

人間関係のパラダイムには6つの種類があるという考え方を始めて知りました。①Win-Win:自分も勝ち、相手も勝つ。それぞれの当事者が欲しい結果を得ること。②Win-Lose:自分が勝ち、相手は負ける。③Lose-Win:自分が負けて、相手が勝つ。④Lose-Lose:自分も負けて、相手も負ける。⑤Win:自分だけの勝ちを考える。⑥Win-Winあるいは、Win-Winでないのなら、No Deal:Win-Winの合意に至らなければ、取引はしないことに合意する。

勝ち組、負け組という言葉が盛んに使われていたことがあります。何か、とても不快な気分を誘う言葉ですが、私の率直な思いとしては、やはり、自分が負け組になることには耐えられないという実感を持っていましたので、せめて、勝ち組とはいかないまでも、負け組にだけは転落したくはないという切実な願いを抱いていました。ですから、このWin-Winの思想に出会うまでは、私も、人生を結局は勝つか負けるかの2極分化でしか捉えることが出来ていなかったということになります。これではどう考えても、人生が窮屈で実りのないものになって行くばかりです。言葉とはつくづく怖いものだと思います。言葉が与えられると、その言葉の持つ意味や概念が、(言葉を持たなかった時には、思いも寄らなかった意味や概念のはずなのに、)自分の思考の中に、元々存在してかのようなものとして、自然に定着してしまっているのですから…一旦、そうなると、新しいはずの考え方も、ずっと以前から、自分の中にあった思想のように馴染み深く感じられるものとなっているから不思議です。

この考え方のすごいところは、Win-Winがすべての場合や場面において優れているとは言い切れないと説明しながらも、結局は、Win-Win以外のパラダイムを選択したところで、真の問題解決や双方の心の安定には結びついていかない、Win-Win以外に現実的な解決方法は有益ではないという判断に基づいているところです。

さらに、人間の持つ‘動機’の問題にも触れていきます。ヒトの基本的な欲求の一番の土台にあるものは生命維持に関わるものですので、まずは、なんびとたりとも、死ぬか生きるかの危機に直面している場合には、命の安定以外のことに目を向ける余裕は生まれませんが、ひとたび、その部分の安全が保障されれば、ヒトは直ちに精神的な部分の潤いを求め始め、自分以外の人に、自分の価値を容認され、T-upされ、感謝され、愛され、必要とされ、常に信頼されることを願うようになるという事実に着目しています。

けれど、揺るぎない‘信頼’は美辞麗句によっては獲得することの出来ない‘何ものか’です。その人の、平素の、言葉だけではない行動や雰囲気がもたらす‘何ものか’です。「あの人は信じられる!」と思ってもらえるための要素とはどこからやってくるのでしょう?

私とあなたが関わる時、あなたが、私に関して経験する‘何か’です。私は常に、自分がコントロールしようのない‘何か’を周囲に発信しています。それは、言葉にすれば、「人格」とか「人柄」とかで表現される性質のものになるのでしょうが、それは秤にかけて重さや値打ちを数値では測ることの出来ない何ものかです。けれども、人は直感的に感覚的に、それを感知することが出来る存在のような気もします。

「満たされた欲求は動機付けにはならない」「満たされていない欲求こそが動機付けになる」という心理学的研究による実証結果があります。自分の枠組みを超えて、人の話を聴くことが出来るようになった時、相手に‘精神的な空気’を与えることが出来るようになるということです。一見、「あれ?」と意外に感じるようなことですが、人に影響を及ぼされる位の人間でないと、人にも影響を与えられないということの説明があります。ここでも、私は大きな思い違いをしていることに気づきました。人に影響を及ぼされるということは自我の弱さに起因しているように捉えていましたし、人に影響を与えるなどということが出来るはずはないことと考えてもいました。むしろ、影響を与えるなどということは、まるで洗脳の一種の行為のようにも思われ、少々邪悪な雰囲気を含むものとすら考えてもいました。でも、もしも真剣に、人との生き生きとした交流を求めるのならば、影響を受けたり与えたりすることはあまりにも基本的で当たり前のことと思えるようになってきたのです。

人との関わりにおいて、相手から精神的に満たされるものを受け取れていると感じられてこそ、初めて影響力が行きかい始める関係が醸成されていきます。

私は長いこと、精神療法の勉強をしてきましたが、‘精神的な空気’という表現に出会ったのは初めてのことです。言葉は何でもいいのですが、その空気感というかニュアンスがとてもよく分かるような気がして、ひどく感動しました。

人をどう見るか?そんなことにも、この、パラダイムというものの概念・いかなるパラダイムを自分が持つか…ということが極めて重要な役割を果たしてくれるかということを知ったのです。あなたが私をどう見てくれるか?あるいは、私があなたをどう見るか?私の中に、あなたの中に、私を私らしく、あなたをあなたらしく機能させるパラダイムさえ出来上がれば、私たちは、真に信頼しあえる同志になれるかもしれません。少なくとも、もう、人間関係が今までのように重苦しいものではなくなっていくはずです。ここには、現実的な成長の可能性が存在しています。そして、それは留まるところを知らず拡大していく可能性を孕んだものでもあります。大いなる希望に出会えて、心はかすかに揺れながらも、静かで安定した凪のような状態にあります。