井上靖の「孔子」を読み終えた(ここでは新潮文庫をご紹介申し上げたが、私が読んだのはハードカバーの書籍)。今春帰国時、東京在住の友人から譲り受けた、図書館除籍の書物だ。
バガバッド・ギータは美しい詩韻を踏んでいるインドの宗教文学で、旅行者時代読んで啓示を受けたが、それに優らずとも劣らぬ深遠な文学で、煩悩の私には感じ入るところが多かった。
孔子の人柄について、「烈しく美しく、凛と鳴っているような」との表現があるが、その人柄そのもの、烈しく美しく凛とした文学だった。
それにしても、このような良書を除籍にするとは、図書館はいったい何を考えているのだろう。確かに一読するととっつきにくいように見える長編で、今の若者が読むとは思えないが、それにしても、残念だ。
いつか、借り手がいなくなって古びたら、私の本も除籍になってしまうのだろうかと、哀しい思いがした。
「人事を尽くして天命を俟つ」とは孔子の詞(ことば)だが、紀元前五世紀ごろの乱世に生きた孔子は、乱れに乱れた戦国の世でも正しく生きる努力を続けていれば、おのれ亡きあとにも必ず平和が来ると信じていた。
仁、他者への思いやりを説いた子だったが、55歳から亡命の憂き目を見、荒野を愛弟子たちとさすらうことになる。一時期は飢え死にしそうになったこともあったが、凛として、それも天命と受け止めるのである。志が正しいからといって、神の支援を得られるとは限らない、生死、成否、貧富は天命と達観していた。すなわち、人事を尽くしても、おのれの思うようにならぬことがままあるということ、善良な人が早死にする運命の皮肉もまた、天命である。
高い官位まで上り詰めながら国を追われ、戦国の荒れ野をさすらう境遇になったおのれに重ね合わせているのであろう。
弟子たちが子を語るエピソードも美しい。
年の終わりにあたって、かくも美しく深い文学に出会えたことの幸運に感謝せざるをえなかった。
バガバッド・ギータは美しい詩韻を踏んでいるインドの宗教文学で、旅行者時代読んで啓示を受けたが、それに優らずとも劣らぬ深遠な文学で、煩悩の私には感じ入るところが多かった。
孔子の人柄について、「烈しく美しく、凛と鳴っているような」との表現があるが、その人柄そのもの、烈しく美しく凛とした文学だった。
それにしても、このような良書を除籍にするとは、図書館はいったい何を考えているのだろう。確かに一読するととっつきにくいように見える長編で、今の若者が読むとは思えないが、それにしても、残念だ。
いつか、借り手がいなくなって古びたら、私の本も除籍になってしまうのだろうかと、哀しい思いがした。
「人事を尽くして天命を俟つ」とは孔子の詞(ことば)だが、紀元前五世紀ごろの乱世に生きた孔子は、乱れに乱れた戦国の世でも正しく生きる努力を続けていれば、おのれ亡きあとにも必ず平和が来ると信じていた。
仁、他者への思いやりを説いた子だったが、55歳から亡命の憂き目を見、荒野を愛弟子たちとさすらうことになる。一時期は飢え死にしそうになったこともあったが、凛として、それも天命と受け止めるのである。志が正しいからといって、神の支援を得られるとは限らない、生死、成否、貧富は天命と達観していた。すなわち、人事を尽くしても、おのれの思うようにならぬことがままあるということ、善良な人が早死にする運命の皮肉もまた、天命である。
高い官位まで上り詰めながら国を追われ、戦国の荒れ野をさすらう境遇になったおのれに重ね合わせているのであろう。
弟子たちが子を語るエピソードも美しい。
年の終わりにあたって、かくも美しく深い文学に出会えたことの幸運に感謝せざるをえなかった。