江戸東京博物館で開かれている生誕80周年記念の手塚治虫展がにぎわっている。外国人も多い。原作漫画やアニメの原画、ゆかりの用具などファンにはたまらないだろう。その中に1点、戦前の手塚少年に母親が描いてやった「パラパラ漫画」がある。
子供の時、授業中にこっそりこれを作った人は多いはずだ。教科書などの端に1ページごと形をずらせて人や物を描き、パラパラめくると絵が動いて見える。原始的アニメである。手塚の歩みを示す多彩な展示物の、その原点が眼前にあるような気がした。
今「国立漫画喫茶か」と政府追及の的になっている国立メディア芸術総合センター構想。批判は大いにやるべしだが、「たかが」という冷笑が感じられ、昭和30年代の元漫画少年としてはせつない。
芸術も科学もしばしば1枚の紙と1本の鉛筆の着想から生まれる。漫画、アニメ、ゲームなどもそうだ。世界に冠たる「クールジャパン」とか、ソフトパワーの中核とかことさら力む必要はない。
それはパラパラ漫画のような素朴な感動や好奇心からさまざまな分野に枝分かれして増殖、発展してきた。その勢いを「国策文化」にまるめては元も子もない。もしセンターを造るなら、官は運営に口をはさまず天下りもなしが最低限必要だ。官に頼るほど漫画はヤワではない。
さて、昭和30年代には漫画も多分野あった。貧しい時で私は10円、20円の貸本が多かった。暗い。「子供が読むもんじゃない」と言われ、ますます読みたかった。漫画は反面ならぬ反骨の教師である。
センターは、きらびやかな展示や仕掛けの陰に、ぜひ今はなき貸本史料の収集とコーナーを忘れないでほしい。(論説室)
毎日新聞 2009年5月26日 東京朝刊
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