亀井玆矩(かめゐこれのり)[1/2]
〔現代かなづかい〕かめいこれのり
※記事量が多いので2回に分けて投稿です。
※下線部は信長公記以外の記事によります。
新十郎。
尼子氏の滅亡後流浪の身となったが、1573年
因幡国で尼子氏再興をはかる山中鹿之助幸盛
に従い、尼子氏の旧臣亀井氏の旧臣亀井氏の
家号を継ぎ各地に転戦した。幸盛の死後はその
部下を率いて秀吉に属して戦う。
信長公記には、「山中(鹿介)幸盛の弟」と
あるが、実は尼子氏の旧臣で山中に従って
行動していた。
1581年10月羽柴秀吉の元へ「吉川元春が南条
元続の羽衣石城と小鴨元清の岩倉城を
取り巻いた」との注進が入り、秀吉は
亀井玆矩の城へまず参陣する。そのとき
吉川は羽衣石城と岩倉城に向けて、馬の山
のふもとに着陣する。
1582年鳥取城攻略の功により因幡国鹿野城主
一万三千五百石となった。
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※下線部は信長公記以外の記事によります。
新十郎。
尼子氏の滅亡後流浪の身となったが、1573年
因幡国で尼子氏再興をはかる山中鹿之助幸盛
に従い、尼子氏の旧臣亀井氏の旧臣亀井氏の
家号を継ぎ各地に転戦した。幸盛の死後はその
部下を率いて秀吉に属して戦う。
信長公記には、「山中(鹿介)幸盛の弟」と
あるが、実は尼子氏の旧臣で山中に従って
行動していた。
1581年10月羽柴秀吉の元へ「吉川元春が南条
元続の羽衣石城と小鴨元清の岩倉城を
取り巻いた」との注進が入り、秀吉は
亀井玆矩の城へまず参陣する。そのとき
吉川は羽衣石城と岩倉城に向けて、馬の山
のふもとに着陣する。
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