し、今度は逆に出力する。その繰り返しで脳は育ってゆく。入出力を繰り返し、最終的には脳の中に情報が蓄積され、データベースができる。すると、行動を起こさなくても脳の中だけで入出力のシミュレーションができるようになる。これが「考える」ということ。知ることと行うことがばらばらではなく、絶えず関連をもって回転させていかなければならない。僕が「オーサー・ビジット」で、生徒たちに「体を動かせ」と薦めたのは、「出力せよ」ということ。出力した結果は必ず入力されます。頭の中で考え、体で行動する「総合力」が人間には必要で、とくに若い人や子どもは自分を模索し、「総合力」を身につける大事な時期にいます。異年齢の人といろんな形で接触する機会を、大人が意識的につくり、その環境を整え、見守ってあげることが大切です。いろんなジャンルで活躍している人が、話をしてくれるというだけでなく、大人と出会うことそのものに意味がある。子どもたちは、現れた大人にどきどきしたり、話に耳を傾けたり、質問したり、ちょっと反発したり、握手したりして、大人を体感します。活発に入出力をして、学んでいくのです。「オーサー・ビジット」という試みは、そういう意味なんだと思います。』 養老さんは、ここでは、テーマや対象が子どもなので、表現を子どもに限定させていますが、子どもだけでなく、大人にだって同じことが言えると思います。大人だからこそ、総合力に磨きをかけることはますます必要になるのではないでしょうか?だから大人になっても、同じ性の同年代の人とばかり仲良くするのではなく、性を問わず、異年齢の異文化を背景に持つ人々との関わりを鬱陶しがらずにいれば、それだけで、総合力を培うための土台が出来ていくと思えるのですが…。
オーサー・ビジット

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