マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

583系「はつかり」:総集編(その2) 上野口篇

2009-02-20 00:41:38 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。
雨が降ってきてしまいましたね。今晩は雪になるような情報も入っているので、あしたの通勤時間に影響がなければ良いのですが・・・。

さて、過去ログで何回かにわたって特急「はつかり」シリーズをお伝えして参りましたが、平成21年3月20日に特急「はつかり」のリバイバル運転があるという発表がありましたので、ここらで一つ、懐かしい上野口における583系「はつかり」をご紹介したいと思います。
過去ログの特急「はつかり」はこちらのアーカイブズをご利用下さい。



昭和54年 尾久駅にて

尾久駅を通過する583系「はつかり」。グリーン車が2号車に連結されているギリギリくらいの頃の写真でしょうか。
この頃の東北系の特急列車は、上野駅での中央口及び国電へのアクセス利便を考慮し、東京寄りの1号車や2号車にグリーン車を連結していました。寝台車も東京寄りからA・Bの順に連結されていたのは同じような理由によるものと推測します。



昭和57年 上野駅にて

過去ログでも他の列車と交えて同じようなアングルの写真をご紹介いたしました。
こちらはちょうど583系「はつかり」が上野駅を発車したシーンですね。



昭和57年2月 上野駅にて

上野駅地平ホームの定番写真です。関東で我々の年代はこのアングルと共に育ったといっても過言ではないと思います。昔からテツをしている人ならば、皆んな同じような写真を撮っていたんではないでしょうか。



昭和57年6月 大宮駅にて

こちらは東北新幹線大宮暫定開業直前に撮ったら大宮駅での583系「はつかり」。
東北新幹線の工事はほぼ終わっているので、現在の大宮駅の姿に近い筈なのですが、
この後さらにホームの屋根が延長され、川越線ホームが電化の上、ホームが延長されて湘南新宿ラインが停まるようになりました。
そんなこともあって、この写真の印象も現在とは大違いに映るのではないでしょうか。



昭和57年10月 上野駅にて

やはりこちらも上野駅における定番写真ですが、新幹線リレー号と並ぶ583系「はつかり」の貴重な写真です。後に「はつかり」自体が盛岡~青森・函館間のアクセス特急となりましたので、北と南のアクセス列車が一時期上野駅で顔を揃えていたことになります。

現在の東日本では6両編成しかなく、往時を偲ぶにはちょっと物足りないところなんですが、かつてはこの車両に憧れ、テツにのめり込んだきっかけとなった車両ですから、益々の活躍を期待したいところです。

soppowinkhororiにほんブログ村 鉄道ブログへhibikkurizzz2
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登場間もない頃のEF641000番代 初期車

2009-02-19 01:43:01 | 国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。

今日は、まだ活躍中の現役車両ですが、EF641000番代の初期車をご紹介したいと思います。

まずがこちらの写真をどうぞ。



昭和55年10月 東北本線 蕨~西川口間にて 上り急行「能登」(再掲)

過去ログでアップしたことのある、急行「能登」の旧客時代の写真です。
EF641000が登場して間もない頃でもあり、ピッカピカのヨーロピアンスタイルの機関車と、廃車間際の旧型客車のアンバランスな編成を見ることができました。
このEF641000番代を見て、初期車の特徴に気付きますか?



昭和57年9月6日 水上駅にて EF641000重連仕業の下り20系急行「天の川」(再掲)

こちらはついこの間アップした急行「天の川」のバルブ写真です。こちらは小さくて判りづらいですが、こちらも同じ初期車の特徴が見られます。



昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて EF641012牽引 貨物列車

こちらは大サービスのアップ写真です。お判りになりますか?




実はこういうことなんです。
EF641000番代は、上越地区を所管する高崎第二運転所及び長岡運転所のEF15・EF16及びEF58を同時に置き換えるために導入された機関車です。
水上機関区常駐のEF16をEF641000番代に置き換えるに当たり、それまでデッキ付きのEF16だったためにジャンパやブレーキホース連結の際に構内照明が当たりやすかったものの、EF64の増備に伴い切妻同士を連結するようになると、構内照明が当たらずに非常に作業がやりづらかったようです。

そこで2次増備車からはジャンパ栓の上部に作業用ライトを設置し、作業環境の改善が図られたということですね。最後の写真の1011号も1次車(1001~1016)なので、登場当初はこのライトが付いていなかったのですが、その後全ての1000番代に改造工事が施工されています。高崎区の茶釜1001号機も現在は取り付けられています。

改造時期など詳しいことは記述が無くて分かりませんでしたが、3次型の最終増備が昭和57年度であり、上の写真が昭和57年10月時点で施工されていない状況からすると、全ての1000番代が出揃ってから施工された可能性が高いようです。

今となってはこの塗装そのものも希少になってきましたし、ほんの数年のみ存在した形態は貴重な記録となったようです。

nikomeromero2winkzzzにほんブログ村 鉄道ブログへsoppobikkurizzzmeromero
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高崎・上越線の荷物電車

2009-02-18 00:36:46 | 旧型国電
こんばんわ。

昔は「荷物電車」なんて地味な列車があちらこちらに走っていたモンです。今や形的に残存するものや列車として細々と形態を残すものがあるくらいで、まあ、実質は壊滅したと言って良いでしょう。

特急・急行列車に併結したり、首都圏では普通列車に併結したり、専用に組まれて遠距離を延々と走っていたものなど、電車、客車、気動車と、全国様々な態様で走っていましたね。

私の地元東北本線沿いでは、東海道線の荷物列車と同じように、客車仕立てのものの他に、普通電車に併結した荷物車と、荷物専用列車として仕立てられたものがありました。
このうち、『長岡行きの普通列車』に併結されたものについては過去ログでご紹介いたしましたが、今日は荷物専用として存在した荷物電車の写真をご覧いただきたいと思います。



昭和52年頃 東北本線 西川口~蕨間にて

この写真はブローニー6×6で撮影しています。
クモユニ74を連結した6両編成の荷物列車。私が小学生の頃からずっと存在していました。
子供の頃は何が繋がっているのか理解できませんでしたが、クモユニ74やクモニ83で組まれていましたね。寒冷地仕様のクモユニ74200番代も居たのですが、この大目玉の74も必ず連結されていました。
方向幕を見ると、どうも「豊橋」の上の部分が見えているような気がします。東海道線と共通運用だったのでしょうかね。



昭和57年1月頃 東北本線 西川口~蕨間にて

こちらは旧型国電の最晩年の頃ですかね。3+3の6両編成が2+2の4両編成に減車されるようになってしまいました。
中央東線で余剰になったクモニ83800番代が流出してきており、スカ色のまま普通列車に併結されたり、ご覧のように岡山地区でしか見られなかったような湘南色の出で立ちで上越線に進出してきました。
私的にはこの800番代の張上げ屋根車が大好きだったんです。しかし、気が付いた時には中央線の115系が新宿に乗り入れなくなってしまい、撮る機会を逸していましたので、このような形態でも同車を記録できたのは非常にラッキーでした。



昭和61年10月頃 東北本線 蕨駅構内にて(再掲)

こちらは荷物専用列車として最晩年の頃でしょうか。たった2両編成になってしまいました。
既に旧型電車は淘汰され、土着のクモニ143と、足りない分は身延線の荷物輸送廃止で新製ながらも役目を失ってしまったクモユニ143の異動で賄いました。特にクモユニ143-1は「身延線色」にままで上越を走ったため、結構注目を集めましたね。
こちらの写真は新性能車ですが、カテゴリ分類上、旧型国電に組ませていただきました。

線路際に写真を撮りに行って、時間帯が良いこともありしょっちゅう見てはいたのですが、意外と撮影していた枚数は少なかったですね。一つは旧型国電がそんなに急速に淘汰されるとは思っていなかったことと、やはり特急列車に比べて地味、貨物牽引機に比べて特徴がなかったのでしょう。細かいところを見れば奥が深いんですがね。そこは未だ知識のなかった中学・高校時代と言うことで仕方が無いでしょう。

hororihekomihororihekomihororihekomihororihekomihororihekomiにほんブログ村 鉄道ブログへhororihekomihororihekomihororihekomihororihekomihororihekomi
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モハ452 急行「いわて」のサボ

2009-02-17 07:07:46 | その他電車
おはようございます。
昨夜はネットのレスポンスが良くなかったのでアップしないで寝てしまいました。
したがって、毎度ながらの朝一アップ一発ネタです。



昭和57年11月13日 上野駅にて 急行「いわて」

上越新幹線大宮暫定開業を翌々日に迎えた、57・11ダイヤ改正2日前に撮影したものです。この頃は原則駅間撮りばかりしていましたが、東北・上越の列車が発着する上野駅としては史上最大とも思われるダイヤ改正を迎えることとなりますので、改正前日、前々日と、消え行く列車たちを追っていました。

その中の1カットがこの写真。ヘッドマークが装填されない時代の急行列車ですので、列車の証を立てるには列車番号を撮るか、このようにサボを撮るしか方法がありませんでした。

屋上ファンデリアのルーバー形状からして、453系モハ452のようですね。アップで撮らなかった分、使用車両の特定もできる構図となりました。東北急行のサボは、何故かホルダーよりも若干短くて、奥まで入れると取りづらくなってしまうんですね。
上野駅でアルバイトをしていた時代、高架ホーム発着の直流型急行はサボの差し替えがしやすかったのですが、この東北急行のサボは取っ手を掴んで奥まで押し込もうとすると、ホルダーと取っ手に指を挟まれてしまうのです。急いでいるとついつい忘れてしまい、何度か痛い目にあったことがあります(笑)。

当時は2往復しかなくて、なかなか出逢う機会が無かった急行「いわて」でしたが、こんな形でも押さえておくことができて良かったと思う1枚です。

にほんブログ村 鉄道ブログへ

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄 キハ82系「くろしお」

2009-02-16 00:31:11 | 特急型気動車
こんばんわ。

暖かい土日でしたね。天気がイマイチな部分もあったのですが、SL運転では賑わいを見せていたようで。このところイマイチ鉄気の無い私は、ネタ作りのデスクワークに励んでおりました。

で、今日は懐かしいところから、気動車特急篇としてキハ82「くろしお」をアップいたします。



昭和49年8月 天王寺駅にて

小学5年生の時、初めて写真を撮りに行った関西での撮影の1コマ。何故か天王寺駅へ「くろしお」も撮りに行きました。
当時は小学生ですから、キハ81が走っているなんて情報はもちろん入っておらず、「くろしお」という名称だけに魅かれていったと思います。
天王寺駅は上野駅に似た雰囲気を持っており、好感の持てた駅だったことを覚えております。ただ、夏休みだったからか分かりませんが、ホームがヒジョーに混雑していた記憶があります。



昭和52年3月30日 名古屋駅にて

こちらは中学1年の終わりですね。もーまんさんの田舎へ連れて行ってもらう行程で大垣夜行に乗り名古屋駅へ。一緒に行った同級生が全員テツでしたから、必然的な行動です。初めての名古屋でした。
この時点で名古屋発着の「くろしお」は1日1往復のみで、唯一運用でキハ81が組まれていました。ただし、運用が変則的で、前後でキハ81+キハ82とバラされていた時期や、前後が揃っている時期があり、たまたまこのときは揃っていた時だったんですね。1日片道のみの行程でしたので、天王寺行きにキハ81が当たるか、名古屋行きに当たるか50%の確立だったわけです。で・・・結局ハズレだったということでorz

特急「くろしお」はグリーン車を2両組み込んだ豪華編成でもあり、大変憧れた存在でした。しかし、早いうちに新宮まで電化開業し、381系化(一部は485系化)され、キハ82は非電化区間の特急「南紀」へと追い遣られ、キハ81も同時に形式消滅となっております。

結局、「いなほ」を見て以来続いていたキハ81の現役時代の写真を1枚も撮ることができず、最後は50%の確率にもハズレて終わってしまった、大変残念な形式でした。まあ、今となってはこの写真すら貴重な歴史の1枚となってしまいましたが・・・。

昨日はポチ暴落horori。お願いしますだぁ → にほんブログ村 鉄道ブログへ

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする