『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

丹羽氏次(にわうじつぐ)[1/2]

2018-08-30 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
丹羽氏次(にわうじつぐ)[1/2]

〔現代仮名遣い〕にわうじつぐ


勘介。氏勝の子。父氏勝についで信長に仕える。

1582年2月木曾口で、木曾義昌・遠山久兵衛の

    軍勢に、織田長益・織田・織田孫十郎・

    稲葉貞通・梶原景久・塚本小大膳・水野

    忠分・簗田彦四郎・丹羽氏次が合流する。

    敵馬場昌房は深志の城に籠もり、鳥居峠

    の信長方に対陣する。

1582年3月織田信忠が高遠城を攻陥し上諏訪に進

    出すると、木曾口の木曾義昌・遠山久兵衛

    の軍勢に、織田長益・織田・織田孫十郎・

    稲葉貞通・梶原景久・塚本小大膳・水野忠

    分・簗田彦四郎・丹羽氏次たも深志城に軍

    勢をつめる。立てこもっていた馬場昌房は

    降参し織田長益に城を渡し退散する。


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