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国際化学年③

2011-01-08 08:12:07 | colloidナノ
本論は13章からなっている。
一読したところで想起されてきたのが、「丸山真男、音楽との対話」(中野雄;文春新書)のエピローグ『執拗低音とシャコンヌ』にて紹介されている逸話なのだ。

丸山真男が世を去る前年であったと思う。音大だけではなく、普通科大学で教養科目としての「音楽講座」を担当させられることになった私は、そのことの報告かたがた吉祥寺の自宅を訪れた。

たわいないオーデイオ談議に花を咲かせたあと、話題が執拗低音パッソ・オスチイナートに移った。・・・通奏低音パッソ・コンテイヌオとの区別を教えなければなりません。説明しにくいですよ。

「通奏低音はあくまでも主旋律の和声的下支えでしょう。音楽としては補助的な役割。演奏中よく聴こえるし、即興も許されるけれども、主旋律をもり立てこそすれ邪魔したり、歪曲したりすることはないです。

執拗低音になると、しばしば姿が見えなくなることもあるからね。旋律線メロデー・ラインはあるけれど、聴いていて鮮明というわけではない。動機モチーフって説明している文献があるけれど、楽理的には主題テーマと言った方が正しいんじゃないかな。たしかに譜面で説明したり、音で解説したりするのは難しいかもしれませんね」

真面目に相談したわけではない。半分冗談のつもりである。
私が上目使いに表情を探ると、丸山がかすかに微笑み、小さく首を縦に振るのが見えた。
「主客転倒ですか」
呟きのトーンが意外に明るく、上機嫌でなんとなくホットした想い出が残っている、別れはそれから1年足らずの間にやって来た。


1996年8月26日、純白の花に包まれた遺影を前にバッハのシャコンヌが演奏された。
「1挺のヴァイオリンで宇宙を描いた」といわれ、空前絶後の名作と讃えられるこの音楽は、私たちが恩師丸山真男の霊に捧げる密やかな感謝と追悼のメッセージであった。

かくのごとき執拗低音が、ここではフロジストンを巡る歴史でありラボアジェの「化学」でもあるかのように私には感じられたのであった。


MARUYAMA HEADLINE

国際化学年②

2011-01-06 08:14:41 | colloidナノ
もう一言、まえがきから引用しておく。
“いずれは大冊の書物にしてその中に盛りこもうとする視野の拡大と掘り下げについて、ここで予言しておこう。
以下のスペースにくりひろげたものよりもはるかに多い歴史的な証拠を私は持っている。これらには物質科学だけでなく、生物科学の歴史から得たものもある。しかし本書では物質科学を論じるにとどめることにした。”


さて、訳者あとがきを見てみよう。
“クーンが本書で導入した新しい用語を簡単に結びつけてみると、科学革命から起こって科学者たちは新しいパラダイムの下に通常科学の伝統を拓き、その伝統の中で危機が起こると、次の科学革命を準備する。”

パラダイム→通常科学→変則性(危機)→科学革命→新パラダイム

クーンは理論とか原理とかルールとかいうような既存の言葉で表現し切れないものを盛りこもうとしてパラダイムなる言葉をピックアップした。

しかしクーンのパラダイム概念の招いた誤解の一因が、西洋流としてのパラダイムの伝統的意味合い、ニュアンスにあることを思い、あえて日本語に訳さずそのままパラダイムとした。
 
しかし、誤解の他の原因として、パラダイムには多義性があり、さまざまな解釈される余地があることは確かで、それについては著者も心から反省して、補章では主として、その弁明にあたり
disciplimary-matrixなる新造語で変えているが、はたしてこの新造語が定着するかどうか疑問である。

現代科学哲学の主流となっているイギリスのカール・ポパー派にあっては、科学革命に対置される通常科学が本書の特徴をなすものとみなされ、そして攻撃されているが、これを略す。
最後になったが“著者は補章を書いたあとでも、しょっちゅう文体や内容の改訂増補を申し込まれた。
そのような論旨はまだ固まっておらず、ホットなテーマである。したがって正直言って原文、訳文とも文体として十分練れていない難点があるが、そこからかえって読者のアイデアを誘発させるという効果が期待できれば望外の幸せである。”

つまり、原著刊行後の論争史をまとめて「訳者あとがき」に付け加えようと考えたとの背景が良く理解できたところで、本書はよみとかれるべきであろう。


国際化学年①

2011-01-04 08:22:51 | colloidナノ
科学って何だろう?

「化学」の項目はあるけれども「理化学辞典」(岩波)に、「科学」の項目はない。そこには自然科学としての言及がある。

自然科学の歴史において、化学は力学、天文学、物理学にくらべて発展の遅れた分野であるが現在では、複雑な化学反応の機構を解明するなど化学は、それ自体、精密科学としての体形を築きつつある。
さらに物理学との間に物理化学、化学物理学、また化学を基礎として生物との間で生化学・分子物理学などの境界領域が発展しつつある。


『科学革命の構造』トーマス・クーン・中山茂訳(みすず)は、パラダイムparadigmで広く知られている。そこにも自然科学の記述が見られる。

さらに大切なことは、ここで社会科学者たちを主とする集団の中に住んで、私が育ってきた自然科学者の集団とちがうという思いがけない問題に出会ったことである。

しかし天文学、物理学、化学、生物学をやっているものの中では、今日心理学者や社会学者の間に広がっている基本的なことについての論争が生じることはない。

この差異のもなもとをたずねようとして、私は以後パラダイムと呼ぶものの科学研究における役割を認めるに至った。

このパラダイムとは、一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるものと、私はしている



左様に心得おると?

国際化学年

2011-01-01 07:56:20 | colloidナノ
化学って何だろう?
俗にバケ学とも言われるけれど、これもまた学問である意であろうと思われる。

自ら語る白川静、その名が態を表象している呪符でありかつ護符でもあるかのような、「字通」になぞらえて語る。

「白」は、ハクでありビャクでもある。訓ではしろでありしろいでもありあきらかとかとももうす。
あの象形に続いてながながとした薀蓄が始まる、その魔力。

トウロとかの形で、つまりその白骨化したもの、されこうべ。
雨露にさらされて白くなるので、白色の意となる。
偉大な指導者や強敵の首は髑髏として保管され・・・云々。
かくのごとく開陳されると、思わず知らず畏敬に念にうたれてしまったのであった。

 しかしながらよは、さらに考古的なモノとコトにおいて、神ならぬ、過未の音色を聴きたく願っているのである。
それに先立ち、優るとも劣らない方法こそが要となると信じられる、それがわたしなの。

記憶に新しいところでは、とは言っても21世紀の初頭、既に10年余り遡る頃なの。

  『20世紀の生命医科学の歴史を振り返ると、当初、遺伝学はあまり注目されませんでした。
しかし生命プロセスを分子レベルまで還元すると、より合理的かつ詳しく健康と病気の問題について理解できるようになります。
あらゆる時代に通じる国際的な言語である化学を通じ、数多くの基礎生物学および医科学が単一の学問分野に合流した革命的な形になろうとしています。
この単一の学問は、われわれがどこから来てどこへ行くのかを説明し、物理も生物学と結びつけるでしょう。以下略』  



ところで、「化学史研究」最新号では科学リテラシーの観点から考えると冠する記事が目に止まったが、俗に言うところの科学技術というようなラベリングは何れ不要となる日も近からんことを希望しておきたい。
つまり遠慮気味ではないかとの印象なの。

そこからアメリカ化学会化学史部会開設八十五年を記念した特集号の記事から、引用させていただこうか。
 
『著者はHISTと化学史家は化学発展それ自体の参加者であると言っている。したがってHISTと化学史家は歴史の上で“切っても切れない;Mother and Apple pie”ほどの重要性を持っている。
さらには“科学は孤立状態にあっては何も成し遂げられない。歴史は我々に(今現在)何処にいて、何処からやって来たかを理解する助けとなる”と』
、化学史の重要性を強調している。

本題へと立ち帰りおもう。
化学ってなんだろ?
それを表象させることの難しさにきづくとき、思い起こされるのがコロイド状態なのではないか。

New scientistは、アルキメデス、ダーウィン、ガリレオ、ニュートン、パスツール、キューリー夫人、アインシュタインなどとならんで、史上最高の科学者のひとりにランクした。

その人こそが、1901年オレゴン州ポートランドに生まれた。 
                                            
            わたしは二歳


参考文献  産経新聞2001年11月27日;アーサー・コーンバーグ1918~2007
     『化学史研究』第37巻第4号(2010.12)    
     ライナス・ポーリング研究所