わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

ある日突然=玉木研二

2009-06-18 | Weblog




 優れた風刺映画は時代を超える。キューブリック監督の「博士の異常な愛情」は1964年、米ソ冷戦期の公開だが、そのトゲ鈍るどころか、今見るとますます鋭い。

 共産主義者が水道に細工してアメリカ人の体液を汚しているという妄想にとらわれた米空軍将軍がある日突然、配下の爆撃機にソ連核攻撃を命じる。仰天の政府は機を引き戻そうとするが、無線が閉ざされ、どうにもならない。

 どうにもならないのは政府・軍要人もだ。常識あっても頼りない大統領。緊急会議中も愛人の方が気になる空軍司令官。大統領はソ連首相に事情を説明し報復しないでと電話するが、「人民の父であり、一人の男でもある」首相は愛人と密会中らしく、酔っていて要領を得ない。

 しかも、ソ連は核攻撃を受けたら自動的に核爆発で地球の生命を全滅させる「皆殺し装置」を開発し、配備したばかりという。コンピューターが支配し、人間が止めることができない。「これで攻撃されないようにする抑止効果が目的なら、なぜ配備を公表しなかった」と聞けば、来週の党大会で華々しく発表し、驚かせるつもりだったという。事態は破滅へ一直線……。

 実在人物は描いていない、とお決まりの断りを入れているが、痛烈な皮肉だ。45年たった今も映画登場者に重なり見える政治家らは尽きない。よその国の話ではない。

 さて、米軍当局は苦虫をかみつぶしたような顔をしたのだろう。映画冒頭、こんな声明が出てくる。「このような事故は絶対起こりえないことを合衆国空軍は保証する」

 その言やよしだが、かえって危機の深刻さを印象づけた。「保証」は核廃絶によってしかしようがないはずだ。(論説室)




毎日新聞 2009年5月19日 東京朝刊


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