デビュー作
「お気をつけてよい旅を!」(インドの安宿奮戦記)を世に出す機会を授けてくださった双葉社の名編集者、
真井新さんが二年前に他界していたことがわかった。
2009年8月4日朝絶命、享年56歳だった。
名物編集長として通っていただけに、これからもっともっと世に面白い本を出してくれただろうと思うと、本当に残念だ。
昨夜、真井さんの現在の肩書きを調べる必要があって、ネットでサーチしていたら、訃報ページが出てきたので、びっくりした私だったのだ。
そもそも、真井さんとの縁が培われたいきさつについて語っておくと。
双葉社の外注先の編集代理店だったネオテック社の若い記者さんがわがインドの安宿
ラブ&ライフに取材に訪れ、私も実はライターですと明かしたら、じゃあ今度原稿お願いしますよとの話になって、後日ネオテック代表の佐藤直衛さんから直接原稿依頼が来たのであった。バックパッカー関連の情報記事だったと思うが、出来上がった原稿をファックスで送ろうとしたところ、ネオテック社の番号がわからず、直接親会社の双葉社に送る羽目になり、そしてその原稿が幸運にも当時副編集長だった真井さんの目に止まったのである。それが後日、本を出さないかとのありがたいお話が持ち込まれる好因になったというわけであった。
処女本を刊行するまたとない機会を授けてくださった恩人編集者だったにもかかわらず、長年不義理を重ね、音信不通のままでいたわが身の失態がつとに悔やまれる。真井さん、恩知らずの私をどうかくれぐれもお許しください。
こんなことなら、もっともっと親しくしておけばよかったと後悔の念に駆られることしきり。何せ、佐藤さんが間に立っていたため、編集作業は全部ネオテック越しで、真井さんご本人とは数えるほどしかお会いしたことがなかったのである。
ヨットが趣味の洒脱な都会人で(お住まいは茅ヶ崎、中堅どころの出版社の副編集長だけに年収は軽く一千万円を超えていた)、シャイな私は気後れを覚え、もっぱら佐藤さんと真井さんの会話の相槌役、作業上のことも、二人の間で取り決められ、著者の私は原稿さえ仕上げれば、あとは校正のみと、おんぶに抱っこで楽をさせてもらった処女出版だったのである。
初版五千部で印税も弾んでもらったことはいうまでもなかった。
大変に恵まれた処女出版だったのだ(増刷にはいたらなかったものの、双葉社の宣伝力のせいかおかげさまで完売した)。
もちろん、四百枚の原稿を書くにはそれなりの労苦があったが、先月出した
「車の荒木鬼」の大変さに比べると、楽勝だったのだ。
2000年2月に「お気をつけてよい旅を!」は出版されたが、ちょうどホテルがシーズンだったため帰国もままならなかった。帰ったのはなんと二ヵ月もたってからという体たらくである。出版は出し始めのヒートしているときが肝心で、ここを逃さず、宣伝に努めないといけないのに、ど素人の私はそんなこともわからなかったのである。まこと風上にも置けぬ、傲慢な作家であった。
小説を出したいと思っていた私は、ノンフィクションということで、初めての本にもかかわらず、カジュアルに捉え、真剣味が今ひとつ足りなかったのである。今思えば、本が出る間際にインドから駆けつけるべきだったし、出版社に任せっぱなしではなくもっと積極的に宣伝に関わるべきだったのだが、素人に毛の生えた程度のしょうもない甘ちゃん作家だったためその辺がとんとわからなかったのだ。真井さんにも、もっともっと礼を尽くすべきだったし、その後の縁も大切にすべきだった。シーバスリーガル一本ぶら下げて行っただけの私に名編集者はやさしく応対してくださり、アマ気分の抜けない私を大目に見てくださったものだ。
いまさら遅いが、もっともっと甘えて親しくなって、たくさんのこと授けていただきたかったと悔やまれることしきり。
辣腕編集者とのコネを保ち続けていれば、第二のチャンスも即座に持ち込まれたかもしれない。この間、真井さんは編集長に昇進していたのだから。傲慢な私は、次は小説だと気負うあまり、そっちのほうにばかり目が向いて、いつしか疎遠になっていったのである。昔の私は人間的レベルが低かったので、人との縁をあまり大事にしなかったのだ。更年期を潜り抜けなければ、今の私はなかったと思う。二冊目の単行本を出すのに十年かかってしまった理由がそれである。大手出版社からノンフィクションを書かないかとの話を持ち込まれながら、もったいないことに一蹴してしまったいきさつもあった。チャンスはいくらもありながら、掴み取る機運を逸したのである。
今もし、真井さんが健在でおられたら、当時の無礼を深くおわびして、あれもこれもとお話したいことがある。
一見温和な眼鏡顔に秘められたシャープさ、売れる本への嗅覚が鋭く、それがベストセラーを何冊も世に出した功績につながった真井さん。
サッカー、テニス、レースカー好きのスポーツマンで、サッカー批評誌や、セナの本とかも出している。故人にお世話になった著者は無論多い。
生前の人望の厚さを物語るように、茅ヶ崎での「偲ぶ会」では大勢の参加者があったという。
三冊目の本が出たら、茅ヶ崎にある?お墓をぜひ訪ねたいな。
墓前に本を捧げることで、これまでの不義理を深くお詫びするとともに、真井さんに見出された才能が今やっと三冊目の本を出せましたよとご報告することで、恩返しが出来そうな気がする。
真井編集長、二年も逝去を知らずに来てしまいましたが、今心からご冥福をお祈り申し上げます。
海を愛するロマンチックで文武両道のスマートなインテリだった名編集長に、心からの哀悼を捧げたい。
その節は本当に本当にお世話になりました。
デビューの機会を授けてくださったご恩に深く感謝します!
ありがとうございました!!!