ものぐさ屁理屈研究室

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暴落はトレンド、トレンドはフレンド 4

2020-04-11 09:00:00 | トレンド・フォロー
検証について述べると書いたが、肝心のタートル・システムのポジション・サイズ・マネージメントについて述べておくのを失念していたので、補足しておくことにする。


<タートルの資金管理には、ふたつのアプローチ法がある。ひとつは、持ち高(ポジション)を複数の小さな単位に分散する方法だ。そうすることで負けトレードになっても、損失の発生はポジションの一部に限定される。リッチとビルは、分散したこの小さな単位をユニットと呼んだ。
二つ目は、それぞれの市場に適したポジション・サイズを算出することで、タートルはこれに、リッチとビルが考案した革新的な手法を用いた。この手法は、金額ベースでの日々の市場の上下動を基準にしている。リッチとビルは各商品の値動きが金額ベースではほぼ同額になるようにそれぞれの契約枚数を決定した。ふたりはこの変動尺度をNと名付けたが、今ではATR(アベレージ・トゥルー・レンジ)・・・と呼ぶほうが一般的だ.。
・・・・
取引単位(ポジション・サイズ)を変動性で調整をするという概念は、さまざまな書物で扱われている・・・だが、1983年当時は、この概念はきわめて革新的だった。あのころのトレーダーの多くは、さまさざまな市場のポジション・サイズを、大まかで主観的な尺度かブローカーの証拠金率をもとに決めており、これらは変動性とは大まかに関係しているにとどまっていた。>

<リッチとビルは、ある程度長いトレーディング経験のある人なら誰でも承知していることに間違いなく気付いていた。それは、多くの市場は高度に相互関係がある事、そして、大きなトレンドの終わりが来て、ツキから見放された時、すべてが一斉に自分に不利に動いているように見える事だ。そして、トレンド崩壊の乱高下期には、ふだんは相互関係がないと思われた市場までもが連動してくる。・・・・そのようなリスクへの対抗策として、リッチとビルは私たちの取引にいくつかの制限を課していた、まず、ひとつの市場について、最高4ユニットまで。二つ目に、市場間に高い相互関係がある場合はグループごとに最高6ユニットまで。3つ目に、任意の方向に最高10ユニットまで(買い持ちに10、または売り持ちに10という具合に)とした。相互関連のない市場でのポジションであれば、この数字は12まで上げる事が出来た。>
(『タートル流投資の魔術』)


一読しただけではよく意味が解らないかも知れないが、ここでは非常に重要な考えが示されている。それは一言で言えば、リスク・マネージメントであるが、これはマネー・マネージメント(資金管理)とか、ベット・サイジング(投入資金額の決定)とかポジション・サイジング(ポジションサイズの決定)だとか様々に言われているが、投資においては最も重要な項目の一つである。

一つ目は、市場の相関性或は非相関性に関するリスク・マネージメントで、タートルズの場合は多くの異なった市場に投資をするのでこういったルールになる訳だが、これは日本で株式投資をやっている人には殆ど意識さえされていないリスク・マネージメントで、この考え方から敷衍して言えば株式投資専門であっても他の市場、為替や債券、金利や資源などの動向には常に注意を払って置く必要があるということである。

例えば今回の暴落は一般にコロナショックが原因と考えられている様だが、実際のトリガーとなったのは明らかに原油価格の暴落であって、その波及効果ー相関性についての認識があれば、リアルタイムで異常を察知することが出来、事前に何らかの対処が出来たはずである。

この点で、普通はファンダメンタル派といわれる多くの投資家が、個々の企業のファンダメンタルには細心の注意を払っているのに対して、経済一般のファンダメンタルには殆ど注意を払っていないのは、私には非常に危く見える。これはテクニカルでも同様だが、ミクロの分析だけでマクロの視点や分析がないと、こういった今回のようなマクロの急変によって、一気に十把一絡げで刈り取られてしまうことになる訳である。

ここで、では、なぜ原油価格が暴落すると株式市場が暴落することになるのか?この点についての説明はあまり見られないようなので簡単に私見を述べておくと、背景にはアメリカ対ロシア・サウジの新旧石油輸出国間の軋轢がある。近年、アメリカはシェールガス革命によって世界最大の石油輸出国に成り上がった訳だが、これを快く思わないロシア・サウジがアメリカ潰しのために減産に反対するだけではなく、さらには増産に向うという体力勝負へ打って出たというのは、ニュースでも報道されている通りである。だが、なぜ原油価格が暴落すると株式市場の暴落に繋がるのか。

結論を先に述べれば、それはリーマンショック時と同じようにアメリカの債券市場のシステミック・リスクに繋がるからである。アメリカのシェールガス革命を担った企業群は、多くの社債やCPを発行しているが、いろいろな複雑な仕組債に組み込まれてもいる。従って、これらがサブプライムローンと同じような位置にあって、原油の急落によってこれらが火種になる蓋然性が非常に高いということである。つまり、ロシア・サウジ対アメリカという構図は、国営企業対民間企業という構図でもある訳で、これが前者が体力勝負に出た理由でもある。まあ、大体、以上のような大雑把な説明だけで必要にして十分だと思うが、FRBが例を見ないような緊急利下げに踏み切ったのも、この認識によるものだと私は捉えている。こういった恒常的に存在するアメリカの債券市場のシステミック・リスクという観点から、アメリカの10年物国債金利は常にモニターして置く必用があると常々考えているので。前にも3%を越えたら要注意と書いたことがあるが、少し上がりかけたが今回は落ち着いたので一先ずは回避できたようである。しかし、コロナショックが追い打ちを掛けることも十二分に考えられるので、目が離せない。ちなみに、VIX指数を注目しているファンダメンタル投資家も多い様だが、あんなものはファンダメンタルでも何でもなく、遅行指標にしかならないので私には大いに疑問である。

そして、二つ目はボラティリティー、言い換えると変動リスクに基いてポジションサイズを決定するというリスク・マネージメントである。<1983年当時は、この概念はきわめて革新的だった>と書かれているが、現在においても十二分に革新的である。

<あのころのトレーダーの多くは、さまさざまな市場のポジション・サイズを、大まかで主観的な尺度かブローカーの証拠金率をもとに決めており、これらは変動性とは大まかに関係しているにとどまっていた>と書かれているが、これは現在でも同様であって、資金の何パーセントを割り振るといったduke氏と同じような方法を取っている人がほとんどだと思うが、タートル・システムはそういった考え方とは一線を画している。

これは具体的な例を挙げた方が判り易いだろう。

A-1000円の株とBー2000円の株があって、これらを買うとする。この時にduke方式ではAの購入数量はBの2倍になる訳だが、タートル・システムでは逆に高い価格であるBの購入数量が2倍になることもあり得る。実際にはATRという指標(これは端的にボラティリティーを示す指標である)を使って、これに基いて購入数量を決めるので、その時点でのBのボラティリティーがAの半分なら2倍の購入数量になる訳である。当然、ストップの損切り幅もATRに基いて入れる(タートル・ルールではATRの2倍)ので、損切りになった場合の両者の損失額=リスクは同じになるという訳である。結果、こういう方式を取ることによって、タートル・システムにおいては、株であれ先物であれ為替であれ、どのような投資対象であっても、ポジションのリスクを同じ数値にすることによって、一元的なリスク管理ができることになる訳である。

私はこの本のこの部分を読んだ時、大げさでなく目からうろこが落ちたような感覚を持ったのを、今でもありありと覚えている。「世の中には凄く頭の切れる人がいるものだ」と。この時、初めてリスクマネージメントとは何かを理解したと言っても過言ではないように思う。

これは言い換えると、投資においてはリスクというものは、当たり前のことだが、相場によって決定されるので、結局相場という御主人様には徹底して従順でなければならないという事である。従って自己中心的な考えではリスクマネージメントなど覚束ないという事であって、相場と言うのは個々の市場参加者の資金量だとか買値だとかには関係なく動いていく。この観点から見れば、資金量からポジションサイズを決めるとか、10%下がったら損切りするとか、2倍になったら売るとかいったルールが、いかに自己チューなものであるかは言うまでもないだろう。結局、そういった諸々の投資に関するルールは相場(における何らかの根拠)に基づいて決められなければならないというのが、リスクマネージメントの根幹にある考えであるという事が、腹に入って理解できたという事である。そして、これはまた勝率や損益比率の数字に直結する話でもあって、相場認識の重要性へと繋がってゆく話でもあるので、多分この文章は一度読んだだけでは良く判らないと思うので、この点はよくよく考えを巡らせて頂きたいと思う次第である。

なお、こうした考え方によるポジションサイズ・マネージメントは、ファンドの運用においては、リスク・パリティーと言ってリーマンショック以降標準的な方法とされるに至っているようだ。このことからもタートル・システムというものが、如何に先進的・革新的であったかが判ろうというものである。





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