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マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

国鉄形 72系:なつかしの可部線

2008-06-30 01:18:59 | 旧型国電
こんばんわ。
昨日はランキングポイントの回復にご協力いただきましてありがとうございました。
それにしても何があったのか知りませんが、一昨日は544件、昨日に至っては573件と、今まで成しえなかった400件の壁を遥かに超えたアクセスをいただきました。

今日は少し落ち着いていただくためにも、地味ネタのアップで対応したいと思います。

可部線は、広島駅の1つとなりにある横川(よこがわ)駅から分岐してヘロヘロと蛇行しながら山陰の山奥へと向かうローカル線です。三段峡駅まで60.2kmに及ぶ比較的長い距離を結んでいました。
同線の特徴は、途中の14km地点にある可部駅までは都市近郊型の直流電化路線、その先は非電化のローカル線と2つの顔を持つ路線で、関東や東北ではあまり見ることの出来ない形態をしていました。※福塩線辺りは類似しているといえるかもしれません。

電化区間である可部線には、古くは17mの戦前型国電が走り、それらを淘汰した際に72系の20m車が配置されています。
塗装は広島地区独特の塗装で、仙石線同様のウグイス色(山手線と同じ。)が用いられていましたが、仙石線とは違い、面積の広いオレンジ色の警戒色が塗られているという特徴がありました。ある意味、この塗装が可部線の72系を不人気にしていた感も否めません。
ちなみに、この塗装は同じ広島地区の呉線の普通列車に端を発するデザインで、車両も共通のようです。

では、あまり枚数はありませんが写真をどうぞ。








以上4点 昭和57年10月4日 可部線 上八木~中島間にて

初めて可部線を訪れた時に撮った写真です。
撮影地も良く判らないので、取り敢えず乗車してロケハンを実施。降りたのがこの区間でした。
車両は72系で、クモハ73+クハ79の2連のみ。乗客の多い時間帯は2×2の4連で運行され、朝夕の通勤・通学時間帯は広島駅まで乗り入れを行っていました。※一部で海田市駅までの乗り入れあり。
こうした運行形態は、当時やはり72系で運転されていた富山港線と酷似していました。
ただ、車両形態のバリエーションで言うと、可部線のほうがやや面白みはあったかもしれません。





昭和59年2月10日 可部線 横川駅にて

これは2度目に同線を訪れた時に撮った写真。
宮島へ行く途中、広島で寝台列車を降り、早朝なので1駅寄り道をして撮りました。
テツじゃない職場の同僚との旅行だったので、深入りせずに記念撮影的に。
なぜわざわざ寄ったかというと、57年の撮影のときに、便所付きクハ79の写真を撮り損なっていたので、どうしても撮りたかったんです。そしたら、幸運にも1発目に来た4両編成の最後部に便所付きクハ79が連結されていました。判るかな?




可部線にはクモハ730001のトップナンバー車も居たんです。普通、旧型国電は000番から番号が始まるのですが、72系は001から付番されたようです。
しかもレアな海田市行きのサボ。可部線が主体なのか山陽本線が主体なのか意味不明の表示ですな。

この可部線の72系は、最後に撮影した昭和59年に105系に置き換えられてしまい、この時点で極特殊な線区を除き旧型国電は全国的に淘汰されてしまいました。
ウグイス色の旧型国電も、この可部線が最後の運行線区となっています。

さらに、5年前には非電化区間も廃止になってしまうという憂き目に逢い、この写真を撮った当時とは大きく変貌してしまいました。


可部線のウグイス色、懐かしいなぁと思った方 → 鉄道ブログランキング

へぇ~、こんなのが居たんだぁ~と思った方 → 鉄道ブログ
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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (金太郎)
2008-06-30 21:01:39
可部線の旧国時代は行く事が出来ませんでしたが、ガイドブックや雑誌では見たことがあります。確かクモハ73001は吹田工場かどこかで更新したんじゃなかったでしょうか?番号はわかりませんが一番上の大鉄型の通風器も今では懐かしいですね。私はどちらでもいいのですが人によってはこれを嫌う人も多かったようです。便所付きのクハ79、正面窓からして004番では?
一部では色からしてコンテナ電車とか言われたようですが、あちこちから寄せ集められた車両らしく顔つきから即窓にいたるまで色々あったようで面白いですね。コンバージョンキットでもこの辺は9mmでは色々なメーカーから発売されてるようですね。似た色では仙石線の押し込み型通風器+タブレット保護柵付きでクモハ54やクハ68と混結なんてのも面白いかな?なんて思っとります。
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Unknown (キハ181つばさ)
2008-06-30 21:35:51
金太郎様
001は確かに更新車でしたね。見たとき「えっ?」て思いましたよ。全然古臭い格好じゃなかったので。
窓は形態が豊富でしたね。でも、中間車がない分あっさりしていた感じです。
形態のバラエティーさから言えば仙石線の方に軍配が上がるでしょう。3扉あり、押し込みベンあり、ノーシル・ノーヘッダーあり。行きたかったぁ~。
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Unknown (line)
2008-06-30 21:38:28
中国地方の旧国路線は行ってないですね。
C57を撮りに行った際に宇部線の茶色にクリーム帯のタイプを少し撮った程度です。
確かに黄色帯にすれば仙石線と変わりませんね。こちらも全ロングシートなんですかね。
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Unknown (キハ181つばさ)
2008-06-30 21:56:22
line様
昔の旧国勢力図を見ると、枝線だけでなく本線自体が旧国天国だったんですよね。
私も小野田線とか撮りたかったんですが、長山支線のクモハ42しか間に合いませんでした。
可部線はオールロングシートでございます。
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Unknown (シービー)
2008-07-02 00:03:16
この塗り分けや色は、独特のものでしたが、どこからこアイデアが出てきたんでしょうね。
前サボは使用していなかったんですね。
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Unknown (キハ181つばさ)
2008-07-02 00:53:20
シービー様
山陽スジはこの色もそうですが、福塩線の新幹線ブルーとか、小野田線の茶色に黄色とか、やたら派手な目敏いカラーが多かったですね。瀬戸内だから霧が多いのでしょうか。
そういえば、サボ受けの付いている車両自体が少なかったですね。雑誌等の写真でも見たことがありませんし、初めからつける気は無かったのでしょうね。
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Unknown (宮オオ)
2009-05-21 23:04:06
こんばんは、
戦争末期の昭和19年に木造車の鋼体化改造により登場したクハ79の8両は後年の901(>209-900~920)に匹敵する位の徹底した低コスト化が図られたと聞きますが、そのうちの何両かゞ当時の大宮工機部(いまのJR大宮総合車両センター)にて出生されたそうです。
旧型国電の本にある古い写真とかで登場時のクハ79鋼体化車の車内を見ると、ホントに後年の209の車内の雰囲気=シンプル・イズ・ベスト=が何処となく似かよっていて、徹底した経済性重視の思想が再び引き継がれたことには鉄道車両のデザインの変遷を見ると面白いものです。
それでは、この辺にて失礼します。
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Unknown (キハ181つばさ)
2009-05-21 23:27:06
宮オオ様
最初に63型が誕生した時は、天井板さえ無く、梁が露出している写真が紹介されていましたね。座席の端には肘掛も無かったので、太った人にねじ込まれたら、端の人が落ちちゃったり、なんてこともあったかもしれませんね。
戦争で負けてお金が無かった時代ですから、簡素化というよりは貧粗という方が合っているように思います。サッシ化された73形ではその面影も感じさせませんね。
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