インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

東西Angie(アンジー)聞き比べ

2014-03-30 23:10:01 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
昔、隠れファンだったローリングストーンズの懐かしい曲『アンジー』(1973年に発表した曲で全米1位に)を見つけたので、ご紹介。
私がとても好きなナンバーだ。

The Rolling Stones - Angie - OFFICIAL PROMO (Version 1)

以下は英語の作詞付き。
The Rolling Stones - Angie - w/ lyrics

恋人アンジーに呼びかける哀切に満ちたメロディ、70年代のミック・ジャガーは美しくセクシー。
ミックがアンジーと呼びかける声がエインジェルに聞こえるが、「Angie」とは「アンジェラ」の愛称で 「天使」を意味するそうな。どおりで。

さて、70歳とお年を召したミック・ジャガーだが、依然ご活躍、でも、最近13年来の恋人(49歳の米マンハッタン在住ファッションデザイナー、ローレン・スコット)に首吊り自殺された衝撃で(3月17日)、オーストラリアでのコンサートをキャンセルしたようだけど?

ところで、ストーンズのファンだったジュリーも邦語版で歌っているので、聞き比べてみて!

悲しみのアンジー / 沢田研二

さすがにジュリー、日本語でも聞かせる。
声に艶があって素敵。
でも、やっぱり英語版のほうがぴったりくるかな。
日本語訳にすると、別の曲のように聞こえる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

70年代の酒場ストーリー

2014-03-30 20:26:25 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
70年代のカルチャーについていろいろ語ってきたが、若い頃酒豪で鳴らした私にとっては、やはり酒場にまつわる想い出は捨てがたい。

高校卒業後上京、大学を出てからは出版社勤務で、この業界は呑み助が揃っているので自然鍛えられた。
給料日や、校了のたびに打ち上げと称して酒場に繰り出したものだ。

都内では新宿なら東口のゴールデン街はじめ、伊勢丹そばの『セバスチャン』、花園神社近くの『もっさん』、西口では、昭和初期の大衆酒場『五十鈴』(割烹着のおばさんが給仕、おでんがおいしかった。今も残存)、西口の焼き鳥がうまい『ぼるが』(現存)、安い居酒屋パブ『バガボンド』(現存)、ジャズのBGMが渋い『ブラックサン』、ログハウス紛いの木の香りが馥郁たる『山小屋』(現存)、地下の穴倉バー『どん底』(現存)、新宿三丁目には詩人の溜まり場『詩歌区』(ママも詩人)もあった。

四谷なら『葡萄屋』(出版関係者の溜まり場)、渋谷なら『ペニーレイン』(ビートルズの曲名からとった店名)、二十代半ばごろは八重洲通りに勤めていたので、この界隈の安居酒屋、バーも荒らした。新橋のガード下しょんべん横丁にも、同僚記者らに連れて行ってもらった。

酒場で青臭い議論を闘わせ、血気盛んな記者連中で取っ組み合いの喧嘩になることもしばしばで、そのたびに紅一点の私は仲裁、バッグに入れた傷バンを取り出して手当てしてあげたものだ。

郷里福井では、高校時代の憧れの先輩(演劇部のアイドルで卒業後東宝の新星として女優デビューするも、挫折し帰郷)が経営していた『薔薇屋敷』、金沢では『秋吉』(おなじみ焼き鳥チェーン店だが、金沢のは白木のカウンターがあって、近くを疎水が流れており、風情があった)、繁華街・香林坊の『ニュースペーパー』は金沢在住の女友達(北陸美人)が開拓したしゃれたお店だった。

女二人で飲んでいると、声をかけられることも多く、酔い任せでこちらもつい誘いに乗ってつるんで飲んでいるうちにお定まりのアバンチュールとなって、一夜の情事に発展したこともあった。

二十代でなければできない大胆な恋の冒険、だった。

声をかけてくるのは美しい男たちが多く、そもそも容姿に自信がなければ、ハントしてこないだろう。成功率が高いから、試すわけであって、まあ、そういう色事師たちとの駆け引きも楽しかった。

女友達はそのうちの一人と大恋愛を繰り広げてくれ、路上でキスシーンまで展開してくれたものだ(当時の金沢といったら、いまだ保守的で、ラブシーンを公に繰り広げることはご法度だった)。

酒の上のあやまちは、美しい。

さて、そんな昭和五十年代の懐かしい酒場を舞台にしたノスタルジック・ラブストーリーを今後、折に触れて披露していきたい。
題して『昭和センチメンタル・バー』
若い頃書いた作品(掌編15作)が行李に眠っているのを発見、稚拙な表現も目立つが、なるたけ直しを加えず、当時の酒場の雰囲気、70年代の主人公の若さ、未熟さ、ひたむきさ、情熱を感じ取っていただければと思う。

なお、多少体験がベースになっているものの、登場人物は実在の人物と関与なく、純粋のフィクションであることを、前置きとしてお断りしておく。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

マイクと寝たロッカー

2014-03-30 00:31:16 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
ロックなジュリーをご紹介。

1980年に発売された32枚目のシングル。

おまえがパラダイス(作詞:三浦徳子/作曲:加瀬邦彦)

黒のベレーに赤いジャケット、同色の縞のTシャツがとってもおしゃれ。
マイクを愛撫する手つきが色っぽい。


マイクを倒しての熱演にベレー帽が落ちて、中途で上目遣いに髪を何度も掻き上げるしぐさも気障で色っぽい。
髪くしゃくしゃ(歌いながらバックバンド・エキゾティクスのギタリストである柴山和彦<現在に至るまで沢田研二のライブでのギタリストを勤めている>の髪をかきむしるパフォーマンス)も、決まっていますね。

まだまだジュリー熱は冷めそうにありません。

つまり、昔のジュリーのすごさがわかる年齢に熟したということでしょうか。

かっこいいなあ!

この言葉しかありません。

バラード調の曲もいいけど、ロックっぽいのもわりと好きです。


*以下で歌詞(おまえがパラダイス)をチェックできます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

息子のラップ(MTV INDIA)とメドレー

2014-03-29 15:49:15 | 私・家族・我が安宿
南のIT都市バンガロールで、コンピュータエンジニアとして勤務の傍ら、ラップミュージック活動に従事する息子から、先月のMTV INDIA放映関連の動画が送られてきたので、ご紹介しよう。

MTV Sync with Big Deal & Blaaze (動画5本)

以下では、Dreams or Reality | Two Much | Big Deal Official
らの既存曲が楽しめます。

Lyrics of your favourite songs (動画6本)

*忌憚のない感想・ご意見を戴けると、幸甚です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

州都41度、熱波の兆し

2014-03-29 15:27:18 | 私・家族・我が安宿
三月も終盤に入り、いよいよ蒸し暑くなってきた。
州都ブバネシュワールでは40度突破、当地も昨日の日中は三十度台後半だったらしく、夫が暑い暑いとぼやいていたわけもわかった。

うちにいると、わからないのである。
確かに高湿度で、全身がべっとりしたけど、大理石張りで気温は緩和されるのである。煉瓦壁の室内はわりとクールだ。

といっても、ミッドサマーになると、冷房なしではいられないが。

この時季は日本に避暑したいところだけど、近年、晩秋から冬にかけて帰ることが多く、残念である。
桜の季節だし、花見帰国もいいのだが、意図したように帰国日程が調節できない。

でも、4月に帰るのが過去何回か続き、隅田川界隈、郷里福井、京都と、満開の桜を堪能したので、よしとしよう。

さあて、音楽でだいぶ遊んだけど、少し気を引き締めて執筆に戻らないと。

暑い盛りに書くのは大変なのだが。

インドは、4月7日から総選挙、ひと月以上かけて全土で行なわれる下院議員(543名)選挙、遊説戦が熾烈を極めているが、よりにもよって暑いさなかの合戦で、運動員も立候補者も大変だ。

前2009年のインド総選挙速報も、ネット紙でお伝えしたので、今回もこのブログで折々、情勢を発信したい。
世界最大の民主国家インドの総選挙は波乱含みで、成り行きが注目されるが、予想では、野党インド人民党(BJP)の圧勝、現グジャラート州首相、ナレンドラ・モディ(Narendra Modi)が新首相就任の可能性が高い。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ヴィエンナ産赤ワインで打ち上げ

2014-03-28 21:29:46 | 私・家族・我が安宿
今日は高湿度の蒸し暑い一日だった。

インド人夫も暑いと音を上げて、急遽、ようく冷えている輸入物赤ワインを飲むことにする。

欧米人旅行者からのプレゼントと思い込んでいたが、昔うちが軒を貸していたカメラスタジオのオーナーからの一時帰国がてらの贈り物だった。

彼は、オーストリア人女性と結婚して、ヴィエンナに渡ったのである。

数年に一度帰国して、そのたびにワインをプレゼントしてくれる。

ワインスクリューでコルク栓を抜いて、今月末締め切りの小説二編、かつ前倒しでエッセイも送ってしまったことの打ち上げ祝い。

夫は一杯飲んだだけで、冷房を作動した寝室に引きこもり、サーバントにマッサージを指示、私はワインを飲みながら、連続ドラマを観た。

いよいよ、明日から人気連続ドラマ「マドゥバラ」に、前シリーズの美男ヒーロー(ヴィヴィアン・ドゥセナ)が復帰する。
ワクワク。

「COTO VINTAGE」というオーストリア産の赤ワインは癖がなくて、飲みやすい。

昨冬帰国時、香港で買ったオーストラリア産ワインもおいしかったが、それ以上だ。

インド産も、近年品質が向上したが、欧米産には負ける。

久々においしい赤ワインを飲んで満足。

昔の日本人常連さんから送ってもらった手作りみそに、きゅうりやにんじんの野菜スティックをつけてつまみとした。
みそがあまったが、みそだけを嘗めて、つまみにしても美味。

極上の赤ワインに、BGMは70年代もの熟成、Vintage Julian。
ジュリー・ワイン-Part1
ジュリー・ワイン-Part2

幸せー! 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

離婚前日妻に捧げた歌(沢田研二)

2014-03-28 16:42:47 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
ジュリーが、離婚発表前日(87年)に妻(故伊東エミさん、75年引退した双子姉妹歌手、ザ・ピーナッツの姉)に捧げたという、いわく付きの歌をご紹介。

やさしく愛して(作詞作曲BORO)

以下、ファンからのコメント。

「うーん ・・・ここからは私の自論 間違ってたら許してください。その当時でもエミさんの方がお金はきっと持っていたのだろう。ザ・ピーナツとしてあれだけの名声を得た人だったのだから。しかしあえてジュリーの稼ぎのみで生活しようとエミさんはしていた。それに対してジュリーは上のような発言をしたのだろう。余りにエミさんはジュリーに従順過ぎた。沢田にとって厳しい芸能界で勝ち続けるにはいつも今後も常に彼は先頭を切って走り続ける<ジュリー>で居なければならなかった。しかし家でぐらい弱い自分で本来の自分で居たかったのではないのかな? しかし家に帰っても自分に憧れるだけの女が居た。 自分を神と慕うだけの女が居た。自分の為だけにおのれの全てを犠牲にする女が居た。もう そんなのはうんざりだ!!ジューリ!ジュリーー!って俺は何なんだ?? 家でも外でもジュリーである事を求められ憧れられ続ける存在。その心の重さは有る意味 耐え難く理解出来る気がする。」

「もっともっとどうして優しく愛せなかったのだろう?? そんな不本意な気持ち でもそれでもエミさんの愛がこんな風に自分を育て大きな大樹になれたのだよ。 それだけはわかって欲しい・・・そんな想いだったのじゃないのかな? ジュリーは常に全力投球!前進の人だったから、愛する人もそうであって欲しかった。 自分が常に魅了される魅力を持ち続けてくれる人で有って欲しかったのでは? 頼れる女性が好きなんだよね。」

「納得。この歌の最後にジュリーが、声にならない声で「ありがとう」って言ってますが、これはエミさんへのどういう気持が込められていると思われますか?歌の中盤は泣いているのに、最後はとてもすがすがしい表情ですが。」

「人には他人からは計り知れない物がきっと有ると思う。でも今 ジュリーが幸福そうで 本当に良かったと思う。 30歳になった息子さんにもエミ元夫人が亡くなって始めて武道館の楽屋? だったかで会ったらしい。どんな息子に育ってるんだろう??('' )?? ↑ あくまでも 自論です。反論も多々有るでしょうが だから この優しく愛して・・も考えると凄く深い物を含んでる悲しい 感情のたくさん詰まった歌なんだと思った。 もっともっともっと やさしく愛せば 良かった・・・」

「この歌を夜のヒットスタジオで歌った次の日、ジュリーの離婚が発表されました。。。深いです。。。ジュリーは、この日は、日出代さんのためだけに、この歌を歌ったんですね。。。」

「その頃のジュリーには多分 やさしく愛せない事情が有ったのでしょう。 ジュリーは自分より優れた強い者に惹かれる人だった。エミさんは最初はジュリーにとって そう言う存在だった。しかし仕事も辞め全てをジュリーに賭けてしまったのは間違い。 相手が尊敬できる存在ではなく頼り切って来るだけの存在になった時、歳の離れた夫婦 母親と我侭な息子のような関係になってしまった。それはジュリーにとっても不本意な気持ちだったのだろう。そんなやさしく愛せなくなってしまった自分の罪を謝罪した歌だと思う。」

「あるところにこんな書き込みが ↓ 優しく愛せなかった・・・そんな日々 === 伊藤エミさんは多分 ジュリーのお母さんのような人だったのだ エミさんの傍で、ジュリーは大人の男になって、歩きだしたのではないか いろんな人のブログも読んだ 「あんな人・こんな人ナナメ読み」の"沢田研二とザ・ピーナツ"には、 こんなことが 書いてあった エミはあるとき病気を患い入院した。見舞いに来たジュリーに「忙しい時にすみません」と詫びる。 ジュリーはこう答える。「悪いと思っているなら、お前の小遣いから入院費を払って置けよ」。 ジュリーはそこで、「ほらそれはできないだろ」と思ったという。伝統の「形式的な」部分にはどうしても反発したくなる彼らしさが出ているとともに、この、母親にたてつく息子のような言い草に、彼らの夫婦関係がどんなものだったのか見えてくるようだ。」

「???意味がよくわかりません、前夫人とうまくいかなかったのは優しくできなかったからではな(それも事実でしょうが・・・)7歳年上の奥さんを捨てて7歳年下の田中裕子に走ったからではないですか? 20代の女が現れたら40代の妻にはたまったもんじゃないでしょうな・・・。 もっと優しくすれば良かったなんて殊勝な気持ちがあったとは思えません。」

「ジュリーの不倫や離婚を批判するのは簡単。でも 人には計り知れない 心の中の深い葛藤がきっと彼の中にも有ったのだ・・とそれを理解してあげて欲しい一心で書きました。」
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

美しい墜天使

2014-03-28 16:08:21 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
昨今、わがブログはジュリー化しているようで、ファンでない旧来の読者諸氏にはご容赦頂きたいが、ジュリー効果で読者数が急増したことも事実。

やっぱり、ジュリーはすごい!
インド発の片隅に葬られていたようなわがブログまで、威光のおこぼれにあずかるのだから、ジュリー様様だ。

昨夜で、今月末の投稿が全部終わったので、また真夜中から二時間余り、ジュリーを聞いた。

以下の曲が心に残った。

墜天使の羽音

吉田健プロデュースの和製ロキシーミュージックで、詞がとても素敵(作詞:西尾佐栄子、作曲:吉田建)。「墜天使」は私がわりと好んで用いる語で、作品(恋愛小説)にも頻々登場する。「ヘロインは果たして、彼のグル(導師)でもあったろうか、ヘロインに溺れる美しい墜天使、**よ」というような一節。

以下、この曲につけられたコメントが愉快。

「ただ、半裸で寝転んでるだけなのに、このエロスは一体なんなんでしょう。 健康な婦女子なら、だれでも頭おかしくなると思います(←ハイ、ここにもう一匹)。 アップどうもありがとうございました!!」

「い、いいんですか?見てはいけないものをみてしまったような。。。ドキドキしちゃいました。、。@「 」

「あなたの隣で眠りたい...。 こんな男、いないようー。 男も女も70年代が一番色っぽいなぁ。

「いびきをかいていたとしても、歯軋りしたとしても愛おしいかも。はい、頭おかしいです。」

「Julieさまが自分の隣にこんな感じで横たわっているところをリアルに妄想して胸が苦しくなってしまいました。ハイ、頭おかしいです。曲も素敵で早速お気に入り登録させて頂きました。Upありがとうございます。」

「真的是一個極完美的男性!活脫脫的呈現在眼前!帥呆了喇!」
(qq chanさん、中国人? 漢字だけ見てれば、非の打ち所のない美貌といっているのはわかるよね)

「Can somebody care to translate the meaning of this song ? The melody are just powerfully beautiful.」
(rostam shah baharuddinという名前から、イスラム系インド人のよう? あるいは中東か)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

二十代の輝き

2014-03-28 15:38:55 | 私・家族・我が安宿
七十年代を振り返ることで、期せずしてわが青春時代が懐かしく蘇り、ノスタルジーに駆られている昨今、正確には私の二十代は84年までだが、二十代後半からは、翳りがきざしてきたので、やはり、七十年代半ばからの五、六年が最高に輝き渡っていたときといえるかもしれない。

たくさんの人と恋をした、放蕩の季節でもあった。
奔放に男性遍歴を重ねたことは、今、創作にすごく役立っていると思う。
若さゆえの傲慢さで、「二十代にやりたいことはすべてやった」と豪語していたあの頃の私、青春のまばゆさを思うと、息もつけない。

愛おしい二十代は二度と還らぬ、そんな感傷が私を、恋の歌の魔術師、ジュリーに走らせるのかもしれない。

全身全霊込めた恋歌にオーバラップして、青春時代のラブストーリーが蘇る。

二十代の青春の輝きを多情多感に歌い上げるジュリーに、情熱的に奔放に生きた時代が重なる、あの頃は若者もずっと無垢で純粋だった、せめて、創作のなかだけでも、当時の情熱を蘇らせたいと、もくろんでいる私である。

胸いっぱいの悲しみ/沢田研二
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「インド人には、ご用心!」書評(寺島隆吉)

2014-03-27 22:10:54 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
EH(English for Happiness)研究会で知己を得た、元岐阜大学名誉教授、寺島隆吉先生(英語教育者・翻訳者、ブログ百々峰だより)に、拙著『インド人には、ご用心!』の書評をお送りいただきましたので、以下にご紹介します(EH研の主宰者・谷口雅英さんが拙著の愛読者さんだった関係で、ご縁を戴きました)。

モハンティ三智江さまの著書『インド人には、ご用心! 』について感想を書こうとパ
ソコンに向かったところです。

インドについては京都大学国際シンポジウム「大学のグローバル化と複言語主
義」に招かれて「大学における英語教育を再考する-はたして 英語力=研究
力、英語力=経済力、英語力=国際力なのか」という問題提起をしたとき、英語
を公用語とするインドについても言及したいと思って、いろいろ文献を漁って
みました。

そのときに読んだ文献には下記のようなものがあります。
*絵所秀紀(2007)書評『躍動するインド経済―光と影』、『アジア経済』53巻1号
*中村修三(2006)「インドの初等教育の発展と今後の課題」『立命館国際地域研
究』」第24号
*広瀬・近藤・井上・南埜(編、2007)『現代インドを知るための60章』明石書店
*ルース、エドワード(2008)『インド、厄介な経済大国』日経BP社
*ロイ、アルンダティ(2010)「インド経済成長の犠牲者たち―民主主義にい
ま、何が起きているのか」『世界』3月号
*ロイ、アルンダティ(2000)『私の愛したインド』築地書館
*NHKスペシャル取材班 (2009 )『インドの衝撃』文春文庫、その他

しかし、これらを読んでいても、何か坊爆としていてインドの全体像が見えてき
ませんでした。ところがモハンティ三智江さまの『インド人には、ご用心! 』
を読んだら、インドの良さも悪さも含めて、その全体像が初めて像を結んだ気が
しました。

私はインドに1度しか行ったことがありません。「911」後のアフガニスタン
に行ったとき、ニューデリーで飛行機を乗り換えました。帰りは少し時間が
あったので、ニューデリーの市内とタージマハルを訪れました。
http://www42.tok2.com/home/ieas/afghan3.pdf
タージマハルまで行くバスの車窓からインドの実相を垣間見ました。『インド人
には、ご用心! 』を読んでいたら、そのときの光景が甦ってきました。

この本は、やはりインドに生まれてインドで育ったインド人には書けない本だと
思いました。自分の国を突き放して客観視するのは、なかなか難しいことだか
らです。かといってインドを旅行したひとにも書けない本です。単なる旅行者に
は見えないことが辛辣な筆致で書かれているからです。

これはインド人と結婚し、インドに根を下ろしたひとにしか書けない本です。
『現代インドを知るための60章』はインドの全体像を紹介したように見えます
が、各章の筆者はバラバラですから統一感に欠け、読んでいても引き込まれてい
きません。が、これはモハンティ三智江さまの視点で貫かれてい ますから、し
かも文体が小気味の良いほど切れがいいので、読み出したら思わず引き込まれ
て、つい最後まで読んでしまいたくなります。

私の家内も引きずり込まれて一気に読んだのですが、読み終わっていわく。「こ
れを読んだら摩訶不思議な魅力にとりつかれてインドに行きたくなるひとと、
私はインドには行けないと思うひとの、二つに分かれるかも知れない」

しかしいずれにしても多くの読者は、読み終わったあとで(モハンティ三智江さ
まも「あとがき」で書かれているように)インド人の生態そのものか ら、「日
本人の映し鏡」「我が身を振り返る自省につながる」ものを得るだろうと思いま
した。

皆さんにも是非ご一読を!とお勧めするゆえんです。


*興味のある方には、ご購読いただけますと、幸甚に存じます。
「インド人には、ご用心!」(モハンティ三智江、三五館)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加