瀬戸内(たまに大阪)鉄道雑記帳

管理人はね、転向してしまったんだ。

ダイ改after2023

2023-04-04 11:51:27 | 国鉄車両
もはや更新の見込みなしと噂されていたこのブログですが、懲りずに更新です。

今年のダイヤ改定に伴う関西圏での車両の動きはここ数年で最も大きなものになりました。

というより、今まで当たり前だったものが一斉に消えてしまったというところでしょうか。



改定に伴う話題では、やはり和田岬線の103系引退が一番大きいものでしょう。

コロナウイルスの弱毒化?に伴う厳戒感の緩和や、運転区間が限られるので警備範囲を絞りやすいというのもあったのでしょうが

引退の事前告知やヘッドマークの掲出等、ここ数年ではかなり珍しく、大々的に車両へのスポットが当てられた中での引退となりました。



写真は引退の10日ほど前におそらく1度だけ見られた、HM付103系と貨物更新色のEF65の顔合わせですが
撮影時点では貨物更新色のEF65、というよりはEF65の関西運用も消滅するのでは?という不安もありましたが

結果的にEF65の方は改定後も運用が残され、今のところ離脱機もないようで
改定後も運用のタイミングが合えば更新色同士の並びを観ることも可能です。


で、車両の動きが大きかったのはどちらかというと改定後の京都地区でして



103系の陰でサイレント引退が予測された京都の113・117系は改定後も運用入りしたものの、
この時点で臨時仕業であることが判明。





さらに改定当日から2日続けて、宮原から京都へ223系4連2本づつ(MA06・07とMA21・22)が移動



同時に去年の秋から今年2月までの間に京都へ転属して以来動きのなかった223系2500番台が、湖西・嵯峨野線の運用へ日に数本ずつ投入され始めたほか



改定翌日には117系S1編成が長駆下関へと廃車回送。


最終的に草津駅でこのような掲示がなされたことで、3月末での113・117系の引退が決定的となりました。

ただしこの「さよなら113・117系」と書かれたボードは数日で撤去され、
同じころに、改定翌日に宮原から京都へ転属した223系4連2本(MA21・22)が宮原へ戻るなどの動きがあったことや



本線筋の221系がまだ残っていることから、運用期間が延長されたのではという期待もありましたが
結果的には3月31日から翌日に渡る運用が最後だったため4月1日も走る、というのが理由だったようで


4月1日をもって、湖西・草津線に残っていた国鉄型車両はすべて運用を離脱したようです。

和田岬線にしろ京都地区にしろ、いつかはこの時が来ると分かってはいたものの
両者ともほぼ同じタイミングで運用離脱となると、その喪失感はかなり大きいもので

両者とも置き換えに使われたのがここ数年来の減便・減車で他地区で余った車両というのも悲しいところです。

また、車両的な面でも
・103系0番台の基本形式
・113系700・2700番台の各形式
という2つの大きなカテゴリーが消滅。

車両形態的には
・103系N40工事施工車
・113系中期型中間車の40N工事施工車
が消滅ということで、外観のバリエーション面でも大幅に種類が減少しました。

京都地区ではコロナ前より減便・減車が行われた状態のところへ観光客数が盛り返したことで
平日日中を中心に、主に嵯峨野線の混雑が激化しているようで

そちらへの増発に伴って113系の復活などがないかと期待はしますが、望み薄でしょうか・・・。

これで関西圏に残る国鉄型は
播但・加古川線の103系と福知山の113系、そして大和路線の201系のみとなってしまいましたが

このうち201系についてはすでに引退まで秒読み段階

福知山に残る113系も、平日の4連運用は残されたものの、この地区の運用自体が減ったあおりを受けて運用便は減少。1編成が離脱している模様です。

今のところ動きのない播但・加古川線の103系と併せて残る国鉄型も予断を許さない状態です。

105系F-08編成の小変化

2021-06-03 22:01:37 | 国鉄車両

福塩線用の105系の中で床下灰色化の先陣を切ったF-08編成ですが



スカートが撤去された状態で運用に入りました。



・・・と見えなくもないのですが



スカートの黒色化が行われました。

いつごろからかはっきりとはわかりませんが、おそらく5月の上旬ごろからのはず?

黒色に戻されたのは両先頭車のスカートのみで、それ以外の胴受けやジャンパ栓等は灰色のままです。



床下灰色化の2編成目であるF-01編成と顔合わせも見られましたが



夜間などは特に灰色の床下機器が目立つため、スカート設置前の顔に見えます。


今回灰色から黒色という、目立たない色への回帰が行われた理由は定かではないですが
福塩線105系の床下灰色化が始まったばかりなことを考えると、恐らくは塗料在庫の関係ではないかなと思います。

障害物と接触し一部塗装がはがれる → 補修用の手持ち塗料が黒色のみ → 一部だけではおかしいのでスカート全塗装

という流れを想像していますが、果たして?



今のところF-01編成のほうは灰色のままですが、こちらも今後の変化に注目です。


また、福塩線所属の105系ではF-03編成が幡生に臨時入場していました。



こちらは1週間ほどで出場。瀬野八を全速ノンストップで岡山へ帰っていきました。



短期間の入場だったため大きな変化はなかったものの、一部機器の換装?が行われていたようでした。

以上です

岡山115系のニューバージョン?

2021-05-06 19:34:33 | 国鉄車両
更新再開への期待の声にこたえて久々の投稿です(疑惑

とはいえものすごく地味な内容ですがそれはいつものこと


先日オカA-04編成が幡生を出場したのを見かけました。



パッと見は車体全塗装・床下は一部機器のみ塗装というごくありふれた状態でしたが



側面の車番表記がこれまでの幡生出場車と異なり、国鉄書体ではなくJR西日本書体になっていました。

この編成のみの試験的なものなのか、はたまた今年度から西日本書体に切り替えたのか・・・。

次の出場編成に注目するとともに、些細ではあるものの岡山の115系に黄色車体・灰色床下で西日本書体という新たなバリエーションが誕生したことになります。







まあ実は黄色車体・灰色床下で西日本書体の岡山車という組み合わせは、5年半前のある時期にクモハ115-1545で見られたのですが・・・

この時は岡山車の床下灰色化が始まるずっと前だったこともあり、未だになぜこうなっていたのかは不明です。
存在期間も極々短期間だったようですがこの機会に記録として載せておきます。

以上です

2020年8月の幡生工場

2020-08-11 14:30:58 | JR西日本
何もかもが久しぶりですが、先日幡生の様子を見に行けたのでその時の様子を



まず、2019年3月のダイヤ改正以降も岡山に転属して運用入りしていたL-16およびL-17編成ですが、L-16編成は8月3日に、L-17編成は8月6日にそれぞれ下関へ送られ、いずれも幡生へ入場しました。



岡山地区では相変わらず車両不足が続いているようですが、L-17編成の回送時に「さよなら115系L編成」の表示が掲出されたようなので、この2本は廃車で確定のようです。
この2編成の廃車で115系から2000番台の区分は消滅となりました・・・。



私が見た時点では両編成は並べて留置されており、すでにL-16編成は内装の解体が始まっているようでした。

L-16編成についてはモハ115の姿が、少なくとも屋外には見当たりませんでした。

幡生には故障が続いた末に無動力で入場となったオカD-10編成がいるようなので、そちらへの部品供出等が行われているのかもしれません。


そのほかには105系が複数確認できました





この時には、本線寄りにK-03およびK-04編成のクモハ(とクモヤ145-1102)





横にK-05編成の2両と、その間にU-09編成クモハと思われる車両をつないだ3両編成

L編成と隣接した位置にはU-09編成のクハとU-08編成と思われる編成

計8両が確認できました。

またには最近解体されたと思われる残骸がありましたが、K-03またはK-04編成のクハではないかと思われます。

以上です

2020年の元セキL-17編成

2020-02-13 19:57:32 | 国鉄車両
お久しぶりです。現在失語症待ったなしの管理人です(何

実は去年から生活環境が大幅に変わったのですが、懲りずに山陽地区ネタです。


岡山に転属したL編成2本は相変わらず代走で使用されていますが、昨年末ごろから?若干の変化が見られます。

まず外観的にはL-17編成のクハ115-1081。





正面と4位側方向幕が113系と同じ黄色の幕で塞がれました。



この車両の正面部分は比較的きれいに白幕で処理されていたことや、他のクハは(私が最初に確認してから)ひと月以上たった今もそのままなので、
なぜ手が加えられたのか不明です。

飛来物等で破損でもしたのでしょうか?


また、運用上の変化として



L-16編成も含めて側面の行先表示が一切使用されなくなりました。

恐らく113系B編成とはコマ割りが違うため、操作の煩雑さを避けるためでしょうが


・・・なんというか、どうしてここまで中途半端な措置になるのでしょうか?

正面貫通路を使用できるようにして、当初は閉鎖してたトイレも、整備を広島に回送して行うことで使用可能にして、

今更方向幕の入れ替えをしない(というかその手間を惜しむ?)理由がわかりません。


転属から半年以上たっていまだに所属表記が 広セキ のままだったり、

両編成とも前回の検査から大分経過しているあたり、ショートリリーフのつもりなんでしょうが


岡山区では相変わらず車両不足で、L編成が2本とも運用入りすることも多いようで

この2編成が抜けた後はどうするつもりなのか。

新在家の117系でも引っ張ってくるのでしょうかね?


今後しばらくの動きに注目です

大阪臨港線の橋梁、撤去の兆し?

2019-10-05 20:42:57 | 日記
※憶測を含む記事となります。

大阪臨港線の浪花貨物駅手前、三十三間堀川にかかる鉄橋ですが



10月に入って重機を乗せた台船が横付けされています。



さらに橋梁の前後にオイルフェンス?が設置されており、この船はその内側にいることからただの係留ではないことがわかります。


昨年あたりから動きの多かった大阪臨港線跡ですが、この鉄橋にもその波が迫ってきたようです。



すでに橋台部の線路上に何らかの機材が置かれていることや



橋梁上の軌間内には、画像赤矢印で示した箇所から穿孔されたと思しきボーリング片が置かれていることなどから、

橋梁撤去に向けた調査、または準備工事が行われたものと思われます。


確認時点では外観に大きな変化はなかったものの、橋脚の一部掘削が行われた以上何の動きもないということは考えにくく

軌框の撤去などは一日あれば終わるでしょうから、早ければ今月中には橋梁が姿を消すことになりそうです。


取り急ぎ以上です

セキL-17編成、岡山転属?

2019-08-23 20:24:19 | 模型で作る国鉄型
2019年のダイヤ改正後、主に岡山で留置されていたセキL-17編成ですが



幌が取り付けられたうえで、岡山管内での運用についているのを見かけました。



ざっと見たところ幌が取り付けられた以外は外観の変化はなく、方向幕は下関仕様で所属表記も広セキのまま。



そのため上り方から見ればダイヤ改正以前とまったく同じ風景がみられます。

車内については路線図等も含め広告が撤去されていたほか、去年の豪雨後とは違いトイレは解放されていましたが、こちらも設備的な変化はなし。

洗浄水も青色のものだったので、今後は汚物抜き取りと薬品補充のため定期的に広島へ向かうことになるのでしょうか?




また、岡山地区ではこの編成以前からセキL-16編成が何回か運用に入っていました。

直接確認できていないものの、こちらについても幌と岡山地区の車内広告が取り付けられたという話も聞きます。




昨年L-13編成に幌が取り付けられた際は1週間ほどで(おそらく一度も使用されないまま)外されてしまいましたが、今回の2編成はどう扱われていくのか注目です。




2018年11月下旬の小ネタ集

2018-11-27 19:25:32 | 国鉄車両
まずはこの記事であげた内容のその後から。



最注目だったC-13編成はその後、10月27日に開催された幡生工場公開で両端先頭車が落書き車両として利用され、翌日から一週間以内にクハ115-608を含む全車が解体されたようです。


一方山陽本線復旧後に下関に向かった115系のうち、L-05(サンフレラッピング)、L-21、R-01の3編成は運用に復帰しています。



そのため、消滅したと思われた115系30N車でLED表示器という形態が復活しています。


しかしながら今月も運用離脱は続き、上旬にはO-03編成とL-19編成が



中旬にはL-05編成(カープラッピング)編成がそれぞれ離脱。



このうちO-03編成はすでに解体が行われている模様です。

また113系のP-05編成も運用離脱ののち下関に向かったようで、現在岡山向けの転用改造が行われています。


さらに11月26日には山陽本線復旧後も岡山に残り続けていたO-04編成が、後藤工場に入場したとのことです。



この編成はL-13編成とともに岡山でのみの使用が続いており、私が最後に見かけたのは10月3日に赤穂線運用に入っている姿でした。

後藤に向かった目的はいまいちはっきりしませんが、このままO-04編成が廃車になると下関の115系からO編成が消滅、広島更新色もR-02編成を残すのみとなります。

今のところ私が確認できた動きはこのぐらいです。


続いて小ネタで



227系のA25編成が広島東洋カープの新井選手引退装飾列車として運行されています。

装飾内容は扉上を除く全広告枠が感謝メッセージのポスターになり、行先の種別部分がカープ坊や表示というもので、他編成と併結の場合は併結編成を含めてカープ坊やとなっています。

ただ行先表示は他の編成同様「がんばろう広島」との交互表記のため、外から判断するのは多少時間がかかります。

ちなみに今年は大規模な災害があったこともあってか、その他の編成でカープ坊やの表示が行われたのは広島カープのセ・リーグ優勝翌日のみ?だったようです。




また今月中旬、複数の駅で調査員の腕章を付けた人を見かけました。

この写真右端に写っている黄緑色の服の人がそれで、車外から(主にドア付近の?)客数を数えているようでしたが・・・。

これまでも何度か調査しているのを見かけましたが、いい加減増結などの混雑対策をもっととってほしいものですね。


特に広島~宮島口間は観光客の利用も多く、平日昼でもかなり詰め込まれることがざらです。ラッシュ時間帯の3両なんかは論外。

227系については普通の人からも「赤いやつじゃけぇ座れんかもね」と認識されて始めているという現状を、JRはもっと真剣に受け止めてほしいものです。


後は広電ネタで



広電の3008号車が「カール」の広告ラッピングを解除されたのを確認しました。

単純な期限切れなのか、運用時間帯の広い他形式に広告を移したのかは不明です。




また11月15日に千田所属の582号車が7号線に入っているのを見かけました。

今月の運用改定で低床車1本が終日白島線内で運用されるようになったことや、江波所属のはずの805号車がVVVF化されて以降3号線や5号線で使用されているのが関係しているのか・・・。

たまたまはち会わないだけかもしれませんが、これまで予備車的に使用されていた?602号車を見かけないので、車両状況がひっ迫しているのかもしれません。


以上です

阪堺モ710、車番ステッカー化

2018-11-09 19:32:48 | 路面電車
阪堺電車のモ710号車が、塗装変更とともに車番がステッカー化されているのを確認しました。



すでに鉄製の分厚い切り抜き数字のモ351型やモ501型ではステッカー化が行われていましたが、薄板を用いたモ601、701型もステッカーに変更する方向に舵を切ったようです。

おそらく塗装工程の簡略化を目的にしたものと思いますが、特にモ351、501型などは数字の書体をもう少し工夫してほしい気もします。

以上です

山陽本線全線復旧後の車両の動き

2018-10-22 18:53:28 | JR西日本
ご無沙汰しております(n回目)

前回の記事以降、山陽地区の鉄道の復旧は進み(紆余曲折ありましたが)10月13日をもって豪雨以来100日ぶりに全線がつながりました。

それに伴い先週は車両の動きが激しかったため、簡単にまとめておきます。

もともと山陽本線の復旧は15日の予定だったため、車両に動きが出たのは、当初予定で試運転が行えるようになる14日からでした。


10月14日

まず広島からR-01編成とL-04編成が下関に向かいました。

両編成とも9月までは岡山エリアで使用されていた編成で、サンフレッチェラッピングのL-04編成は10月6日に故障を起こしたのち運用を離脱していました。

それと入れ替わりに、岡山のD-23編成とD-06編成が下関から岡山へ返却されました。



D-23編成は西条に取り残されたのち白市~下関間復旧後に入場していたもので、D-06編成は下関で取り残されていた編成です。


10月15日

下関からオカA-12編成とD-19編成が岡山に返却されました。



A-12編成はD-23編成とともに西条に取り残されていた編成で、D-19編成は夏の間下関に留置されていました。



全車再塗装がされていましたが、気になったのはA-12編成上り方のクハ115-1083の床下。

水タンクなし、カセット式汚物タンクありという形態は以前からでしょうか?

一応あげておきます。



またこの日は網干から下関に向けて221系A16編成が回送されました。

関西方面からの回送列車が広島を通るのは大概夜なので、未更新の221系が明るい時間帯の広島エリアを通るというのは今回が初めてのはずです。




この日はさらに、227系A03編成が下関から広島に回送されました。

この編成はどのタイミングで下関に入ったのか不明ですが、台車と一部機器がきれいになっていました。

現在は運用復帰しています。


10月16日

福塩線内に取り残されていたキハ120-324と326が府中から福山経由で広島に回送されました。



逆向きでは体質改善工事施工後、下関に閉じ込められていた221系A19編成が下関から網干へ



113系のP-14編成とP-03編成が下関から岡山へそれぞれ返却されました。

113系のうち、夏の間下関にいたP-03編成は車体全体と台車等が全塗装された状態、一方のP-14編成はトイレタンクの交換などが行われたのみのようでした。

また両編成とも正面は白幕、モハ113には方向幕が入れられてましたがこれらは運用入り前に黄色板で塞がれると思われます。


10月17日

10月上旬から広島駅6番線に留置されていたL-12編成とL-21編成が下関へ向かいました。



これらの車両は先に下関へ向かった8両とともにすぐに幡生へは入らず、L-12編成以外は今も下関に置いたまま?な様子。

一応L-21編成の離脱により、下関所属の115系30N車でLED表示の編成が消滅しています。


10月18日



岡山のD-13編成とA-15編成が下関へ。これらは普通に検査を受けてくると思われます。


10月19日



10月11日まで運転された、山陰本線迂回貨物列車で使用されたDD51 1804が北九州から吹田へ運ばれました。

この機関車はその後21日に所属先の愛知機関区に戻ったようです。とりあえずお疲れさまでした。



また10月16日に広島に到着した227系A55編成とS33編成の試運転が開始されました。


10月21日



下関所属のDE10 1076が岡山へ向かいました。

定期検査のためと思われますが、一応復旧後初の運転ということであげておきます。



ここまでが復旧後14日から1週間の動きですが、本日もいろいろと動きがあったようで



特に一番のニュースはC-13編成がL-12編成とともに下関から幡生へ回送されたことでしょう。

先週も一時運用をはずれるなどしていましたが、21日の3333Mで下関到着後にC-21編成と差し変わる形で運用を外れ、本日入場したとのこと。

とうとうこの時が来たか、という感じです。

これまでも度々引退のうわさが立っては消えを繰り返していた同編成ですが、今回ばかりは復活は絶望的でしょうか・・・。

クハ115-608が除籍されると直流近郊型から非ユニット窓の車両が消滅することになり、同時に広島地区の目玉であった変型クハが完全に消えることになります。

一応岡山の115系300番台や下関のR編成などの未更新車や改造番台車自体は残るものの、趣味的な車両の流れとしては一旦の大きな区切りとなりそうです。


また広島のP-07編成と岡山の117系E-07編成が下関へ向かったようです。

前者は岡山転用工事、後者は検査に伴う入場目的と思われます。


以上です