「クレマスター」の藤田先生はしばしば刺激的な発言をされます。精神分析家は「近づこうとすれば遠ざかる蜃気楼のような存在でなければならない。」…何と甘美で夢幻に満ちた実相を表現している言葉なんでしょう!クライエントに対して安易に「分かった。」と言ってはいけない。「分からない。」…と言い続ける態度を継続させておられるからこそ言える言葉なんですね。「分かった!」と言ってしまうことは、先生にとっては、関係への迎合であり、関係への終結の示唆(ありきたりの関係に陥ってしまったら、「あなたと私」という迷宮にも似た関係への探索は不可能になってしまいますから…)でもあるようです。蜃気楼を生じさせている空気の状態や密度…それが精神分析家の身上ということになるのでしょう。仏像の中にこそ魂は存在するのであって、仏像そのものになってしまったらただの物質になってしまう…我々にとって確かなものなど何一つもないのだから…との説明は、本当に分かりやすくて、ことの真相を十二分にイメージして得心することができます。ところで、あなたの態度は恐い位に、まるで、本当の精神分析家の態度に酷似しているんです。
もう随分昔の話になりますが、NHKで「ハンサムウーマン」という番組を日曜日の朝に、連続で、ある一定期間放送していたことがあります。毎回毎回、ハンサムな、話題の女性が次々に登場することに併せて、番組の内容自体にも一捻りの工夫が凝らしてあって、なかなかユニークで力の入った番組だったので、日曜日の朝をとても楽しみにしていました。けれど、そうしたこととは別に、そうしたこと以上に、私は「ハンサムウーマン」という言葉の響きに新しい時代の息吹を感じて、ひどく新鮮なワクワクする感覚を覚えたものです。そして、その言葉の斬新さに惹きつけられたものでした。そんな独特な語感を持った言葉には、その言葉独自の命のカケラが煌めいているような気がします。「男前」という言葉もそうした言葉の一つではないでしょうか?「男前」…大好きな言葉の一つです。「ハンサム」というのでもなく…「かっこいい」というのでもなく…「ステキ」というのでもない表現。あえて「男前」と言い切ってしまいたい。「男前」という言葉には他の言葉には絶対に備わっていない独特のニュアンスが匂い立ってきます。この言葉は、上質な色気の漂う男性にしか使うことが許されていない言葉であるような気がしませんか?「男前」な男性は部分だけではなく、全体が、すべてが「男前」であるような気がするのです。言葉で男前振りを表現することには限界を感じざるを得ない「男前」なあなた!あなたは、私のこんな物言いにはもういい加減うんざりされていることでしょうし、私の口を封じてしまいたいお気持ちも分からないではありませんが…でも、やっぱり、私はあなたのことが大好きですよ!心は自然には変わらないものなのだそうです。(道理で…これまでの一心不乱の私の努力が決して実らなかったわけが了解できるというものです。)自然な欲求は身体から出てくるものなんですって!「開き直るな!」と言われても、私は私の心身の(特に身体の奥底から湧き出てくる、身体の持つ真実の密やかな囁きを無視するなんてことはどうしても出来ません。)身体の自然な欲求や動きにどうして逆らうことが出来るでしょう!そんなことは出来る相談ではありません。身体の智恵に見て見ぬ振りをすることは自然な自分への裏切り行為にも等しいものです。私はこの際、私の体の自然治癒力を信じてみたいと思います。あなたに対する自然で素直な気持ちがきっと、私を私らしく生きる道(タオ)へと導いてくれることでしょう!私は決して開き直ったりなんかしていませんよ。一度もそんな図々しい思いに捉われたことはありません。ただ、あなたの忠告にはしっかりと耳を傾けながらも、自分の「立つ瀬」にも十分な気配りをしていきたいだけなんです。それに、このことだけは分かっておいて欲しいのですが、私は、あなたのことを心底、尊敬もしているので、あなたの言葉はいつも私への贈り物だと思って、有難く受け取ってもいるのです。私は今もこれからも決して(あなたに対しても、自分に対しても)開き直ったりなんかはしません。だから、私のこんなあり方も、どうぞ、あなたの優しい眼差しと心持ちで暖かく見守っていてください。私の勝手自由で強引な発言を聞き流してくださっているだけでも…あなたの心がいかに深く広いものであるかが想像出来るというものです。やっぱり、あなたは只者ではありませんネ。
お花の種類に好き嫌いはありません。お花の種類は何でも構わないのです。ただ白い色のお花にだけはとりわけ強く惹かれてしまいます。真っ青な空に白い雲がぽっかり浮かび白いお花が揺れている画像が気に入って冒頭に載せてみました。話はまったく変わりますが、ある一定の年齢を越えると、人は不思議とどんどん歳を取っていきます。本心を言うと、私は年齢が幾つであろうと、関係のあり方は本質的にはなんら変わりはないと思っていますし、何十代であろうと、関係してくるのは年齢ではなく、その人がどういう人かということだけだと思っているのですが、世間はそんな考え方には容易には同意してくれそうもありません。だから、あなたにだけはお願いしておきたいのです。私がおばあちゃんになっても、今と変わりなく、同じ気持ちで私を慈しんでください。説教がましいことなんて絶対に言わないと約束します。ただただひたすら可愛いおばあちゃんになることだけを確約します。そしてあなたのこともずっと慈しみ続けるつもりでいます。だから、おばあちゃんになっても…私のことを忘れないでいてください。
今日一日、私の心の奥底には虹色の炎がゆらゆらと燃えていました。私の魂がじわじわと至福で満たされる時、私という存在の中心には虹色の炎が揺らめくことを知りました。細胞の1つ1つがきゅっと引き締まり、気持ちと身体の動きに無駄がなくなっていくのを、もう一人の自分が不思議な気持ちで見つめていました。そんな時間の中で起こることは、それが失敗であろうと成功であろうと、原因も結果も、起こることすべてが同等の価値として感じられるのです。すべてがOKなのです。どちらの道を選んでもどちらでも大丈夫。どんなことが起ころうと、私は大丈夫…何とでもやっていけるという感覚なのです。私がこんな気持ちになれたのは、あなたのおかげです。あなたの存在を、私が私の身のうちに感じることが出来た時、私には至福の時が訪れることを、今日ハッキリと知りました。だから今日の私は何を見ても、どんなことに見舞われても平然としていられたのです。あなたを通して、現象してくるすべてのことに感謝の気持ちすら抱くことが出来たのです。今日一日の、この奇跡に…合掌!
そんな願いを持つこと自体が土台無理な相談というものなのかもしれません。誰かの心にたどり着くなんてことは現実的には不可能なことなのでしょうから。でも、「わかりたい!」「わかってもらいたい!」という自然に湧き上がる思いまでをもせき止めることは出来ません。「あなたの心にたどり着きたい…」そんな呪文を心の中で秘かに唱え続けていれば…いつの日か、一瞬だけでも、その思いが叶う時が来るかもしれません…。
midnight_ray_polarisをカクテルにするとしたら…どんな色合いと味わいのカクテルになるのでしょう?もし考え付かれた方がいらしゃいましたら、是非レシピをお寄せください。超リーズナブルなお値段設定の歌舞伎町ゴールデン街にある「クレマスター」というバーでレシピどおりにmidnight_ray_polarisのカクテルを作ってもらおうと思っています。一度飲み干してみたいんです。midnight_ray_polarisがどんな味のカクテルになるのかを試してみたいんです。
ブランデー1/2 バナナ・リキュール1/2で作り、氷を入れたロックグラスに注ぎ、軽くステアする…このカクテルの名前をバナナ・ブリスと言います。ブリスとは英語で"無上の喜び"という意味。ところで、私の知っている「無常の喜び」さんはバナナが大の苦手だったはず… ごめんなさい。この文章の意味については、「無常の喜び」さん以外は、これを読んでも、何のことが書かれてあるのかをまったくご理解いただけないと思います。悪しからず、お許しください。m(__)m
私は彼のどこが好きなのでしょう?分かりません。言葉で表現することが出来ないのです。箇条書きにしてみてもいいけれど、してみたところで・・それで何かが解決するわけではありません。ヒトにはあらかじめ、誰にでも超能力が備わっているようです。何が好きで、何が嫌いか?調べてみるまでもなく、すでに知っているのですから。私にも、「彼が好きなんだ。」ということは何の疑いもなく分かっているのです。彼はとてもぶっ飛んでいる人で、私は彼をどうしても私の傍においておくことが出来ないのです。私にないものばかりを持っている人で、私には決して片時の安住をもくれない人です。だから・・でしょうか?彼に対する、私の憧れの気持ちは尋常なものではありません。それは、彼が持っていて、私にはないものへの強い憧れに通じる気持ちなのかもしれません。一緒にいると、私は自分の欠けている部分を全部フォローしてもらえそうでとても幸せな気持ちに包まれるのです。人生が苦しくなくなります。でも、本心を言うとフォローしてもらえなくてもいいのです。そんなことは瑣末なことです。彼が、私の人生に現実的に存在し続けていてくれるだけで、私は枯れることのない「至福の花」を抱え続けていられることになるのですから・・。そう!傍にい続けていて欲しい・・ということだけが、私の唯一にして最大の望みなのです。