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夢と覚醒の隙間のギャラリー

第47回 山本武夫個展 ~人間賛歌~

2014-09-24 17:38:55 | 絵画

第47回 山本武夫個展 ~人間賛歌~

日時・期間 :10月2日(木)~7日(火)AM10:00~PM7:00(最終日PM6:00)
主   催 :長野県飯田創造館
場   所 :長野県飯田市小伝馬町1-3541-1   
連 絡 先 :TEL 0265--52-0333
ア ク セ ス:JR飯田桜町駅より徒歩5分・飯田ICより車で20分
              入場無料

本当の傑作とは、弱い者に寄り添う心と、観る人の心に響く作品ではないのか。芸術が生きる喜びを歌うためのものだから。そのことが試される今展の新作であります。油彩約40点、デッサン約20点、是非皆様のご来場お待ち致しております。                     山本武夫

 

権威に抗う反逆の画家 山本武夫 ~弱き者への讃歌~

 「悲しみの記憶は弱者への共感を生む」山本武夫

  世界の人口は約71億人、71億人の資産のうち36億人分の資産を最富裕層85人が保有している。反面、22億の人々が劣悪な環境の中で生活を強いられ、8億4200万の人々が飢えに苦しんでいる。ここ日本においても貧困層が猛スピードで拡大し、世界は新たなる戦争への脅威に晒されている。この現況はもはや対岸の火事ではない。
 この状況下において弱者の誰もが叫びたいのではないだろうか。しかし、叫びなど届かないという諦念の境地に晒され、沈黙するか、見て見ぬふりをするしか選択の余地がない現在、半世紀以上にもわたり叫び続けている一人の画家がいる。それが、山本武夫だ。
 画家・山本武夫に出会った人は分かるだろうが、物事の本質や核心をはっきりと言う強いイメージがあるかと思う。しかし、それは感情の防御という仮面を観ているに過ぎない。防御の仮面を剥いだ山本は、荒涼とした丘にぽつんと1人取り残され、哀しみに暮れる光景に抗うことさえできない道化の少年だ。

 47回目を迎える個展の詳細を知ったのは一年前だ。
「久保田さん、今度やる親父の個展、今までのような売り絵ではなく好きに描かせてやりたいんだ」と同じく画家である息子の山本拓也が言った。
 確かに今回の作品群は売り絵という足枷が外され、武夫自身の無垢とも言うべき剥きだしの本音が作品に表われている。それはまるで山本武夫と言う名前を借りた道化の少年が、心の奥底に潜む人間の儚さ、哀しさ、弱さを、画を通して代弁しているかのようだ。道化少年の原点は食べることさえままならなかった戦時下の日本にある。画業50周年を記念して出版(2010年)された画集のあとがきにこう書かれている。「戦争という人災と、それに伴う飢餓と格闘した国民の苦悩は、当時子供だった僕の記憶に鮮明だ。戦争を始めた為政者の多くが自戒もなく憎い。戦争が生み出した貧困の陰で、父母たちの別居とその後の母の突然の死、当時13歳だった」

 あと僅かで戦後70年、世界、いやこの日本でも得体の知れない不穏な空気が流れだしている。ある意味冷戦以後の分岐点だ。そしてこの分岐点が、より多くの弱者や犠牲者を産み落とすことになるだろう。この妙な空気に、鋭敏な感性を備えた道化少年の憂いは止まない。だから激しくキャンバスに向かって絵筆を打ち鳴らし表現するのだ。それは奇跡といってもいい表現方法であり、観る人の心に、そして多くの弱き者の心に響き渡るだろう。

 私がインターネット上で交流するヨーロッパのアーティスト達は、山本武夫の作品を高く評価している。山本武夫が残す絵画の軌跡を、いずれ歴史が証明するだろうし、歴史そのものがその名を刻むことだろう。その時には、山本武夫も私も死んでいるかも知れない。だがその後も永遠に、山本武夫は画を介して語り続ける。

「何かを失った人の心に惹かれる。いつも心が震えているような人に・・・。本当の傑作とは、弱い者に寄り添う心と、観る人の心に響く作品ではないのか。芸術が生きる喜びを歌うためのものだから」
 それが山本武夫の本音のやさしさであり、道化の少年が奏でる人間賛歌なのだ。
                                                 メトロギャラリー 久保田弘実

http://www7.plala.or.jp/karaokecity/yamamoto.takeo..html



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