今日は3.11
あれから2年経ちました。
朝から防災無線が鳴り、早朝の避難訓練、市長さんのお話、14:46の黙とう、追悼式典と、今日は一日あの日を振り返る日でした。
テレビでも特番が組まれ、「あの日を忘れるな」との声があちこちから
聞こえてきますが、被災地に暮らす私たちにとって、
3.11は忘れたくても忘れられられるものではありません。
2年前の3.11。
午後の散歩を早めに終わらせ、家で一息ついている時でした。
突然の大きな揺れ。棚の上から物は落ちてくるし、揺れもおさまらないし、
犬を2匹抱えてテーブルの下にもぐりました。
ただ事ではないと思ったけど、停電してテレビもつきません。
立て続けに大きな揺れが続き、これは津波が来ると思いました。
心配なのは海沿いの職場にいる夫。
慌てて電話しましたが、もちろん通じない。
防災無線からは大津波警報を知らせるサイレンと声。
ただ、その後しばらくして音は聞こえなくなりました。
そうこうしている内に、夫が帰宅。
とりあえずこちらの無事を確認すると、すぐ職員の安全確認のため
戻って行ったけど。
大津波警報だから、絶対職場に戻らないように伝えたのですが、
後から聞くと、やっぱり途中まで戻ったようです。
余震が続く中、家の中を片付けていると4時過ぎに
夫の職場の人たちが続々と家にやってきました。
海沿いの道は封鎖され、職場にも家にも戻れず、
トイレにも行けない状態だったからです。
電気もつかない、水も出ない、電話も通じない中、唯一見れたのが携帯のワンセグ。
知っている景色がどんどん波にのまれてゆくのを見て、
とんでもないことになっているとわかりました。
夜になり、当分このままの状態が続きそうだということで、
海沿いを通らずに帰れる職員は自力で帰宅。
家に帰れない人(8人ほど)は、ここで過ごすことに。
ここには、帰宅途中道路が封鎖され、家に帰れなくなった高校生の女の子も混じっていました。
初対面の高校生しかも女子を泊めるなんて普通じゃありえないけど、
大地震に大津波。ありえないことの連続だったからね。
ラジオを探し、すべての情報はラジオ頼み。明かりはロウソクと懐中電灯。
暖房が使えないので、前の家で使っていたダルマストーブ登場。
この夜は家にあったお菓子やパン、缶詰などそのまま食べられるものを食べた気がします。(うろ覚え)
うちの場合、外水道の水が最後まで使えたので、次の日からはカセットコンロと
ストーブを使い、簡単なものは食べられました。
夜はキャンプ用の寝袋と客用布団を全部出し、皆で雑魚寝。
とはいっても、度々余震に襲われるので、皆ほとんど寝れなかったはず。
これが3.11当日の記憶。
写真は3/16のもの。