インドに戻ってはや三週間以上が過ぎた。
昨年は金沢で独りきりの年越しだったが、今年は家族とお正月を迎えられることに感謝。
11月8日のディマネタイゼイション(廃貨、500・1000ルピー高額紙幣の流通廃止)から五十日が経過して、ひところのパニック状態からやや落ち着いてはいるが、いまだキャッシュ不足でATMに並んだり、低所得層(農夫や労働者階級)はあおりを食らって、五十日後に平常に戻るとの首相の確約はどこまで果たされたかとの検証が、テレビのニュースや新聞をにぎわせている。
銀行の引き出し上限(一週間に24000ルピー)はいまだ解除されず、政府が個人財産に規制を課すことはデモクラシーに反すると思うが、とにかく来年の早い時期に解禁されることを祈るのみだ。
かねてよりモディ首相が政敵からナチのヒトラー独裁者になぞらえることはよくあったが、前コングレスI(国民会議派)政権のマンモハン・シンがThe Weakest PM、超弱腰首相(首相就任を辞退したイタリア生まれのガンジー家の嫁、ソニア党総裁の傀儡政権だった)と悪口たたかれていたのと一転して、強すぎるトップというのも、独裁色を帯びてよくないものだ。
闇金撲滅と偽札一掃が主目的のノートバン(紙幣廃止)の効果を政府は声を大にして自賛しているが、結局リスク大のギャンブルともいえた86%の流通紙幣を突如廃止するというドラスティックな政策は庶民に多大な不自由を強いた。ATMに長蛇の列を作って並ばねばならぬ疲労から死亡する者や農夫の自殺など、百人を下らぬ死者が出た。
考えてもみてほしい、日本で仮に明日から一万円と五千円札が使えなくなると突然発令されたときのショックを。オーガナイズされてない国だけに国民のショックはマグニチュード大の激震、その後の混乱とパニックは容易に想像がつく。
わたしは日本でのほほんとしていたわけで(11月13日のアルフィーコンサート五日前で胸を躍らせていた)、翌月初めに友人からインドは大パニックに陥っているとの情報をもたらされるまで知らなかったわけで(新札切り替え云々の情報は領事館筋からちらりと入っており、だんなに訊かないとと思いつつ、忙しさに紛れてそのままになっていた)、まさか不在中にここまで激烈な経済政策が採られていたとは予想だにしなかった(殿、ご乱心?とモディの精神状態を疑いたくなった)。
新札の準備が充分行き渡らないなかでの敢行、漸次的にやっていくとかもう少しやりかたがあったように思う。いかにもインドらしい、行きあたりばったりの突発的な政策で、首相が誰にも相談せずに己の独断で斧を振り下ろしたといわれているが、少なくとも新札がふんだんに用意できていれば、国民に多大なる不便を強いることもなかったろう。
それに、汚職撲滅というけど、さらなる汚職を生む結果のやぶへびになったともいえる。土台、バクシーシという賄賂慣行が必要悪の国で、脱税容疑の隠し財産保有者が銀行員を買収しないはずがない。インドはほんと、賄賂でなんとでもなる国なのである。杓子定規の日本から見れば、融通がきき、百ルピー札を何枚か弾むことで事務上の手続きがスムーズに行くこともあるので、便利な必要悪なんである。金額が膨大になれば、汚職だが、小額なら、この制度はあったほうがよく、実際生活と密接に結びついたバクシーシシステムは根絶不可能である。
医者だってバクシーシを弾めばよく診てくれるし、警察・官僚、バクシーシ慣習は当たり前、よって底辺から小さな汚職を一掃することは難しく、膨大な闇金が没収されている今はともかくも、しばらくたてば、またブラックマネーは復活するだろう。
まあ、そんななか、当地プリーは比較的現金が行き渡り、ホテル街も例年通りクリスマス・新年の掻き入れ時だけに満室であることは、恵まれているといっていい。
ヒンドゥ教の聖地であるので巡礼旅行者が多いし、当地は潤った町なのである。
おかげでうちも今現在は特に不自由を強いられることもなく、例年通りの年越しが出来そうで、ありがたい。
夫はモディ首相のファンなので(ヒンドゥ至上主義を標榜するインド人民党=BJP、与党支持)、今回の政策にも賛同している(最初のひと月は大変だったといったが、闇金撲滅には必要との意見)。しかし、私はリベラル派(異教徒共存の世俗主義)なので、汚職三昧の前政権はともかくも、モディには独裁の危機を感じていまひとつ信用がならない。
とにかくいま少し時間をおかないと、ギャンブルの是非は見えてこないようである。
来年二月のウッタルプラデシュ州議選は、この政策が有権者に受け入れられたかどうかのひとつの指標になるだろう。
昨年は金沢で独りきりの年越しだったが、今年は家族とお正月を迎えられることに感謝。
11月8日のディマネタイゼイション(廃貨、500・1000ルピー高額紙幣の流通廃止)から五十日が経過して、ひところのパニック状態からやや落ち着いてはいるが、いまだキャッシュ不足でATMに並んだり、低所得層(農夫や労働者階級)はあおりを食らって、五十日後に平常に戻るとの首相の確約はどこまで果たされたかとの検証が、テレビのニュースや新聞をにぎわせている。
銀行の引き出し上限(一週間に24000ルピー)はいまだ解除されず、政府が個人財産に規制を課すことはデモクラシーに反すると思うが、とにかく来年の早い時期に解禁されることを祈るのみだ。
かねてよりモディ首相が政敵からナチのヒトラー独裁者になぞらえることはよくあったが、前コングレスI(国民会議派)政権のマンモハン・シンがThe Weakest PM、超弱腰首相(首相就任を辞退したイタリア生まれのガンジー家の嫁、ソニア党総裁の傀儡政権だった)と悪口たたかれていたのと一転して、強すぎるトップというのも、独裁色を帯びてよくないものだ。
闇金撲滅と偽札一掃が主目的のノートバン(紙幣廃止)の効果を政府は声を大にして自賛しているが、結局リスク大のギャンブルともいえた86%の流通紙幣を突如廃止するというドラスティックな政策は庶民に多大な不自由を強いた。ATMに長蛇の列を作って並ばねばならぬ疲労から死亡する者や農夫の自殺など、百人を下らぬ死者が出た。
考えてもみてほしい、日本で仮に明日から一万円と五千円札が使えなくなると突然発令されたときのショックを。オーガナイズされてない国だけに国民のショックはマグニチュード大の激震、その後の混乱とパニックは容易に想像がつく。
わたしは日本でのほほんとしていたわけで(11月13日のアルフィーコンサート五日前で胸を躍らせていた)、翌月初めに友人からインドは大パニックに陥っているとの情報をもたらされるまで知らなかったわけで(新札切り替え云々の情報は領事館筋からちらりと入っており、だんなに訊かないとと思いつつ、忙しさに紛れてそのままになっていた)、まさか不在中にここまで激烈な経済政策が採られていたとは予想だにしなかった(殿、ご乱心?とモディの精神状態を疑いたくなった)。
新札の準備が充分行き渡らないなかでの敢行、漸次的にやっていくとかもう少しやりかたがあったように思う。いかにもインドらしい、行きあたりばったりの突発的な政策で、首相が誰にも相談せずに己の独断で斧を振り下ろしたといわれているが、少なくとも新札がふんだんに用意できていれば、国民に多大なる不便を強いることもなかったろう。
それに、汚職撲滅というけど、さらなる汚職を生む結果のやぶへびになったともいえる。土台、バクシーシという賄賂慣行が必要悪の国で、脱税容疑の隠し財産保有者が銀行員を買収しないはずがない。インドはほんと、賄賂でなんとでもなる国なのである。杓子定規の日本から見れば、融通がきき、百ルピー札を何枚か弾むことで事務上の手続きがスムーズに行くこともあるので、便利な必要悪なんである。金額が膨大になれば、汚職だが、小額なら、この制度はあったほうがよく、実際生活と密接に結びついたバクシーシシステムは根絶不可能である。
医者だってバクシーシを弾めばよく診てくれるし、警察・官僚、バクシーシ慣習は当たり前、よって底辺から小さな汚職を一掃することは難しく、膨大な闇金が没収されている今はともかくも、しばらくたてば、またブラックマネーは復活するだろう。
まあ、そんななか、当地プリーは比較的現金が行き渡り、ホテル街も例年通りクリスマス・新年の掻き入れ時だけに満室であることは、恵まれているといっていい。
ヒンドゥ教の聖地であるので巡礼旅行者が多いし、当地は潤った町なのである。
おかげでうちも今現在は特に不自由を強いられることもなく、例年通りの年越しが出来そうで、ありがたい。
夫はモディ首相のファンなので(ヒンドゥ至上主義を標榜するインド人民党=BJP、与党支持)、今回の政策にも賛同している(最初のひと月は大変だったといったが、闇金撲滅には必要との意見)。しかし、私はリベラル派(異教徒共存の世俗主義)なので、汚職三昧の前政権はともかくも、モディには独裁の危機を感じていまひとつ信用がならない。
とにかくいま少し時間をおかないと、ギャンブルの是非は見えてこないようである。
来年二月のウッタルプラデシュ州議選は、この政策が有権者に受け入れられたかどうかのひとつの指標になるだろう。