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インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

あるスターの告白2(アルフィー・高見沢俊彦に捧げる)

2016-05-08 18:50:29 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
 父は五年前コンサート中に急逝したが、最後まで私がけばけばしい女装をしてエレキをびんびん鳴らすミュージシャンとなったのを理解できなかったようだ。死ぬ何年か前に、おまえはどうしてそういう恰好をするんだと難詰されたことがあったが、話してもわかってもらえそうにないと決め込んでだんまりを通したものの、いまとなっては申し開きをしておくべきだったと思う。アーティストとしての美意識とロマン、それにショーを見に来てくれているお客さんの目を楽しませるマナーのひとつ、礼儀としてわきまえているという自分なりの哲学を打ち明けてもよかったのだ。が、いざ面と向かうと、苦手意識が先に立ち、どうせ肌が合わない父子だと諦め、あえて口をつぐむほうを選んだのだ。
 とにかく、同じ文学に発祥していながら、私は音楽の作詞に行き、父は短歌や俳句を手慰みにひねっていた。
 父子といえども、どこか異質というか、肌が合わないというか、そぐわなかったのだ。
深く考えると悲しいので、あまり思いつめないようにしてきたが、父との葛藤は、死に目にあえなかっただけに、後々まで悔いとなって残った。
 わかり合えなかったのが残念で、それも美能に前世を告げられると、なんとなく納得がいった。ベニスの公爵の放蕩息子で、自殺未遂騒ぎを起こしたと宣告されたときは、なぜか妙に納得してしまった。イタリアに演奏旅行に行ったとき、ベニスでは不眠症のはずがなぜかぐっすりよく眠れて、いくつかの街角にデジャヴュー現象も覚えたからだ。中世の煉瓦壁の美しい洋館を見たとき、とても懐かしくてもう帰りたくない、このままとどまっていたいような妙な感傷にとり憑かれたものだった。

 番組が終わった後、美能に食い下がり、前世での自殺未遂の詳細を問いただしたところ、伯爵夫人との禁断の恋に破れ、カンタレラという劇薬を飲み干したと、オフレコで洩らされた。前に物の本で読んだことのある毒薬、近世イタリアの貴族ボルジア家が暗殺に用いたとされる雪のように白く快いほど甘美な粉薬であることを思い出し、ぞっとしながらも、その瞬間自分はなぜか舌に苦味がじわじわ湧き上げてくるような、確かな感触の名残りが蘇って震撼したものだ。
 伯爵夫人の生まれ変わりは、理沙子だったにちがいない。初めて逢ったのは二十五年前、ファンの一人として目の前に現れたが、不思議な気品と威厳を漂わせている三つ年上の成熟した美女に、私はこれまでになかった強い吸引力で惹かれていくのを感じた。理沙子は既婚者で二児の母親だった。その事実を知って、私は理沙子を自分のものにしたいという欲望をかろうじて抑制した。理沙子は資産家の夫を持っていたが、愛のない結婚生活であることを暗に洩らし、華やかな容貌の裏に孤独を隠し持っていた。
 それが私の琴線に触れたのである。華麗な虚業の裏の深い孤独、私は精神的孤独に弱く、独りになるのを恐れて女から女へ渡り歩き、若い頃は女性遍歴を重ねてきたが、三十代半ばに達して落ち着いてからは、独身主義者だけに女に縛られるのをよしとせず、むしろメンバーたちに寂しさを癒してもらうことが多かった。二人とも、ベニス時代の親友で、とくに坂田は聖職者だったらしく、私の親身な相談者であったという。そういわれれば、行き詰っているときなど、よく坂田の一言で救われたものだ。

 ルックスのいいミュージシャンの常で、自ら体を投げ出す女性ファンが跡を絶たず、若いときは流されたが、今は節制していた。ファンにみだりに手を出すと厄介なことになるのは、経験上いやというほどわかっていたし、面倒事を引き起こしたくなかった。というわけで、周りが驚くほど浮いた噂に欠け、結婚のけの字も出ない品行法正?ぶりを通していたのである。ファンからはバロンのみならず、貴公子とか王子とかのニックネームでも呼ばれていて、美しく純潔な王子様というイメージが出来上がっており、なるたけその偶像を壊したくなかったのだ。
 だから、理沙子は唯一の例外だった。それでも、ファンの女性ということで警戒心が働き、手は出せなかった。お互い好感を持っていることはわかっていたが、既婚者でもあるし、プラトニックな関係を保つしかなかった。にもかかわらず、二人の親密度は水面下で進行し、手さえ握らない清い付き合いだったため、精神面ではなお狂おしく燃え上がるようだった。禁断の恋、頭の中だけで進行する烈しい恋は二年続いた。理沙子は私の孤独をよく理解していた。私のことをここまでわかってくれたのは家族でも、メンバーでもない、理沙子だけだった。私にとってはなくてはならない女となっていた。

 しかし、三年後に理沙子は事故死した。自殺ではないかとの疑念を捨てきれぬ、車での無謀極まりない激突死だった。もし抱いていたら、死ななかったのではないかとの強い悔いが湧きあげてきて、独りの部屋で正体もなく酔いつぶれた後号泣した。理沙子は、四十歳という年齢にも、焦りを覚えていたのかもしれない。私が決して手を出さないのは若くない自分に魅力がないからだと、邪推していたとも考えられる。しかし、死の直前、私たちは最初で最後の接吻を交わしていた。理沙子は、それ以上を求めたのだろうか。いくじなしの私はついに、それ以上のことは出来なかった。まるであやまちを犯してしまったかのように、顔を背けて、愛しい人を邪険に押しのけてしまったのだ。欲望に抗しきれずにとっさに唇を奪ってしまったが、かぐわしい接吻にたがが一挙に外れそうになって、いけないと自制心を呼び戻したのだ。そして、悔やんで悔やみきれないことには、最愛の女をむざむざと死なせてしまった。理沙子にとっては、肉欲の火をつけられながら男が煮えきらず引いてしまったのは、屈辱以外の何物でもなかったのだろう。
 以来、女を愛せなくなった。理沙子は私にとって、最初で最後の恋人、唯一無二の高嶺の花、マドンナだったのだ。きっと、ベニスの伯爵夫人の生まれ変わりだったのだろう。彼女への恋の忠誠を誓って、カンタレラを干すことさえいとわなかった過去世の自分、三曲目のヒットナンバー「ライザ」は彼女を歌ったものだ。狩猟の帰り夜露に濡れた森を白馬で駆け抜けて、道に迷い行き会った瀟洒な洋館のバルコニーに佇んでいた亜麻色の長い髪の美しい夫人、前世の記憶がきっと霊感によって蘇ったにちがいない。LISA,リサとも呼べる洋名は理沙子にも通じる、前世も現世も惹きつけられたたった一人の女性。この叙情的な作詞は哀愁に満ちたメロディとあいまって大ヒットしたものだった。

3に続く

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