ヨブ記35章
14節「あなたは神を見ることができないと言うが、あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ」(新共同訳)
1節「エリフは更に言った」。エリフは教育的な態度で更にヨブを説得しようとしている。34章に続いてヨブの言葉を取上げて語る。しかし正確ではない。「神はわたしを正しいとしてくださるはずだ」と言っているが、それは正当だろうかと反論する(2節)。13章18節だが、これはヨブの基本的な主張。新改訳「わたしの義は神からだ」。「わたしが過ちを犯したとしても、あなたに何の益があるか」と言うが、犯しているとか犯していないとか損得にしている高慢な態度を批判しているが、むしろエリファズが22章3節で述べている。
4節「あなたに、また傍らにいる友人たちに わたしはひとこと言いたい」。ヨブと友人たちに、エリフは3節と同じことを伝えた。過ちを犯した、繰り返し背いたというが、神にとってそれが何だと言うのだと、ここではヨブの正当性は超越的な神とは関わりがない事柄だという(5~7節)。逆らったとか正しいとかいうのは同じ人間に関わることで、友人との論争は、神の問題となっていないと説くのである(8節)。
9節「抑圧が激しくなれば人は叫びをあげ 権力者の腕にひしがれて、助けを求める」。この世の悲惨な状態に叫び声をあげて、この世の権力者に助けを求めるだけで、「わたしの造り主なる神」、夜の間に歌をあたえ、地の獣を教え、空の鳥から知恵を授ける方との、人格的な交わりを求めて叫ばない高慢さのゆえに叫んでも答えはない。全能者なる神は偽りを聞かれず、顧みることはない、冷たく諭している(10~13節)。
14節「あなたは神を見ることができないと言うが、あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ」。隠れておられるのではない。神が現れる時を待つべきで、それは、今はまだ怒りの時ではないからだと諭している。「怒りの時」とは神の義が明らかになる時である。つまり神の法廷での訴えは、裁判官のもとに届いているから、その判決が下るのを待つべきだという意味である。そこでいつまでも無駄口を叩くことを止めなさいとヨブに言った(15節)。
14~15節は、34章24節で問題にした「神の沈黙」に対するヨブへの解答という事でヨブにとって説得力のある言葉で只管な待望が求められる処である。
14節「あなたは神を見ることができないと言うが、あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ」(新共同訳)
1節「エリフは更に言った」。エリフは教育的な態度で更にヨブを説得しようとしている。34章に続いてヨブの言葉を取上げて語る。しかし正確ではない。「神はわたしを正しいとしてくださるはずだ」と言っているが、それは正当だろうかと反論する(2節)。13章18節だが、これはヨブの基本的な主張。新改訳「わたしの義は神からだ」。「わたしが過ちを犯したとしても、あなたに何の益があるか」と言うが、犯しているとか犯していないとか損得にしている高慢な態度を批判しているが、むしろエリファズが22章3節で述べている。
4節「あなたに、また傍らにいる友人たちに わたしはひとこと言いたい」。ヨブと友人たちに、エリフは3節と同じことを伝えた。過ちを犯した、繰り返し背いたというが、神にとってそれが何だと言うのだと、ここではヨブの正当性は超越的な神とは関わりがない事柄だという(5~7節)。逆らったとか正しいとかいうのは同じ人間に関わることで、友人との論争は、神の問題となっていないと説くのである(8節)。
9節「抑圧が激しくなれば人は叫びをあげ 権力者の腕にひしがれて、助けを求める」。この世の悲惨な状態に叫び声をあげて、この世の権力者に助けを求めるだけで、「わたしの造り主なる神」、夜の間に歌をあたえ、地の獣を教え、空の鳥から知恵を授ける方との、人格的な交わりを求めて叫ばない高慢さのゆえに叫んでも答えはない。全能者なる神は偽りを聞かれず、顧みることはない、冷たく諭している(10~13節)。
14節「あなたは神を見ることができないと言うが、あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ」。隠れておられるのではない。神が現れる時を待つべきで、それは、今はまだ怒りの時ではないからだと諭している。「怒りの時」とは神の義が明らかになる時である。つまり神の法廷での訴えは、裁判官のもとに届いているから、その判決が下るのを待つべきだという意味である。そこでいつまでも無駄口を叩くことを止めなさいとヨブに言った(15節)。
14~15節は、34章24節で問題にした「神の沈黙」に対するヨブへの解答という事でヨブにとって説得力のある言葉で只管な待望が求められる処である。