ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

宇多田ヒカル(続)

2018-01-30 00:00:01 | 宇多田ヒカル


 音楽家宇多田ヒカルの際立った特徴として、アルバムごとに毎回実験的なアプローチを取ることが挙げられよう。デビュー以来、ここまで作品が変わり続けているミュージシャンも珍しい。これは彼女の高潔なプロ意識にもよるのだろうが、ここにはもっと本質的な人間的な資質に根差したものがあるように私には思われる。私は次に挙げる自分を語った二つのインタビューの文章が、この資質の基底部とでもいうべきものを鮮やかに表していると思うのだが、どう思われるであろうか。

「たまに意味なく泣けてくるんだよ。なんのこっちゃって感じ。そういうときは泣きやむ秘訣があってね。まあ、泣くのも脳にいいらしいんだけどね。だから最近は我慢しないんだけど、それでもどうしてもマズイと思ったときは、鏡を見るの。自分を。そうすると笑いだしちゃってしょうがない(笑)。すごい顔してんじゃん、泣いてる人間って。」

「最近衝撃的だったことでいうと、私、波が激しくて、すっごくテンション高い時期とか、もうほんとに起き上がれないないぐらい落ち込んでる時期とか、ま、軽くうつだよね。結構ひどい。もう、シャワーも浴びれないぐらい。出かけられない時期もあったりして・・・・で、何か「私もう死んでるみたい」とか思って、「どうしようヤバいな」ってときに、ちょっと調子よくなってきたから散歩に出て、電車の真上にある歩道橋のところを天気のいい日の夕方に一人で歩いていたの。で、「ああ、このスポットいいなー」とか思ってずっとそこに立ってたら、スプレーペイントの落書きで「お前は生きてるのか?死んでるのか?」って書いてあったの。で、何か「うわっ!」とか思って、「今の私にすごいグサッとくるんだけど、これ」とか思って、どうせバカな男の、若い男の子がガッて書いたんだろうなって思ったんだけど。で、「あ、そうだ、生きてるんだから。うん、仕事して、遊んで、ちゃんと、うん、やってかなきゃ」って思ったのね。うん、何か「ここに来てよかった」と思って。で、よく見てたら、「生きてるのか?」の送りがなが間違って、「生てるのか?」になってたのね。「き」がぬけてるの、「う、ダッセー!コイツ」とか思って、逆にそれでテンション上がって。「バカだコイツ、バカだ!」って思って。「こいつバカだ、私もバカだ」とか思って、それが何かやる気になって、すごくいい体験だった。」

「on・offが激しいとは言われる」という言葉も「語録」にはあるが、彼女はどうやら心にある種の病みを抱えている人間のうちの一人のようである。

 いささか余談になるが、ここで課題をちゃんとこなしたという証に眼に止まったいくつかの点を挙げておくことにする。いずれもバラエティー番組での事であるが、一つは確か『新堂本兄弟』という番組だったと記憶しているが、ハンバーグ嫌いを表明している発言である。その理由として、「もともと一つの肉をわざわざひいたのに、またあえてくっつけるのがなんか理不尽だ」と、怒るようにして述べていたのが非常に印象に残っている。とんねるずの『食わず嫌い王』では「子供の食べ物が嫌いだ」とか言っていたようだが、私には本当の理由はこちらの方だと思われる。つまり、嫌いなのはハンバーグそのものというよりも、それが象徴している「理不尽さ」、「もともと一つのものを、わざわざ別にしてまたあえてくっつける」という「理不尽さ」にあると思われるのだ。ここで直ぐに思い浮かぶのは、彼女の幼少期の家庭環境である。ここに結婚離婚を繰返す両親に人生を翻弄された子供のトラウマを見るのは、下衆の勘繰りというものであろうか。(なお、彼女によれば両親の結婚離婚回数は何と六セット!との事である。)

 もう一つはこれも確かダウンタウンの番組だったと思うが、差し入れの好物の寿司の風呂敷の包みを開けられないでツッコミまくられていた事である。これは、彼女自身ブログにも書いている。

「えーところで「苦手」というものは誰しも持っていますね。私の苦手その一は、ものを開けることです。パッケージを開けるとか、手紙の封を切るとか、プレゼントを開けるとか。そんなことが非常にへたくそです。物理的に下手で、プラスチックのパッケージなんかとは長時間格闘したあげくに品も私もぼろぼろになって終了・・・って感じなんだけど、精神的にも新しいものを箱や包装から取り出すということに抵抗があって、新しいゲーム機とかキーボードとか買ってもしばらく開けられなくてそのまま放置。かわいいお皿をいっぱい買った時も、一ヶ月袋のまんまにしてて友達に信じられないと言われたこともありまーす。」

 これは、もう「苦手」とか「不器用」とかいったレベルの話ではないだろう。彼女自身「精神的にも抵抗があって」と書いているが、私はここに「抑圧 Verdrangung」の一症例を見る。明らかに彼女の中には、ものを開ける事を「拒否している」もう一人の自分がいる。勿論、彼女が「抑圧」しているものが何であるのかは、安易にどうのこうの言える筋のものではあるまい。
 そして、その最たるものは「くまちゃん」であろう。これも、単なるぬいぐるみ好きの少女趣味やオタク趣味などといったものとは全く次元を異にしたものであろう。彼女は「くまちゃんとしゃべってます」と述べているが、これを比喩と取るのは間違いだろう。私はそこにある種の凄みさえ感ずる。恐らく、このことは先の二つとも彼女の識域下の深い所で繋がっているのではと思われるが、一体、この彼女のドッペルゲンガーの正体は何なんだろうか。彼女は「実物のクマではなく、クマと言う概念」とも言っているが、この「くまちゃん」のかわいい無表情な顔の下には一体全体何が潜んでいるのだろうか。そこには眩いばかりの明るい光源があるのだろうか。それとも不気味な深淵が黒々と口を開けているのだろうか。恐らくそこには・・・、いや、止めておこう。何処からか声が聞こえてくる、覗いてはならぬ、見てはならぬ、知ってはならぬ、と。

 さて、回り道で更に道草を食っているような按配になってしまったが、あえて道草を食った私の下心は賢明な方には推察していただけると思うので、最初の二つの文章に戻ろう。彼女は「確かに、私の歌詞の中には、底知れぬ絶望を歌ったものもある。でも、希望を書いた歌詞はもっともっとある」と述べているが、絶望を歌う事が出来るのは絶望と戦って勝った人間だけである。絶望に負け絶望に溺れていては、そもそも絶望を歌うことすら出来まい。絶望を歌うこと、そこには絶望という敗者を見据える勝者の冷徹な健全な目があるのだ。客観的な健康な目があるのだ。一般に創造行為というものにはそういった一見病的でいて実は健康な、一見簡明でいて実は複雑な逆説的な事情というものがあるのだ。ここでもう一度先の二つの文章を読み返して貰いたいが、この二つの文章に光っているのもそういった勝者の冷徹で健全な客観的で健康な目だ。そこに見据えられている彼女の資質の基底部とは何か。それは、ほとんど本能的なと言って良い精神の素早い復元力である。

 彼女の中では「on・offが激しい」という精神の在り様に対して、「on」か「off」かの感知センサーが常に作動していると言っても良い。「落ち込んでる」、「軽くうつ」といった「off」の兆候にセンサーが異常を感知し警告音が鳴り出すと切っ掛けを探して彼女は動き出す。この場合、切っ掛けは切っ掛けに過ぎないので何とでも取り替えが効く。それはある時は「鏡に映る自分の泣き顔」であったり、ある時は「歩道橋のスプレーペイントの落書きの送りがなの間違い」であったりする。別の時には、それは空に浮かぶくまの形をした一片の雲かも知れないし、読み止しの古本のページの上をのたのたと歩む紙魚の一軌道曲線かも知れない。或はスタジオで食べたみかんのへたの淡くほろ苦いフレイバーであるかも知れない。そしてこの「切っ掛け」に対しても同様に感知センサーがあり、このセンサーが感知すると同時に彼女の精神は身を翻す。身を翻せばもうすでに「落ち込んでる」「軽くうつ」の状態からは脱出してしまっている、瞬時に「off」から「on」に切り替わってしまっているのだ。この本能的なとでも形容すべき精神の変り身の速さは見事という他はない。ほとんど速度に達している。ここに、まるで子供がじっとしていたかと思うと次の瞬間、いきなり身を翻して駆け出していくといったような、一種生命力の迸りを私は感ずる。つまりこの彼女の資質の基底部の特徴とは、言ってみれば負から正へのこの本能的な復元力の弾性係数とその復元運動における加速度係数の二つの数値の高さにあるのだ。
 例えば、彼女の次の文章にも私は同じこの資質の基底部というものをはっきりと感じる。

「「諦め」という屍を苗床に、「願い」と「祈り」という雑草が、どんどん私の心を覆い尽くしていった。絶望が深くなればなるほど、この雑草もたくましさを増すようで、摘んでも摘んでもまた生えてくる、やっかいなものだった。
でも「願うこと」「祈ること」は、「求めること」と決定的に違う。それは「希望」と「期待」の違い。(前者は、してもいいことなんだ・・・っつうかどうしようもなくね?)と気付いた。それに、願いと祈りをなくしたら私になにが残るだろう。人ではいられないだろう。
ならば雑草よ、好き放題に生えるがいいっ!」

 そして、この本能的な復元力はさらに自らを復元し、その微分係数へと純化され結晶化される。すなわち復元運動は不断の復元運動へと永続化し、ここにおいて彼女の資質は変化そのものと化す。先に「資質の基底部」というような生硬な舌っ足らずの言葉を使ったのは、言うなれば彼女の資質はこのように二段構えに構造化されていると考えるからだ。そして、この彼女の資質がその作品制作過程において、停滞という負を嫌い遺憾なくその能力を発揮することで、変化し続ける音楽家宇多田ヒカルが誕生したと考えるのは私には極めて自然な考えに思われる。それを彼女の過去の作品に丹念に辿っても良いが、ここでは御用とお急ぎのある方のために割愛する。この小論の能くするところではないし、そう難しい仕事ではないからだ。
 代わりにここで、この自らの資質を「ホラホラ、これが僕の骨だ」と差し出した彼女自身の言葉を挙げておこう。

「自分で育てたもの、はぐくんだものを、
自分でそうあってほしいと思ってなった世界を、
自分で壊すっていうのが、
ホント・・・・なんでだろうって・・・・。
そういうことの繰り返しのような気がしたのね、
人生が。」

だがこの不断の変化というものは、当然の事ながらまたある種の危機を孕んだものでもあった。




 先にも触れたように、私はアルバム「HEART STATION」に音楽家宇多田ヒカルの危機を見た。あらゆる分野における早熟な才能―ここで彼女の好きなモーツァルトや中原中也を例として挙げても良い―に共通な夭折の危機を見た。いや、「見た」というよりも「聞いた」と言ったほうがより正確かも知れない。そこに有り余る才能が空転し唸りを立てている轟音を・・・・、いやいや、この音はそんな生易しいものではない、むしろ自らの有り余る才能が音楽家宇多田ヒカル自身をバリバリと食らい尽くす、不気味な恐ろしい音を聞いたと言ったほうがよい。

 アルバム「HEART STATION」のオフィシャルインタビューのサマリーを読むと、そういった危機感などと言うものは微塵も感じられない。だが、前に述べたように私は一音楽遭遇者の特権を最大限に利用するのみだ。私のこのアルバムに対する印象に忠実に従って、その内容を再構成するのみである。彼女自身でさえ「嘘ついたりしてると思う」と言っているではないか。何度も言うが、本来最も芸術家自身を雄弁に語るものは、その作品に他ならないからだ。
 彼女のアルバムを最初の「First Love」から順を追って注意深く耳を澄まして聴いてきたものには、その音楽が「ULTRA BLUE」において空前の高みに達し、ここである頂点を打ったという感じを受ける。そこには豊饒という言葉が自然と連想されるほどに、充実しきった音楽的才能の多様な方向性への開花が易々と達成されている。不思議な事にこういった評はあまり見られないようだが、このアルバムには一つの恋愛の初めから終わりまでの精神の振幅の総て―予感、高揚、齟齬、懐疑、修復、悲嘆、皮肉、諦念、回顧ーが、見事に活写されている。タイトルの「ULTRA BLUE」の意味については、『点ーtenー』の中では才気走った訳のわからない説明がなされているが、アルバムの内容に即して素直に考えれば、この恋愛が終わった時点での精神状態を象徴的に表したものと取るのが自然だろう。それをここで野暮を承知であえて翻訳すれば、「無茶苦茶憂鬱」とでもなろうか。このアルバムはピクチャー・ディスク仕様になっているが、表の例によって彼女の大写しのパケ写のスリーブを開けると、目を瞑って血の気の失せた殆ど死人の様な彼女が出てくるという仕掛けになっている。服の色も表の赤からブルー、それもむしろ青白い色合いへと変わっていることは、アルバム・タイトルと合わせて私には非常に象徴的なパッケージ・デザインだと思われるのだが、どう思われるであろうか。そもそも彼女の歌詞における「ブルー」や「青」という言葉は、重要なキー・タームであって、「BLUE」という曲では「私の一番似合うのはこの色」と言っているように、いわば彼女の人生という楽曲の基本的調性として、「ブルー」はあると言って良い。これをこの曲では、「そんな年頃ね」とか「道化師のあはれ」とか「ブルーになってみただけ」とか、強がったり、突き放したり様々に表現しているが、つまりは「根暗なマイ・ハート」(「Making love」)というのが彼女の自己に対する基本認識であるようだ。例えばいささか先回りした言い方になるが、この自己申告による根暗女宇多田ヒカルという人間を考えるに当たっては、非常に重要な意味を持つ楽曲ー「嵐の女神」における「こんなに青い空は見たことがない」という歌詞は、この意味で取ってこその「青い空」であろう。つまり、これもまた野暮を承知であえて註釈するとすれば、「嵐の女神」たる母親を想う時、「見たことがない」程「憂鬱」になるという事である。
 それは兎も角、「ULTRA BLUE」というアルバムにおいては、皮肉にも現実における恋愛の崩壊という悲劇故に返って才能は研ぎ澄まされ、ために高度な芸術作品への昇華が達成されることとなったのである。誤解を招く言い方をすれば、私にとってその魅力の本質を成すものは、鬩ぎ合う多様な軋轢を纏め上げる力技そのものである。この意味で、「ULTRA BLUE」に刻印されているものは、彼女の天稟の個性の深刻な強度と筋金入りのしなやかな多様性であって、それらを纏め上げる力技の充実度においてこのアルバムは真に代表作と呼ぶのに相応しいと思われるのだ。
 それに対し、この「HEART STATION」というアルバムは、一体に、私には何かしら散漫なとっ散らかった印象が感じられる。名曲ぞろいだがよくあるベスト盤のように。これまでの彼女のアルバムにおいて増してきた、多様性を纏め上げる統一性が感じられないように思うのだ。熟達した手腕によって纏め上げられてはいるが、結局のところ手慣れた手腕によってあり合せで間に合わせた無難な手堅さが、返って一種散漫な印象を与えているとでもいった風に感じられるのだ。個々の楽曲は、恐るべき高度な完成度にあるにも拘らず。

 これはどんなミュージシャンにも言えることだが、自らの音楽スタイルにおいて、これ以上には登れない高みというものが存在する。一旦、この高みに登りつめると別の音楽スタイルを模索し新たな高みを目指すか、或は自らの作品の同種のコピー作品を量産するようになる。総てのミュージシャンは、単にこの両極端の軸の間のどこかに座標を持つのに過ぎない、という言い方をしてもそれほど間違った言い方にはならないだろう。私はこの「HEART STATION」に後者の危機を見た。それは彼女の資質があれほど嫌った負の停滞、マンネリズムという危機に他ならない。
 この点に関して「HEART STATION」のオフィシャル・インタビューのサマリーの中で、彼女は楽曲「Prisoner Of Love」について非常に興味深い発言をしている。

「最初のデモの段階ではそういう気持ちは全然なかったの。リズムと普通にピアノが入ってて、こういう曲調って私の十八番みたいな・・・・、最初の頃によくやってたみたいな感じだからしばらく避けていたというか。こういうのはやりきった感があって、前にもやった感じだからやらないっていつも思って、そういう曲調とかコード展開とかやらなかったんだけど、今回はテーマとしてすごく素直にやるみたいなテーマがあったから、そういうふうに不自然な避け方をしないで、これが好きなんだからこうなんです!という感じで作っちゃえばいいんじゃないの?と思って、今までの別の作品とかを意識しないで作った。いわゆるお家芸を封印していたみたいなのがあったから、それもなんか面倒くさいな、と思って。うん、だから「素直になったなあ」と思って。」

 このアルバムのテーマとして「すごく素直にやる」というテーマがあったらしいが、それは彼女が同時に言っているように「減らしていくしか進み方が生きていくにはそれしかない」という事だったかも知れない。或は変化に変化を重ねて螺旋的に元に戻ったという事だったかも知れない。だが私には、そこに枯渇というものが透けて見える。やれる事はやり尽くしてしまった結果、封印していた「お家芸」を持ち出さねばならなくなってしまった、窮地に追い込まれた音楽家が見えるのだ。楽曲「ぼくはくま」についても、これが転機になって「素直な曲作りができていったから、これはアルバムに入れないとつじつまが合わない」と述べているが、こういった童謡というスタイルもその内容も、私の目には自らの内を散々漁り尽くした後の窮余の一策と映る。「もう、くまちゃんのことをカミングアウトした時点で、すごい解き放たれたの」と彼女は述べているが、これはカミングアウトするものがもうくまちゃんの事くらいしか残されてはいなかったと私は読み替える訳である。

 はっきり言えば、私は「音楽家宇多田ヒカル」はアルバム「HEART STATION」で総ての持てる財産を使い果たしたのではないかと思う。これは言い換えれば「音楽家宇多田ヒカル」にとっては枯渇という「死」を意味する。彼女ははこのアルバムを作ることで、その事を思い知らされたのではないのだろうか。私は想像するのだが、このアルバムの製作によって、彼女にはかってない危機が訪れたのではないだろうか。恐らく彼女はこれまでにない凄まじい塗炭の苦しみを味わうところにまで追い込まれたのではないだろうか。ああ、何と言う事であろうか。その才能は進化することを止めず有り余る力を持て余しているのにも拘らず、もう彼女には歌うものが何もなくなってしまったのだ!私には、内に漲る才能のエネルギーのはけ口のない自家中毒の苦しみにのた打ち回る彼女の姿が眼に浮かぶ、異常感知センサーの警告音が鳴り続けている中で・・・。
 気力体力が最高潮に達した状態でリングに上がったボクサーの前には、対戦者ブルーは現れなかった。いや、相手はそんな名前ではなかったし、そもそも対戦者すら存在しなかった。ふと周りを見回すと、立っているのはリングの上などではなかった。何もないだだっ広い荒涼とした荒野の中に、彼女はたった一人立ち尽くしていた。どす黒い雲がむくむくと湧き上がり、ついで雷鳴が聞こえ、嵐の到来を告げていた。彼女は「宇多田ヒカル」であろうか。いやいや、そんな名前であるはずは無い、リングネームなぞ意味を持たぬ。本名でさえも、もはや意味をなさぬ。それは「宇多田光」という名前でさえも偶然な、人生の危機という極限状態における一人の人間の姿である。それは僕らみんなの人生の危機におけるぎりぎりの姿に他ならない。

 私の眼に入ったところでは、この後彼女を襲った危機の嵐について語られた彼女の文章が二つある。一つは『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』発売時の幾つかあるオフィシャル・インタビューの内の一つ、その中にある次の一節である。

「10周年のときは、内輪の友だちだけ呼んで誕生日祝いをやった……、みたいな感じだったかな。節目ってさ、迎えたときがメインじゃなくて、節目のあとに何が来るかなんだよね。あとで何か変化が来る、みたいな? でも、何が来るかはわからない。だってまあ、ただやってれば10周年までは迎えることができるんだろうけど、そのあとどうするかだからね。普通は記念コンサートとかいっぱいシングル出したりとかするんだろうけど……、そういうテンションではなかったっていうか。それどころではなかった……かな。なんだろ、すごい普通に、女性としてというか、いち人間として、けっこうキツいタイミングだったから、このまま行ったらヤバい、いままでのやり方じゃダメだ、ちょっと立て直さないとって、初めて危機感を感じてたの。でも、“疲れちゃった”っていうのは、適切な表現ではないかもしれない。逆にいいエネルギーは出てたのね。ただ、そのエネルギーを何に向けたいかっていう問題で……。なんかこう、いろんなことをリセットしたかったんだと思う。」

 そして前後するが、もう一つは「HEART STATION」発売約八ヵ月後のブログの「Devil Inside 」という投稿である。先のインタビューの内容と考え合わせると、私には彼女の測鉛は自らの精神の一番深いところにまでは達していなかったと思われる。どうやら思い知ったのは左手の「宇多田ヒカル」だけであったと思われるからだ。

「やべーことに気付いた。
私が描いた絵はね、老婆が入れ歯の入ったグラスを持ってるじゃん。左手で、右手を掴んでる。
「お口直し」で手前に飾ってある写真立ては、ジュエリー屋さんで一目惚れして買ったものなんだけど、店に飾ってあった時のまんまにしてあるのね、モナリザの小さな写真、なんか似合ってるなと思って。
モナリザは逆に、右手を左手の上にそっと置いてる。
最近のメッセで、私が寝ている間に右手で左手を、アザになるほど強く掴んでるっぽい、っていう話してるじゃない?(私本当に握力すごいの)
老婆とモナリザと私。つながってもうた。
老婆の絵を家に飾り出したのも最近。モナリザが入ってる写真立てを買ったのも最近。私が右手で左手を掴んでる画像をメッセに載せたのが一番最近。
はあ~・・・なるほど・・・って感じちゃった・・・。
「判明」のメッセを書いた時ね、大岡昇平の『野火』っていう小説のことを思い出したの。13くらいん時に授業で読まされた時からすごく好きだけど、一番印象に残ってたのは、主人公の田村が、左手を右手で掴んで死んだ仲間の肉を食べようとする自分を必死に抑制する、っていう場面だったの。(たしか・・・)
大岡昇平はキリスト教のモチーフをよく使うけど、左手が悪魔や苦しみの象徴で、右手が救いや神を象徴する、っていうのは、聖書にもコーランにも共通する考えなの。(他の宗教もあるかも)
科学的にも、左脳(右手)は理性、右脳(左手)は感情とか、っていうふうに言われてるでしょ。昔の人たちは直感的に、そんなこともう分かってたんだよね。
ちょっと難しい話になっちゃったけど、要するに、私が無意識の時に右手で左手を強く掴んでるのは、もしかしたら、私の中の悪魔を、私の中の神が、押さえ込もうと格闘してる現れなのかな、って思わされたわけっす。
悪魔は悪いやつじゃないと思うんだけどね(笑)
っつかむしろ私が理性的に閉じ込めてる、心の奥底からの訴えを、聞いてあげないといけない時なんだろうね。
ちょー納得。
なんか安心した(笑) 」

そして、この左手の「宇多田ヒカル」の危機に際し、もう片方の右手の「宇多田光」が驚くべき行動に打って出た。



さて、回り道も終わり、私の文章も最後の難所へ、最終コーナーへと差し掛かったようだ。

「音楽やってるの、親のためだったんだよね。猫とか犬とかが芸をするような感じでさあ」と彼女は語ったことがあるが、本当は音楽活動は自らの自発的内発的な意志によるものではなかった。この意味で「音楽家宇多田ヒカル」と「実生活者宇多田光」との間の拮抗、軋轢という矛盾はそのキャリアの当初から存在したと言うことが出来る。勿論、その後の音楽活動キャリアの中で、自らの音楽家としてのアイデンティティーは明確に獲得され、この矛盾は雲散霧消したかに見えた。

「15歳でデビューして、有名になって、自分が望んでいないものがポンと入ってきちゃって。周りからは『幸運』みたいな言い方をされるけど――私からするとこんな十字架みたいな役目なんかいらない――そう思っていた部分があって、普通に大学に行って、会社に入ってとか、ね。今は自分の環境とか仕事とか立場とか全部に対して和解したけど。」

 言い換えれば、この戦いにおいて「実生活者宇多田光」は敗走に継ぐ敗走を重ね、もはや大勢は決したかに見えたと言っても良い。だが、ここに「音楽家宇多田ヒカル」最大の危機、夭折という危機がやって来た。もはや「音楽家宇多田ヒカル」は死に瀕している、為す術はない。私には、ここに至って彼女の資質の基底にあるあの強力な復元力が「音楽家宇多田ヒカル」に対する「実生活者宇多田光」の反乱という形を取って現れたと思われる。すなわち、ここにおいて突然、厳かに宣言された「音楽家宇多田ヒカル」の「無期限休業」と、それとセットになった「実生活者宇多田光」の「人間活動」とは、両者の逆転劇を明白に物語るものと私の目には映る。つまり「人間活動宣言」とは一言で言えば「音楽家宇多田ヒカル」の危機に際して「実生活者宇多田光」が翻した反旗に他ならない。「人間活動宣言」に署名欄があるとすれば、そこにはきっと「宇多田光」という名前が書き込まれている筈である。実際、「無期限休業」と「人間活動宣言」が告知されたブログ・エントリーは「宇多田光」名義でなされた事は、あえてここで指摘するまでもあるまい。
 そして、この事は皮肉にも、いや幸いにも「音楽家宇多田ヒカル」に対しては延命処置を施す事になった。歌うに足るコンテンツという一時のカンフル剤を与える事になったからだ。『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』に収められた新曲五曲はその結実に他ならない。それは瀕死の「音楽家宇多田ヒカル」にとっては、自らの危機とそれに対する「実生活者宇多田光」の反乱を歌う事しか残されてはいなかったと言い換えても良い。この五曲とは、この意味で、この意味においてのみ「音楽家宇多田ヒカル」の白鳥の歌であると言うことが出来よう。つまり、これらの白鳥の歌に通底するルート音は「二兎を追う者、一兎をも得ず」(「Show Me Love (Not A Dream)」)である。

 この五曲を初めて聴いた時、これまでの彼女の曲とは何かしら全く違った異様な一連の曲が突然目の前に出現したという感覚を覚えた。そのある種のショックを伴った驚きを今でもありありと覚えているが、これまでの曲が言わば非常にソフィスティケイトされ洗練された高品質の作品であったのに対し、この五曲は乱暴なと言えるほどになりふり構わず赤裸々に自分を語ろうとしているという印象を受けた。あたかも卵にひびが入り殻が割れ、その殻の間から本当の宇多田ヒカルが今正に姿を現そうとしている、とでもいったような強い印象を受け、ああ、彼女はここまで追い詰められたのかという感慨を私は持った。何を大袈裟なと言われるだろうか。
 そして後日、オフィシャル・インタビューの中で次の彼女の言葉に出くわし、総てが判ったような気がした。

「新曲は入れたかったの。曲も作りたかったし、言いたいことがあったんだよね。言いたいことがあるって初めてなんだよ。今までは取材とかで『皆さんに向けてメッセージを』なんて言われても、『申し訳ないけど、曲から汲み取ってくれれば良い』って感じで、自分でも実はそんなに分かってなかったのね。でも、今回はすごく大事なことについて考えた。言いたいことが自分の中にちゃんとあったの」
「この4曲って、全部同じことを言ってるのね。自分との和解であったり、過去との和解であったり、“愛するってどういうこと?”とか“愛って何だろう?”とか、そういう自分とちゃんと向かうこととか、恐怖と向き合うとか、そういうテーマが一貫してある。ホントに言いたいことっていうのを4曲をとおして貫いたっていうのって初めてだし、いちばんストーリー性があるの」

彼女はアーティストとしての思想性の問題に直面していたのである。

 これはどのような創造行為にも言えるのだが、問題の解決を志向しない創造行為というものはそもそも有り得ないと言える。原則論としてアーティストにとって何らかの問題の解決でないような作品というものは存在しない。そしてこの創造行為を通して結果として出来上がった作品に刻印されるものは作者のオリジナリティーであり、それはまた作者の思想とは何ら別のものを指す訳ではない。「音楽家宇多田ヒカル」は、ここでアーティストとしてこの根源的なオリジナリティーというものの問題、思想性の問題に突き当たっていた訳である。それは「宇多田光」という人間がそもそもなぜ「宇多田ヒカル」であるのかという問題、言い換えればこの世に生を受けて一体全体なぜ自分は音楽などというものををやってきたのかという根源的な意味を問う問題でもある。極論すれば、そこに彼女の喜びや悲しみや苦しみの総てがあったにせよ、今まではこの問いを不問にし棚上げにしたまま彼女は音楽活動を続けてきたのであって、ここまで十年以上の長きに亘って能く持ち堪えてきたのは、偏に彼女の教養、その音楽的教養と文学的教養とによるものと言っていいだろう。言い換えれば、彼女は学習した他人の”語法”、他人の”言葉”でもって表現していたのであって、これはデビューした年齢が十五歳であったことを考えれば如何に天才的な才能であったとしても無理からぬところではあるのだが、この意味において彼女は優等生、それも非常に優秀な飛びっきりの優等生であったと言う事が出来る。これはどういうことかというと、これまでの彼女の作品はアーティストとしての問題の解決であったというよりも、それとは別種の問題の解決のための一手段であったということを意味する。つまり、「音楽やってるの、親のためだったんだよね」という事である。この点で、彼女もまた現在の高度資本主義音楽業界システムの帰結たるアーティストの低年齢化傾向の犠牲者の一人であると言ってもいいだろう。
 だが、ここに至って彼女はもはや単なる優等生では居られなくなったようだ。芸術活動が、才能が、表現行為が彼女をそこまで追い詰めたと言っても良い。「自分で育てたもの、はぐくんだものを、自分でそうあってほしいと思ってなった世界を、自分で壊」さざるを得なくなった。つくづく芸術家というものは、才能を持つと言う事は、表現行為というものは因果なものであると思う。彼女はここに至って優等生の仮面をかなぐり捨て「ホントに言いたいこと」を自らの”語法”、自らの”言葉”でもって表現せざるを得ない所にまで追い込まれた訳である。そして彼女は4曲と言っているが、これらの曲に表現されている「ホントに言いたいこと」とは、彼女の言葉で言えば「全部同じこと」であって、それは「自分との和解」であり「過去との和解」であり「愛するってどういうこと?」であり「愛って何だろう?」であり「自分とちゃんと向かうこと」であり「恐怖と向き合うこと」であるという事とのことである。しかし、これらが「全部同じこと」であるというのは、この4曲を聴いた後にこれらの言葉を並べられても全く何がなんだか解からないという感想を持つのが普通だろう。例によって「歌えるけどしゃべれないよ」、いや「しゃべれないけど歌えるよ」ということで、ここでもまた私にはこの「ホントに言いたいこと」が彼女のファンにちゃんと伝わっているのかといわれると大いなる疑問符が付く。やはり、それにはそれなりの確固とした手順なり方法論を持って「宇多田光」という人間の心の中に深く潜り込むこちら側の作業が必要だと私には思われるのだ。先に少しばかり道草を食った所以である。この中で取分け私が注目するのは「恐怖と向き合う」という言葉であるが、しかし、そうは言っても、ここで私はあまり立ち入った分析を滔々とこれ見よがしに述べる気にはなれないので結論を簡単に述べれば、私にはそれは彼女自身と同じく時代を象徴する歌手でもあった母親藤圭子との確執問題だと思われる。言い換えればそれは彼女のずっと抱え込んでいる問題であり、有体に言うならウルトラ・マザコンの問題である。ここで急いで注を付して置かなければならないが、ここで言うマザコン=マザー・コンプレックスのコンプレックスとは、単なる劣等感という意味ではなく、シネマコンプレックスの場合と同様、本来の「複合」という意味である。この4曲の中で、歌詞に英語が全く出てこない唯一の曲「嵐の女神」の中の「お母さんに会いたい」という歌詞は、彼女の本心からの本音、というか心の叫びに他ならない、そう私には思われるという事である。


 さて先に「人間活動宣言」を考えるに当たり、ネットで「宇多田ヒカル」「人間活動宣言」「Goodbye Happiness」などをググッてみたと書いたが、検索ワードの中に「Goodbye Happiness」を入れたのには理由がある。それは「Goodbye Happiness」という曲は、彼女自身による「人間活動宣言」の「解説」だと私は認識しているからだ。つまり「人間活動宣言」を了解するに当たってはこの曲は絶対に外すことが出来ないという事であって、その事は『SINGLE COLLECTION VOL.2』の新曲五曲におけるリード曲というこの曲の位置づけが暗に物語っている所でもある。しかしそうは言っても、このように本人自身による「解説」がすでにあるのだから「解説のさらにそのまた解説」というのもなんともあほらしい気がするので、ここは誰かの分析なり指摘を引いて簡単に済まそうと思っていた訳だが、これもすでに書いたようにどうやらそうは問屋が卸さないようだ。というか不案内の私ごときが言うのもなんだが、現在の音楽ジャーナリズムには問屋さえ存在しないのではあるまいか。
 そこでは、この曲は専ら「切ない」とか「郷愁あふれる」とかはたまた「ダークな世界観」だとか評されており、さらに一部のファンにとっては「号泣ソング」でさえあるらしい。次に見るように、この曲のPV公開前後のツイッター上での彼女の「つぶやき」が証するように、製作者の意図とはまるで違って受け取られているところをみると、やはり「悪戯な文学化の毒」は充分に廻ったと診断せざるを得ないようである。

「んなことより私が初監督したGoodbye HappinessのPV!解禁されたのら!!ドキドキっす・・・ど、どうかみんな笑ってくれますように・・・」

「Goodbye HappinessのPV、観てくれてありがとう!!泣いたっていう人がけっこう多くてびっくり。な、泣かせるつもりじゃなかったんだよ?!まあでも私にとっても過去の自分を振り返る感じのPVだけど・・・みんなも思い出色々あるだろうから・・・感慨深いよね。」

 結局のところ、事ここに至っても宇多田ヒカルという芸術家の存在様式としての「孤独」は、やはり癒されることは無かったと言わざるを得ない、そう、ロダンの如く。

 というような次第で、ここで余計なお世話かも知れないが「Goodbye Happiness」という「解説のさらにそのまた解説」をあえてすることにする。また、彼女の「解説」はご丁寧にも「図解」入りである。であるからこの「図解」すなわちPVを共に考察した方がより判り易いことは言うまでもないだろう。


宇多田ヒカル - Goodbye Happiness




 PVで映っているのは、「音楽家宇多田ヒカル」の部屋である。また、この部屋は「音楽家宇多田ヒカル」の世界そのものでもあり、その世界が限られた狭い空間であることをも示唆している。ここで彼女自身による「人間活動宣言」についての発言に触れなければならない。「人間活動宣言」については、クリス・ペプラー氏を相手にNHKの特番や彼がパーソナリティーを勤めるラジオ番組で彼女は語っているが、彼女には明確なイメージがあるのだろうが、これもまた何時もの例に漏れずどうも判ったようでいて良く判らない説明だと思うのは私だけではないだろう。

「50歳ぐらいとか40いくつとかになって、なんにもできないオバさんとかになりたくなかった。」
「普通に自分で全部光熱費とか考えたりとか、月何万でちゃんと生活して、ちゃんと帳簿つけてとかやりくりしてとか、誰でも当たり前にやってることを今まで一回もしてないから、自分がいくら使ってんのかよくわかってなかったりとか、家賃いくらだっけとか、ちょっとこれって15、6とかだったらカワイイけど、まあどんどんイタイ大人になっていくっていう、カッコ悪いなぁって。」
「なんかゼロの状態で人と接するというか特別扱いされない…、私なんかカフェでウエイトレスやったらほんと使えない奴で怒られると思うんだけど。」
「だからフランス語を勉強するとか、まあそういう…、人と接することがしたい。」

 だが、これらの言葉は何のことはない、発言者の「宇多田ヒカル」という固有名を取っ払ってしまえば、これから引き籠もりを止めて世の中へ踏み出していこうとしている人間の語る言葉そのものである。従って、「人間活動宣言」とは、裏を返せば「脱引き籠もり宣言」に他ならないと言えよう。ということは、彼女は「引き籠もり」をしていたという事なのであろうか。一体、何処に?勿論、「音楽家宇多田ヒカル」の部屋=「音楽家宇多田ヒカル」の世界に、である。別の言い方をすれば、「宇多田光」という人間は「音楽家宇多田ヒカル」の中に引き籠もっていたのである。
 そして、PVに戻ると、この「引き籠もり」部屋の中で彼女が一人で踊り、様々なセルフ・パロディーが披露される。一部ではこのPVでセルフ・パロディーとして何が隠されているかが話題になっているようだが、むしろここで問うべきは「何か」ではなく「何故か」であろう。つまり、このセルフ・パロディーという表現行為そのものの意味、セルフ・パロディーが何故ここで必要とされるのかと問うことである。そして、この問いに対する答えは、「音楽家宇多田ヒカル」の過去という「引き籠もり」生活の再現であろう。すなわち、孤独(Loneliness)ではあったが、無垢(Innocence)で幸せ(Happiness)だった「音楽家宇多田ヒカル」の一生が、ここで再現され回想されているのである。
 「甘いお菓子 消えた後にはさびしそうな男の子」というフレーズは、歌うことが無くなってしまった「音楽家宇多田ヒカル」に他ならない。「雲ひとつない Summer day」「無意識の楽園」とは「音楽家宇多田ヒカル」の一生の心象風景のイメージであることは言うまでもないであろう。言うなれば、彼女はこの曲で「音楽家宇多田ヒカル」の一生を母親とは違い「十五、十六、・・・二十七と私の人生、明るかった」と歌っている訳である。明るく軽快な音楽自体もそうだが、ここにはスポニチの誤解の如き負のイメージなぞ微塵もない。余計なコメントをここで差し挟めば、私には彼女はあのような形の反論をするよりも、自分のこの作品をただ差し出すだけで良かったと思われる、この作品を今一度良ーく味わってみて頂きたい、と。「夢の終わりに 待ったは無し」「何も知らずに はしゃいでた あの頃へはもう戻れないね」とは「音楽家宇多田ヒカル」の世界の終焉を意味し、「人は一人になった時に 愛の意味に気づくんだ」というフレーズは、この歌がこれから居なくなってしまう「音楽家宇多田ヒカル」に対する「実生活者宇多田光」のラブソングであることを意味している。つまり、これは彼女の常套的表現手法でもあるのだが、この歌は表層的には恋愛関係を歌ってはいるが、恋愛関係の形式を借用することで実際は「実生活者宇多田光」と「音楽家宇多田ヒカル」の関係を歌っている訳である、「daring daring 誰かに乗り換えたりしません Only you」と。「ありのままで 生きていけたらいいよね 大事な時 もうひとりの私が邪魔をするの」というフレーズがどういう事情を指しているのかは、ここまで私の文章を読んでこられた方には今更説明する必要はないであろう。
 そして、最後に彼女はこの「音楽家宇多田ヒカル」の世界そのものである部屋に別れを告げ(Goodbye Loneliness、Goodbye Innocence、Goodbye Happiness)「引き籠もり」を止めて、外へ出て行くことでこのPVは終わる。外には、何が待っているのであろうか。外には広い世界が拡がり「実生活者宇多田光」の「人間活動」たる「WILD LIFE」が待っているのであろう、明るい希望とともに。ここで見逃してはならないのは、この時の彼女のセルフ・パロディー・コスチュームである。これは「traveling」のものだが、暫くは「旅行」に出かけるという意思表示が込められているのは明らかであろう。そして、もう一つこのPVで見落としてはならないのは監督のクレディットである。これは絶対に「宇多田ヒカル」ではなく「宇多田光」でなければならない。理由は既にお判りであろう。
 ちなみにこのPV制作には監督交代という楽屋話があるが、これはPV制作工程上重大かつ深刻なアクシデントである筈である。実際にどのような事があったのかは判らないが、こういったピンチをチャンスに変えてしまう彼女の才能には実際驚くべきものがある。作詞作曲編曲打ち込みだけでは飽き足らず映像表現にまで手を出した、という言い方さえ出来るように思う。「制作表現上の考え方の違い」なぞ、監督交代のための口実に過ぎないのではと思わせる程である。ここにおいて、芸術家としての全人的表現形式を獲得した観がある、とさえ私は言いたい様に思う。

さて、以上が「人間活動宣言」に対する私の理解の総てである。

 しかし、ここまで彼女の足跡を辿ってきた今、私には予感がしてならぬ。ドアの向こうには、果たして彼女が望むような世界が本当に開けているのであろうか。ドアの向こうには、果たして彼女が望むようなものが本当にあるのであろうか。本当の問題は、彼女が考えている場所とは少しばかり異なった位相のもとにおいて存在しているのではないのだろうか。

だが、心配症が予言者の仮面を被ったような言葉を連ねても何になろう。

「音楽家宇多田ヒカル」は既に旅立った。

彼女が一体どんな姿に生まれ変わって帰って来るのか、今はファンと共に刮目して待つ他はない。








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