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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

永田正貞(ながたまささだ)[2/2]

2018-07-10 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
永田正貞(ながたまささだ)[2/2]

〔現代仮名遣い〕ながたまささだ


1580年3月信長は奥の嶋の鷹狩が終わると

    「世話になった」と称し、永田正貞

    に葦毛の馬・池田秀雄に青馬を下した。

1581年1月の馬場入りで、爆竹(さぎちゃう)

    の準備をつとめる。

1581年4月安土の相撲で正貞の家来「うめ」が

    三番目に取り優り、信長から詞をかけ

    られる。

1581年9月北畠信雄の伊賀攻めに信楽口先手と

    して参戦。滝川一益・堀秀政・永田正貞・

    阿閉貞征・不破直光・山岡景宗・池田秀

    雄・多羅尾光太・青木玄蕃允・青地元珍・

    甲賀衆は阿閉(あや)郡を受け持ち成敗

    する。

1582年1月爆竹南方を、山岡景佐・池田秀雄・弓

    徳左近・永田正貞・青地元珍・阿閉貞征・

    進藤賢盛が務める。


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