わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

ぬれ手に泡=福本容子

2009-06-18 | Weblog





 経済紙ウォールストリート・ジャーナルの電子版で金融の記事を探していたら、全然関係ない話に行き着いた。

 正しい手の洗い方。メリンダ・ベックさんというベテラン科学記者によるもので、本人の実演動画付き。最低15秒はせっけんの泡でこすりましょう。歌いながらやるといいです、とか大まじめに言っている。「ハッピーバースデー」なら2回歌う長さらしい。

 手洗いの効果を初めて説いたのがイグナーツ・ゼンメルワイスというハンガリー人の産科医だったというのも知る。1847年、医者が汚れた手で患者を診ていた時代。ゼンメルワイス先生は笑い者になり、病院から追放され、精神科病院に閉じ込められた。功績が認められたのは、20年もたってからだったようだ。

 今、手洗いを笑う人はいないだろう。でも地味な作業なので軽く見られがちだ。多くの病気から守ってくれるのに、危機が去れば15秒がせっけんなしの5秒になりそう。

 金融もいっしょ。景気がよくなると、手洗いみたいな基本から外れ「ぬれ手で粟(あわ)」の短期的利益追求に走る。

 新型インフルエンザと金融危機。結構、似たところがある。一つの国が震源でも、影響はたちまち地球規模で広がる。水際対策は限界があり、貧しい国ほど犠牲が重い。一度、恐れや不安が勢いづくと、何でもかんでも誰でも彼でも「危険」と避けまくる。

 プラスの共通項もある。スペインかぜが大流行した1919年ごろや大恐慌の30年代とは比べようのないほど進歩した技術に、富や知識の蓄積、国際協調の体制や瞬時に情報を共有できるシステムが今はそろっている。

 自信をもって。でも「ぬれ手に泡」の基本は忘れずに。(経済部)



 

毎日新聞 2009年5月29日 東京朝刊


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