日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

今光は見えないが、雲の彼方で輝いている

2019-06-15 | Weblog
ヨブ記37章  
   
 21節「今、光は見えないがそれは雲のかなたしかで輝いている。やがて風が吹き、雲を払うと~」(新共同訳)

 1節「それゆえ、わたしの心は 破れんばかりに激しく打つ」。前章で、エリフは雨雲と稲妻について述べたが、それは本章でも続いている。雷鳴が神の怒りの御声として彼の心を激しく打ち、神の轟きを聞けと呼びかける(2節)。確かに雷鳴は恐れと驚きとして呼びかける。彼はこれを自然現象としてみないで、知り得ない御業として受け取る(3~5節)。
 6節「神は命じられる。雪には、「地に降り積もれ」雨には、「激しく降れ」と」。神は御業を認させる為に、人の手の業をすべて封じ、働く事が出来なくなる。獣は巣穴に隠れ、嵐が吹き荒れ、寒さが撒き散らされ、神の息吹で氷ができ、広く河川は凍結する(7~10節)。雲は雨を含んで重くなり、密雲は稲妻を放つ(10~11節)。
雨雲はここかしこに垂れこめ導かれるまま姿をかえる(12節)。
 14節「ヨブよ、耳を傾け神の驚くべき御業について、よく考えよ」。エリフは夏の季節から説く。ここでも11節と同様、密雲の中からの稲妻、前後にふる雨、猛烈な熱風となって吹き寄せる南風についてよく考えよという(15~17節)。ここでも「わたし達」と言って、共に暗黒の中に閉ざされた存在だとしている(19節)。人が経験して得た知恵は闇に等しいので黙しているだけだと告げる。
 20節「わたしが話したとしても 神に対して説明になるだろうか。人間が何か言ったところで 神が言い負かされるだろうか。」しかし今は暗黒の中に光は差し込んでくる(21~22節)。人の側から全能者の優れた力、哀れみ深い心をしることは出来ないのだから、今重要なのは「神を畏れ敬う」事だと教育者エリフは33章からの長い弁論を絞めくくった。
 わたしは常々思うことは、星雲の世界は地球の遙か彼方で、その距離は「一光年」という単位でしか測ることは出来ない。そして何万から何千光年だという。一光年は光の速さを距離に換算する。数値で示すと、一秒(地球七回半=30万キロ)×60×60×24×360=9兆4600億キロという天文学上の距離である。
 アブラハムが夜空を仰いで神の祝福の言葉(創世記15章5節)を聞いた時の同じ星の光が自空を超えて、わたしの目に届いているという不思議な感覚に、わたしは囚われるのである。