さてさて485系の撤退が進んでいますが今回は九州地区の485系について。
※今回の記事は個人的な後悔の記録?みたいになっているので苦手な方は見ないでください。
私が九州の485系に乗ったのは2010年、実質的に定期運転に使われていた最後の年です。
しかしこの時撮った写真は


この二枚と下の写真の車両の側面ロゴ部分のみです。
このうち下の写真の車両(Dk11編成)には実際に乗車しているのですが車内はおろか外観すらまともに撮っていません。
というのはこのころ雷鳥に使われていた485系の一部引退が騒がれていた中、これらの485系の動きがなかったことや九州地区の車両は大幅に手が加えられているイメージがあり、東日本の更新車と並んで比較的最後のほうまで残るものと思っていたのです。
そのイメージは紛れもなく外観の変化による物ですが・・・。
東日本地区車は東北新幹線全通に伴い、捻出された3000番台で未更新の車両を置き換える(実際にそうはなってませんが)ということはイメージできたのに、九州新幹線と485系の動きに関するリンクが全くなかったのが今でも不思議です。
ともかく翌年、私は熊本で

新幹線の高架下留置線に押し込まれた大量の485系を見ることになります。
ここにはきりしま用の3連が大量に疎開されていたのですが、私はまだ6連のほうは運用に入っていると思っていました。
それくらい引退したというのが信じられませんでした。
そして先日、たまたま通りかかった鹿児島駅で

草蒸した留置線に置かれた485系と再会しました。

まさに兵どもが夢のあとという光景です。
また、鹿児島工場内でも


編成を分割された車両がいました。
既に小倉に疎開していた車両は全車解体が終了し、今後鹿児島の車両も小倉へと運ばれるようで、私の乗車したDk11編成も回送されてしまったようです。
九州ブルトレは引退後に保存される車両もありましたが485系は今のところそのような話もなく、残る編成も完全に姿を消すまでの時間はそう長くはなさそうです。

おまけ
クモハ103-2507
この車両は延命NA工事を受けており、廃車にはならないだろうと思っていましたがあっさり廃車されてしまいました。
もはや国鉄型車自体の寿命が来ているのだと改めて認識した次第です。
※今回の記事は個人的な後悔の記録?みたいになっているので苦手な方は見ないでください。
私が九州の485系に乗ったのは2010年、実質的に定期運転に使われていた最後の年です。
しかしこの時撮った写真は


この二枚と下の写真の車両の側面ロゴ部分のみです。
このうち下の写真の車両(Dk11編成)には実際に乗車しているのですが車内はおろか外観すらまともに撮っていません。
というのはこのころ雷鳥に使われていた485系の一部引退が騒がれていた中、これらの485系の動きがなかったことや九州地区の車両は大幅に手が加えられているイメージがあり、東日本の更新車と並んで比較的最後のほうまで残るものと思っていたのです。
そのイメージは紛れもなく外観の変化による物ですが・・・。
東日本地区車は東北新幹線全通に伴い、捻出された3000番台で未更新の車両を置き換える(実際にそうはなってませんが)ということはイメージできたのに、九州新幹線と485系の動きに関するリンクが全くなかったのが今でも不思議です。
ともかく翌年、私は熊本で

新幹線の高架下留置線に押し込まれた大量の485系を見ることになります。
ここにはきりしま用の3連が大量に疎開されていたのですが、私はまだ6連のほうは運用に入っていると思っていました。
それくらい引退したというのが信じられませんでした。
そして先日、たまたま通りかかった鹿児島駅で

草蒸した留置線に置かれた485系と再会しました。

まさに兵どもが夢のあとという光景です。
また、鹿児島工場内でも


編成を分割された車両がいました。
既に小倉に疎開していた車両は全車解体が終了し、今後鹿児島の車両も小倉へと運ばれるようで、私の乗車したDk11編成も回送されてしまったようです。
九州ブルトレは引退後に保存される車両もありましたが485系は今のところそのような話もなく、残る編成も完全に姿を消すまでの時間はそう長くはなさそうです。

おまけ
クモハ103-2507
この車両は延命NA工事を受けており、廃車にはならないだろうと思っていましたがあっさり廃車されてしまいました。
もはや国鉄型車自体の寿命が来ているのだと改めて認識した次第です。