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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

別所重宗(べっしょしげむね)

2019-03-18 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
別所重宗(べっしょしげむね)

〔現代仮名遣い〕べっしょしげむね

※下線部は信長公記以外の記事によります。


孫右衛門。別所氏の一族。三木城主兄長勝の死後、

甥の長治を補佐して織田信長に仕えた。


1575年7月入洛してきた信長のもとへ出仕。

1576年11月上洛した信長に御礼を申上。

1577年2月信長雑賀攻めに参戦し、雑賀に向けて山方を

    進軍。

1580年1月秀吉の与力別所重宗が小森与三左衛門を使い

    として「三人腹を切り諸卒の命を助けるべし」と

    伝えると、そのとおりの返答を書状(浅野長吉・

    別所重宗あて)で秀吉に送る。

三木城開城により浪人。

1585年秀吉から但馬のうち一万五千石を下される。

1587年の九州征伐に従軍。

1590年小田原の役では駿河に駐留

のち堺に閑居し1591年6月死去。



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