日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

わたしは塵芥に等しい

2019-06-10 | Weblog
ヨブ記30章 

19節「だが今は、わたしより若い者らが、わたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすら、わたしは忌まわしいと思っていたのだ。」(新共同訳)。

1節「だが今は、わたしより若い者らがわたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすらわたしは忌まわしいと思っていたのだ」。「だが今は」は全勝と比較して不幸で悲惨な有様になっているという。「若い者ら」はそうではなかった(29章8節)かつて彼らは無一物で飢え、砂漠や沼地をさまよい、あかざの葉、れだまの根を食料としていた (2~4節)。砂漠に自生し、食用に不適である。世間から追われ、泥棒呼ばわりされ、谷間や土の穴、岩の裂け目を住まいとする(5~6節)。愚かな者、卑しい者の子(新改訳「しれ者の子たち、つまらぬ者の子たち」)。甚だしい差別を受け、世間から排除された者に向けられていた言葉である(7~8節。ヨブの口からこのような言葉が出てくるのは何故か。
9節「ところが今は、わたしが彼らのはやし歌の種 嘲りの言葉を浴びる身になってしまった」。相手に仕返しとしてヨブに投げかける「はやし歌」「嘲りの言葉になっているここでは義人ヨブの姿はない。社会的な地位を失ったヨブに何の恐れも遠慮も無く振る舞う有様は家畜が手綱を振り切り、轡を捨てて勝手に暴れているのと同じである(10~11節)。災いの道に追いやられ、逃げ道を断ち、滅びと死が襲ってきて誰も止めてくれない(12~13節)。「死の恐怖がわたしを襲い、」今は息も絶んばかりである(14~16節)。夜骨は刺すように痛み、肌着のように巻き付き、体は見る影もなく変わり(17~18節)、塵芥のようになってしまった。
20節「神よ、わたしはあなたに向かって叫んでいるのに、あなたはお答えにならない。御前に立っている のに、あなたは御覧にならない。」ここでヨブは嘆きの言葉を「あなた」と神を呼んで訴える。「あなたは冷酷で、祈り叫んでも応えられない」と言う(21節)。風で吹き上げられ翻弄され、死の世界に連れ戻そうとされる(22~23節)。この叫びは十字架上で神の神子イエスが叫ばれた言葉に似ている(マタイ27章40節)。しかしイエスはヨブのように愚かな言葉でなく、全ての人の罪を身に受けて神に捨てられたのである。
24節「人は、嘆き求める者に手を差し伸べ不幸な者を救おうとしないだろうか」。どこまでも自分の身の潔白を主張する(25節)。闇が襲ってきたことを嘆き訴える(26節)。駝鳥の鳴く声は竪琴と笛で喪に服す悲しみの歌を奏でるようである(27~31節)。