トイチニッキ

旧ドイツニッキ
ドイツ駐在の日々から日本での小さな日々まで

海外にいる私にできること

2011-03-17 15:32:52 | おうち

さっきドイツ人の友人と会ってきた。
彼女は地震当日も「家族は大丈夫だった?何か手伝うことない?」と電話をくれて
ひとり家でニュースを見ながら心細くなっていたnaheは
その電話にとっても励まされた。

今日も彼女は地震によるmichnaheの家族・同僚
そして日本のことを大変心配してくれて
「なにかできることない?」と聞いてきた。

「今は祈ることしか・・・あとはできたら募金を」
そう答えたのだが、
この自分の言ったことに今とてもひっかかっている。


彼女がnaheと知り合ったことにより
日本という国を前より身近に感じ、被害状況に心を痛め、
自ら「募金したい」と言うのであれば
私も快くその方法を教えたり、お金を預かったりできるだろう。

だけど私から「募金してほしいんだけど」と持ちかけるのは違う気がするのだ。


Yahoo!ドイツでも日本への義援金を集めるサイトが開設されている。
そこにメッセージも書き込みできるようになってるのだが
(以下naheの曲解も含まれていると思うのでご了承を)

「喜んで募金させてもらうよ」
「日本ガンバレ」
こんなコメントが沢山あって嬉しく有難い思いになるのだが

「日本なんて豊かな国だから自分でどうにかできるでしょ。寄付なんて不要」
「なんで日本だけ?ニュージーランド地震ではこんな募金サイトできなかったよ」
「私は日本ではなくアフリカや戦争地域の難民に寄付したい」
そんな意見も沢山ある。
ごもっともだ。

naheだって今まで世界各国沢山の災害を見てきた。
悲惨な状況に胸は痛んだが、所詮対岸の火事で何かしようとまでは思わなかった。
災害をあざ笑ったり楽しんだりすることは非難されるべきだが
寄付をするしないのは個人の意思、誰も責められるものではないだろう。



もし私の友人がそのような考えだったら
私から「募金を」と呼びかけることは
善意の押し売りになってしまう気がする。
「友人としてnaheを助けたい」という気持ちを逆手?にとってしまうような気がする。




かといって既に身近な人々からの募金運動を開始している
沢山の海外在住日本人の方を批判するつもりは全くない。
行動に移すということはとても素晴らしいことだと思う。
ただ私はできない、やりたくないだけ。


そんなnaheができること・・・

日本の状況を正確にドイツ人に伝えることくらいだろうか。
友人からもうちの家族は問題ない所に住んでいるって言ったのに
「こっちに避難させなくていいの?」と言われた。

こちらでも原発のニュースは常に放送されている。
それがどこまで日本のニュースに沿っているのか
naheにはまだ聞き取ることができない。
もしかしたらチェルノブイリ規模まで話が膨らんでるのかもしれない。
もっとドイツ語を勉強しなくては。

 

 

なんかモヤモヤした気分を吐露しただけの記事になってしまった。
すみません。

 

コメント (2)
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