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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

斯波義統(しばよしむね)

2017-07-28 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
斯波義統(しばよしむね)

〔現代仮名遣い〕しばよしむね

※下線部は信長公記以外の記事によります。


武衛公。武衛とは兵衛府の唐名で、古くは

源頼朝が武衛と呼ばれる。のち足利尊氏が

斯波高経に「武衛陣」の屋号を送ったこと

から、斯波家を「武衛家」と称するように

なった。斯波義達の子であるが、実は織田

大和守達勝の子という。守護代織田信友に

擁せられ尾張国清洲城に居城。


1554年7月清洲城の内部クーデターにより

    坂井大膳・河尻左馬丞・織田三位

    らに弑逆される。

戦国人名事典では織田信友が弑逆したこと

になっている。
川狩りに行っていた息男の

若武衛(義銀)は、信長が那古野城で丁重に

かくまった。

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