◇ 人命の尊さが分からないと・・
今日(7月13日)、2名が死刑執行された。
これに対して、死刑反対派がこれに対して発言しているらしいが、これらの連中は人命の尊さを分からないから、反対しているだけ。
何故か?
人命の尊さが理解できる人間であれば、他人を殺害しない。
人命の尊さが理解できた人は、他人の人命を奪ったのであれば、同じレベルの罪を償わなくてはならないと思う。
大事な人命を奪ったのだから。・・死刑反対論者はここが理解できないから、トンチンカンな事を言いだす。
人命の尊さが分かる人は、動物さえも殺さない。(家畜などは人間が生きる為に、最小限の殺害はしょうがない。)
仮に、それさえ反対する人は一切食べ物は食べられない。
そうなれば、人間は死ぬだけである。人間生活が成り立たなくなる。
何故なら、動植物は人間が食べる前は、生きていたから。
自分はベジタリアンだから・・と言う人がいたとすれば、植物だって人間が食べる前は、生きていた。
だから、どの人間も食べ物に対しては、偉そうなことは言えないのである。
生存していた動植物を食べなければ、人間は生きていけない。・・ここまでわかります?
では?人間側がどういう生活をすればいいかです。
まず、人間が生きていられるのは、動植物を食べているから、これらに対して「いただきます」の心を持って食べる事である。
これが基本です。
人間、なんの為に生きているか?ですが、人間生活を絶やさない為です。
その意味は、人間形成にあるからです。
人間生活が殺戮の状況より、お互いが節度を持って生活した方が、社会の為にいいし心が穏やかになる。
人間の心が優しくなり、おおらかになる。
心が正しい人は、他人に対して嫌がる事をしない。他人を助けようとする。(しかし、人間生活を営むには、良い事・悪い事のけじめをつけなければ、心の綺麗な人でおとなしい人は、悪い人に迫害を受け殺害される事もある。)
その為に、その理不尽な行いを止める為に、警察官がいる。現代では。
死刑反対論者は人が人を裁けないと寝言を言いだすが、目の前で殺害される人を見ているだけでいいと言う事になる。
この状態では、見ているだけの人は殺害される事を容認した事になるから、人命の尊さを分かっていない。・・ここのどこが人命を尊重しているのだ!
人が殺害される事を、黙って見ているだけの人間が、人間の命を論ずる資格がない!
人間が平等とするなら、同じ罪を受けさせる事が平等だろう。
他人を殺害して人命尊重のお題目で、死刑廃止を言うのであれば、殺された人の人命の尊さを解ってない。
簡単に書きましたが、人間の命の尊さを解るから、侵した罪と同じ位の報いを受けさせなければ、平等ではないし人命の尊さを論じられない。
それと、朝日新聞が「再審請求中の死刑執行」などと、偉そうに書いたが、この新聞社は人間の命の尊さを軽く考えている。
最も、意図的に噓の慰安婦問題を取り上が、世界中に噓を拡散させた確信犯では、トンチンカンな事を書くだろう。
常識人が朝日新聞を読む次元ではない。この新聞を読む人は、人間の尊さを知らない人達だろう。