インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

インド、29州目の誕生

2014-02-28 19:49:46 | 政治・社会・経済
★速報
インドの29州目誕生!

アンドラプラデシュ州を二分割する法案が2月16日下院通過、引き続き20日に上院も通り、同州は内陸部のテランガナ州と海岸部のシーマンドラ州に分離されることになった。
法案通過まで、与党国民会議派総裁、ソニア・ガンジーに公然と歯向かい、分割反対をぶちあげる与党党員の一人がペッパースプレーを議会に持ち込んで吹きかけたり、議長のマイクを奪ったり、大騒動をかもし、上院でも似たような顛末が繰り返されたが、最終的に法案は可決された。

テランガナはアンドラプラデシュ州の面積の約4割を占め、人口約3500万人。英領時代、最大規模の藩王国に属して独自の文化を保ってきたが、インド独立後の1956年に同州に統合され、長く分離運動が続いてきた。
経済的に未発達のテランガナ地域の住民は60年近く自治独立を要求してきただけに感無量、吉兆のシンボルの赤い粉を噴き上げて祝った。
なお、ペッパースプレーを持ち込んだ与党議員(シーマンドラ地区の下院議員、L.ラジャゴパール)はこれを受けて辞表提出、アンドラプラデシュ州の旧州都ハイデラバードはIT都市で名高いが、当面両州の共同首都となる予定。

インド安宿通信最新号から引用)

*テランガナ(Telangana)独立運動の中心だったテランガナ・ラシュトゥリヤ(Rashtriya=国民)・サミティ(Samiti=協会)党の総裁、チャンドラシェカール・ラオ(Chandrashekar Rao)は、与党国民会議派(Congress I)総裁、ソニア・ガンジー(Sonia Gandhi)の尽力にお礼参り、両党の合併も間近のようだ。AP州二分割は、四月の総選挙をにらんだ、多分に政治的な動きだったということである。

インドの州はほぼ使用言語で分けられているが、テルグー語(古典語に含まれるほど歴史が古いAP州語)の話者人口が二つの州に分けられることになってしまったわけで、海岸部の住民は内心複雑な心境だろう。今後、共有することになる経済発展首都、ハイデラバードの奪り合いが烈しくなりそうな雲行きだ。それと、これに端を発する各地の分離独立要求はいっそう激化するものと思われる(既にウッタルプラデシュ州<当オディッシャ州まで>、いくつかが分離運動を進めている)
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厭世の芥川文学

2014-02-28 16:24:48 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
昨夜、ネットの接続状況が悪いので、保存してあった青空文庫の芥川作品「或阿呆の一生」を読んだ。

同業者の久米正雄宛てにしたためられた前書きで始まり、独立した五十一項目の短文構成となっているが、終盤は、後年の自殺の動機となった因が色濃くにじみ出ている。
狂(母は精神病で11歳のとき死去、自らも神経衰弱)や死に傾いていく心が、35歳で睡眠薬自殺(青酸カリとの説もある)に至った理由の一端を物語っているようだ。
自殺をほのめかす言動を多くとっており、発見されることを望んだ狂言自殺だったとの説もあり、たまたま発見が遅れたために死去に至ったとの説もある(遺文「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」はあまりに有名)。その前に秘書と帝国ホテルで心中未遂事件も起こしていた。

死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため上野に出かけており、留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川君の話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。

ちょうど併行して犀星を読んでいた私には、彼の文学に芥川の影響を見ていたので、交友関係に納得、ちなみに、芥川の師は夏目漱石だった。

芥川の作品は現代にも通用する、モダンな異国情緒が流れており、とてもしゃれている。
英文科出で最初、翻訳などを手がけた影響もあろうか。
古典から題材をとったものや、児童文学もあり、多彩である(初期の説話文学と中期の芸術至上主義作品、晩年の生死を扱った自伝作など、作風が時期によって違う)。
青空文庫に多数の作品が収められているので、ぜひご一読頂きたい。

余談だが、彼が一日180本(敷島という銘柄の煙草)の愛煙家だったことや、巨根!だったとのエピソードには、目を丸くさせられる。

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作詞と詩

2014-02-28 15:39:50 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
作詞阿久悠、作曲大野克夫の名コンビによる沢田研二の「カサブランカ・ダンディ」と、「サムライ」の歌詞を紹介しておく。名詞・名曲だ。

阿久悠はさすが、後年直木賞候補になったり横溝正史ミステリ大賞、島清恋愛文学賞も獲っている作家だけに、時代を汲み取る気分が巧みで、紡ぎだされる言葉が粋でしゃれている。今(七十年代)をときめくジュリーの歌手としての性格もよくつかんでいる。
これに比べると、うちの息子の詞は浅いというか、まだまだなと思う。もう少し人生経験を積めば、作風も変わるのだろう(と期待したい。一応文学者を自認する母をうならせる名・詞を書いてもらいたい)。

カサブランカ・ダンディ」(作詞阿久悠/作曲大野克夫、1979)
*ボギーとは、映画「カサブランカ」(1942)の主演俳優ハンフリー・ボガートの愛称

聞き分けのない女の頬をひとつ二つ張り倒して、
背中を向けて煙草を吸えば
それで何も言うことはない
うれしい頃のピアノのメロディ
苦しい顔で聞かない振りして
男と女は流れのままに
パントマイムを演じていたよ
ボギーボギー、あんたの時代はよかった
男がぴかぴかのきざでいられた
ボギーボギー、あんたの時代はよかった
男がぴかぴかのきざでいられた

喋りが過ぎる女の口を
醒めたキッスで塞ぎながら
背中のジッパーつまんで下ろす
ほかに何もすることはない
ボギーボギー、あんたの時代はよかった
男のやせ我慢粋に見えたよ
ボギーボギー、あんたの時代はよかった
男のやせ我慢粋に見えたよ

サムライ(歌詞付き動画、作詞阿久悠/作曲大野克夫・1978)
片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
ああ、ああ、ああああ

ありがとうジェニー
お前はいい女だったよ
はんぱなワインより酔わせてくれたよ
だけどジェニー、あばよジェニー
俺は行かなくちゃいけないんだよ
寝顔にキッスでもしてあげたいけど
そしたら、一日旅立ちが延びるだろう
男は誰でも不幸なサムライ
花園で眠れぬこともあるんだよ

片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
ああ、ああ、ああああ ああ ああ あああ

片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
ああ、ああ、ああああ ああ ああ あああ
ああ、ああ、ああああ ああ ああ あああ
ああ、ああ、ああああ ああ ああ あああ

ありがとうジェニー
お前はいい女だった
お前と暮らすのが幸せだろうが
だけどジェニー、あばよジェニー
それが男にはできないのだよ
部屋から出たなら、冷たい木枯らし
お前の体のぬくもりが消えていく
男はいつでも悲しいサムライ
幸せに照れてることにもあるんだよ

片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
ああ、ああ、ああああ ああ ああ あああ

片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
ああ、ああ、ああああ ああ ああ あああ
ああ、ああ、ああああ ああ ああ あああ
ああ、ああ、ああああ ああ ああ あああ

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沢田研二在日説は間違い

2014-02-27 16:26:13 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
ふと芸能人に在日韓国人が多かったことを思い出し、今結構気になっているジュリーも確かそうではなかったかと思い、調べてみると。

次のようなページ(ファンの一人の釈明)が出た。

以下の、なぜ日本の芸能界には在日韓国人が多いのですか?との質問に対する答に、ジュリーがリストに含まれていたことに対するファンの申し開きだ。

それにしても信憑性のいかんはさておき、これを見ると日本の芸能界にはこんなにもたくさんの在日韓国人がいるのだと、びっくりさせられる(混血は優秀ということもあるかもしれない)。
ふと、大久保に韓国人街があったことを思い出す。
在日の方は、小説家にも秀れた人が多い。
芥川賞のベテラン作家、李恢成はいうまでもなく、37歳で夭折した芥川賞作家、李良枝など。李良枝の「刻」(とき)という作品は秀逸で、惜しい才能だった。

ちなみに、李という漢字を使うと、在日韓国人と思われがちだが、私は「李」がひとしお気に入っていて、小説用のペンネームにも「李耶シャンカール」と使わせてもらった。

*最後に、音楽通の作家U氏にご推奨頂いたジュリーの
ある青春」をどうぞ。
あまり知ら れていない曲だが、パリのオーケストラをバックにしたスケール感の大きな曲で、当時からすでにフランスにジュリーのファンクラブがあったそうで、歌もさることながら、その美形ぶりも相当に評価されていたとのことだ(U氏言)。
とても美しい、ジュリーの知られざる名曲です。私からも特選!
ある青春
 
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芸能情報から学ぶ物語作法と人生観

2014-02-27 00:12:25 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
私は純文学に傾倒する一方で、相当なミーハーだ。
日本では芸能界通で通っていた。全部、女性週刊誌の立ち読み、喫茶店でのスポーツ新聞の芸能欄の粗読みから仕入れた情報だったが、移住してからも、西インドの商都ボンバイ(現ムンバイ)を本拠地とするヒンディ映画界、ハリウッドもじってのボリウッドのゴシップ情報に凝った。
「スターダスト」とか「フィルムフェア」などの映画月刊誌(英字誌)を毎号買い求め、情報収集漁りに余念がなかった。

なぜ、芸能情報は面白いか。
それは、金、名声、ルックスとそろったセレブリティの私生活は当然派手になりがちで、一般人に比べ何倍もドラマチックだからである。
つまり、漁りながら、それとなく物語のネタ捜しをしていたわけである。何かスキャンダラスな事件が起こると、行方をいろいろ想像することも楽しかった。妄想たくましさとは、作家にとって欠かさざるべき要素かもしれない。

インドのセレブリティたちのモットーは、
Live, let live

成功の条件は、
Right time, right place, right people

インタビューに答えたスターたちの多くが、このモットーと成功の条件を語っていた。
さすがに大きな成功をものにしているスターたちだけに、いいところを突いていると思う。

*古い話で恐縮だが、岡田有希子の飛び降り自殺劇(1986)や、中森明菜の自殺未遂事件(1989)は、いまだに興をそそる。岡田有希子の自殺直後の映像があったのでつい見てしまった。突撃芸能レポーター、梨本勝報告だ(インドではさしずめ、女優ディヴヤ・バルティ、キャリアがピークの19歳のとき五階の自宅マンション<18歳でイスラム教徒監督と異教徒結婚していた>から飛び降り自殺し、事故か自殺か他殺かでマスコミをにぎわせ、ミステリアスな謎は深まるばかりだった)。

一方、中森明菜金屏風事件といわれるビデオもあったので、覗いてみた。自殺未遂から半年後、マッチとジャニーズ事務所に婚約記者会見とだまされ、顔を出してみると、謝罪会見だったとの顛末、金屏風の前で自殺はマッチと関係ないと鼻を啜りながら謝罪する明菜が憐れを誘う。八千万円貢いだとかもすごい話で、結局、信頼を裏切られたということで、明菜は芸能界の狼どもに搾取されたということだね。




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文学的な名・詞「時の過ぎ行くままに」

2014-02-26 23:08:15 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
本日、執筆中だった短編を脱稿。100枚ちょっとになった。このくらいのだと、数日で書ける。ただし、途中でネットでいろいろ検索したので、一週間はかかった。創作に初めて音楽を取り入れたことで新鮮味があった。
ただし、低い音色のジャズなら、聞きながら書くことができるかもしれないが、歌謡曲はダメだ。書いているときは聞けず、中途休憩のときか、終わったあと、聞く。

そう、本作にはミュージシャンが登場するのである。

息子がたまたま音楽をやっているおかげで、ミュージック音痴の私も少し開眼?した感じで、周囲に音楽関係者が何人かいたことで、書くことはそう困難ではなかった。

ジュリーの曲をたくさん聴いたが、詞がどれもよかった。
「時の過ぎ行くままに」
「カサブランカダンディ」
「サムライ」

以下は、ジュリーの「時の過ぎ行くままに」(詞)だ。
阿久悠作詞だが、この曲の場合、詞が先にできて、六人(大野克夫、井上堯之、井上大輔、加瀬邦彦、荒木一郎、都倉俊一)の作曲家に依頼して、大野克夫に決まったとのことだ。
日本では普通、曲先(きょくせん)といって、先に曲ができて詞をつける方式がポピュラーという。ちなみに、うちの息子も曲先だ。

「あなたはすっかり疲れてしまい
生きてることさえ嫌だと泣いた
壊れたピアノで想い出の歌
片手で弾いてはため息ついた
時の過ぎ行くままにこの身を任せ
男と女が漂いながら
堕ちていくのも幸せだよと
二人冷たい体合わせる

体の傷なら直せるけれど
心の傷手は癒せはしない
小指に食い込む指輪を見つめ
あなたを昔を思って泣いた
時の過ぎ行くままにこの身を任せ
男と女が漂いながら
もしも二人が愛せるならば
窓の景色も変わっていくだろう

時の過ぎ行くままにこの身を任せ
男と女が漂いながら
もしも二人が愛せるならば
窓の景色も変わっていくだろう」

二十代の頃詩に凝ったことがあって、詩心はそれなりにあるつもりだが、曲につける作詞はまた違うだろう。
五木寛之、阿久悠、山口洋子、作詞家から作家に転向した者もいるが、阿久悠の詞は、文学的でとてもいい。
でも、曲が先だと、音感がないと、詞はつけにくいなと思う。
メロディにあわせて詞を作るには、やはり音楽音痴では無理かも。
だから、詩と作詞はやっぱり違うと思う。
ちなみに、阿木耀子の詞もわりと好きだ。
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ジュリーの成功の陰のドラマ

2014-02-24 15:58:57 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
ジュリー(沢田研二)のことを書いたせいか?、読者数が急上昇。
だからというわけでもないが、引き続きジュリー談。

昨日ネットを検索していて、前妻の伊藤エミさんが2012年に死去している事実が明らかになった。
伊藤エミさんとは、私と前後する世代の方ならご存知の、「ザ・ピーナッツ」という双子姉妹の歌手(姉)で、和製ポップスで一世を風靡したいきさつがある(61年から72年のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」<日本テレビ>の司会役兼看板歌手で大人気)。

沢田研二と恋に陥って1975年結婚したのだが、後年夫の不倫(相手はご存知田中裕子)で別居、87年18億1800万円という破格の慰謝料の離婚劇に至る。七歳の一人息子がいたことも周知の通り。

当時、芸能情報通(もっぱら女性週刊誌の立ち読みによる)を自称していた私のうろ覚えの記憶によると、子どもは(肥満児だったとの記憶がある)自分の父がジュリーであることが自慢で学校で吹聴していたが、その有名人父が突然帰らなくなって、幼な心にも大いに戸惑ったようだ。

離婚後も、澤田姓を名乗っていたとされるエミさん、媒酌人のクレージーキャッツ(往時のジャズバンド&お笑いグループ)のリーダー、故ハナ肇によると、澤田を愛していた七歳上の年上妻、エミさんが身を引く決心をしたのではないかとのこと。あと、一人息子のことを考えてのこともあったようだ。

田中裕子は略奪結婚だったわけで(悪者扱いするつもりはない)、今はおしどり夫婦として名高いが、その陰に忍ぶ母子のドラマがあったということだ。

理性では片付けられない感情のドラマがあったと思うが、亭主関白型の沢田は結婚前、エミさんに歌手を辞めて欲しいと宣告していたとかで、後年捨てられる身となったエミさん側にしては納得のいかない思いもあったろう。

昨年十二月の、武道館で催されたタイガースの再結成コンサートで、ジュリーに悲哀が漂っていたのは、前年前妻を癌で亡くしたこともあったのではないかとの想像は、うがちすぎだろうか。

ハナ肇にエミさんを泣かせるなよと釘を刺されたにもかかわらず、男の身勝手で去ることになった顛末に後ろめたい罪悪感を引きずっていたはずだ。
しかし、どうしようもなかったのだろう。

ちなみに、昨年末の再結成コンサートで、武道館か、その後の東京ドームか、わからないが、25年間会わずにきた息子さんが楽屋に訪ねてきて、エミさんからの最後のメッセージを渡したとのことだ。

息子さんは、コンサートを見て、「親父はすごい」と感に入ったとか。

*あれだけの美形だ、二人の妻のみならず、たくさんの女性たちの胸を焦がしたことはいうまでもなく、最終的に独り占めした田中裕子さんは果報者ということになるのだろう。
なお、音楽通の作家Y氏に、ジュリーの映像では「サムライ」が素晴らしい、もう日本にはこのようなコンテンツを生み出す力がないのかもしれない、とご推奨いただいたその「サムライ」を最後に掲げたい。
私も好きなナンバーです。
片肌脱いでの黒の革ジャン、ナチ親衛隊のハーケンクロイツ腕章付き(インドでは逆卍は吉兆のシンボル)という奇抜なファッションが野坂昭如のお叱りを買った、いわくつきの動画、ご一見を!

「サムライ」沢田研二
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昭和ノスタルジー

2014-02-23 21:12:32 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
昨夜は朝の四時まで、ザ・タイガースのドラマー、瞳みのるの書いた「ロンググッバイの後で」(集英社)を読み直した。
二年ほど前に贈呈されたものだ。

タイガースの前身であるファニーズだったころ、京都のクラブでのライヴ演奏で、ホステスがかわりがわりに、ヴォーカルのジュリーの大事なところを触りに来る場面があって、笑えたというか、気の毒というか、ちょうど彼の若い頃のミュージックビデオを観たばかりだった私には、まあ、あの美貌だったら、ホステスが触りたくなるのも仕方ないかと、妙に納得してしまったり。

ちなみに、ピーこと瞳みのるは背後のドラマーだったので、難を逃れたようで、ほかのメンバーも楽器が防備になって、被害を免れたとのこと。
ジュリーだけが野ざらしでホステスのタッチ被害にあっていたわけだ。

あと、ジュリーは外見はスリムな美青年なのに、硬派でけんかが強かったというエピソードも出てくる(後年の暴力事件が納得)。

今書いている小説はミュージシャンを登場させるので、何かの参考になるかと読み返してみたのだが、メンバーの生まれ故郷である京都の街の描写もあるし、プロダクションとの軋轢とか内情も洩らされており、資料の一環にはなった。

しかし、昭和というのはいい時代だったなあ。

私は平成前に移住したので、昭和が自分のなかに陰画のようにくっきり切り取られている。
沢田研二や山口百恵の歌を聴いていると、ノスタルジーに駆られ、遠き日の青春が蘇ってくるように感じる。

女優で気になっていたのは、関根(現高橋)恵子だった(15歳でデビュー大胆なヌードシーンなど体当たり演技が話題を呼んだが、27歳で監督の高橋伴明と結婚後落ち着いた)。
「ドラキュラ」の舞台をすっぽかし、作家の河村季里(「屋根のない車」がデビュー作)と海外逃避行(タイのバンコックからトルコ方面へ)の決行に及んだとき、なぜか先を越されたと悔しかった思いがある。
25歳の経済誌時代、いつも昼食を取る喫茶店に入ると、ルポライター志望の同僚の青年が先に来てスポーツ紙を読んでおり、一面にでかでかと「関根恵子、恋の逃避行!」とあった(後にこの顛末は愛人作家の河村によって「青春の巡礼」(角川書店)という小説に昇華された)。
同席することになり、彼に「どう思う?」と事件のことを訊かれ、「やったあ」と答えた私、彼は気後れしたように「やっぱり…」と言い、口をつぐんでしまった。
何がやっぱり、なのか、とにかく私の反応が予想通りだったということだ。

その同僚記者と私の恋は始まったばかりだった。
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息子の即興ラップ・ロケ光景

2014-02-23 20:23:24 | 私・家族・我が安宿
息子から、先月十六日のMTV番組のムンバイ(西インドの商都・旧ボンベイ)でのロケ現場光景、ベテランラッパー、Blazzeさんと組んで作った即興ラップ、"The Microphone"のロケ現場の動画が送られてきたので、紹介したい。

BlaaZe's 'B' Roll (behind the scenes) - The Microphone

*ムンバイの巨大なスタジオや、パーフォーマンスのジャンプなどは吊り上げていることがわかり、面白い。パーフォーマンスに加わった子どもも大活躍だ。
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時代と寝た伝説的女性歌手の変貌

2014-02-23 17:19:49 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
昨夜、若い頃のジュリーの歌を聞いてノスタルジーに駆られたので、山口百恵、ジャニス・ジョップリン(サマータイム)、中島みゆき(狼になりたい)、荒井由美(ユーミンが通称、あの日に帰りたい)、森田童子(ぼくたちの失敗)と、次々に思い出にまつわる曲を聴いた。

山口百恵の「いい日旅立ち」、「秋桜(コスモス)」、「イミテーションゴールド/横須賀ストーリー」が懐かしく、ふと今彼女はどうしてるんだと、ネットチェックしてたら、なんと変わり果てた写真が出てきてショック。往年の美少女が肝っ玉母さんに変わり果てていたというキャッチがついていた。

「いい日旅立ち」のしっとりした画面で女性としてピークの美を堪能しただけに、この変わりようはショック。
21歳で引退しその後主婦専業で(現在五十代半ば)、マスコミに顔を出していないからしょうがないとは思うが、やはり時代と寝た百恵がここまで太ってただのおばさんになった姿は落差が大きく、ショック以外の何物でもない。

ついでに、南沙織の写真も出てきたが、沙織は眼鏡をかけていてもまだ若々しく、原形をとどめている。

山口百恵は惜しい才能だったと思う。
もっと歌い続けて、女優としても活躍して欲しかった。

そのうち時間があれば、昔の曲の動画にまつわる想い出ストーリーなんかアップしたい。
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