『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

小山田信茂(をやまだのぶしげ)

2020-04-26 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小山田信茂(をやまだのぶしげ)

<現代仮名遣い>おやまだのぶしげ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


武田氏に仕えた甲斐国都留郡谷村城主。譜代

家老衆二百五十騎持。父は左兵衛尉信有。信玄

に従い、武蔵国八王子の戦いに戦功があった。

1582年3月武田勝頼は新府の館に火をかけ人質

    を焼き殺した後、正室・高畠のおあひ・伯

    母大方・お松・信玄京上臈の女らを連れ

    て勝沼から駒飼の山家に逃れる。がしか

    し、頼りにしていた小山田信茂から受け

    入れを拒否され、田子の平屋敷に入る。

結局信茂は、信長に討ち取られる。


 ※武田勝頼滅亡の一因を担ったのに

  信長公から誅伐される・・いったい

  なにがあったんでしょう・・

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