УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

ケロリン桶

2013-03-22 20:57:59 | 日記
そーいや、2,3日前のニュースで、ケロリン桶を製造していた睦和商事が倒産した!!との事で
うーむ、ケロリン桶っていえば、別名「永久桶」
つまり、一度買えば永久に使えるくらい頑丈、っていう桶だから、買い替えという選択肢がない以上、新規購入開拓しか道がないわけで。
で、現在、新規で銭湯、っていうケースはほとんどナシ。
スーパー銭湯も、かなりいきわたってるから、これから新規開拓って難しかったんだろうなぁ~
・・・うーむ、残念!!
それで、最近Lo○tとかで見かけなくなってたのかぁ~。
もっと早く、関東型も入手しておけばよかったなぁ~・・・
我が家のは関西型で。
関東と関西では、桶の深さが異なるんですね。関東型の方が深くて、一回にお湯の入る量が多い。
関西は、湯船のお湯を直接洗面器で汲む、という習慣があるのに対し、関東では直接ではなくて、いったん専用の柄杓みたいのですくって洗面器に入れる、という違いからなんだそうですが・・・
我が家は、そう考えると昔昔から関西型方式なのだなぁ~。
で、もって、ケロリン桶、製造中止というわけじゃなくて、今後はケロリンの会社が製造を引き継いでいくそうなので、まったく製造中止になった、というわけでもないそうで。
まーそのうち、落ち着いたら、今度こそ関東型ケロリンを入手しておこう!!と、思います。
今、結構ネットオークションで高値がついて、スゴイ事になってますよ、ケロリン桶!!
大体、相場が並の黄ケロリンで新品5000円くらいかな?確か、定価は約2000円くらいだったような気がするが・・・
で、さらにレアモノの白ケロリンは10,000円!!でございます。
まぁ、白ケロリンは確かにかなり以前から製造されてないし、貴重品ではありますが。
会社も変わったことだし、マニア向け(?)に白ケロリン復刻販売してくれないかなぁ?

で、昨晩は猫ボラ当番だったので、家からキャリーケースを持参して、子猫の捕獲を試みてみましたが・・・
ダメだねぇ~、警戒しちゃって全然、でございます。
まぁ、しばらく続けれれば続けていって、機会を狙おう・・・
やはり、本格的な捕獲器使わんと難しいかなぁ~。

で、最近読んだ本。


ビブリア古書堂の事件手帖2 ~栞子さんと謎めく日常~

ビブリア古書堂シリーズの二巻目。
今回も、なかなか面白かったです。
本というか小説、とか作家に関する知識って私はほとんどないので、栞子さんが語る薀蓄とか、その物語の話とか、結構面白い!!
んですが・・・
相変わらず、この栞子さんの描写がちょっとねぇ^_^;っていう感じで。
ヌルヌルっていうか、萌え萌え~すぎるのが、ちょっと引いちゃうっていうかねぇ。
もう2巻目なんだし、キャラクターの大体の外面的な感じは、読者はわかってきていると思うんで、そういう萌え系表現は抑えてくださったほうが読みやすいんだがねぇ^_^;;
ネタ的というか、物語の展開的には結構引き込まれるんだけど、この栞子さんの描写で、ガクっと現実に引き戻されちゃう感じなところが、なんとも惜しいっ!!です。
まぁ、全体的には「面白い」方に軍配をあげるんですが。
今回の話のうちで、私的に一番面白かったのは、「時計じかけのオレンジ」に関連する話かな?
でも、最終オチは途中でわかっちゃったけどね(笑)
以下、ネタバレがあります・・・

「時計じかけのオレンジ」は、私は原作読んだことがない、っていうかキューブリックの映画版のハイライトを見た、というくらいかな?
エピソード的なこと、この映画を見たロンドン在住の若者が凶悪犯罪(殺人)を引き起こし、そのため、この映画がイギリスでは上映禁止となった(今でも、だったかなぁ?)という話を、聞いたなぁ。
まぁ、それはお気の毒・・・という感じでございますが。
たぶん、そういう人はこの映画がそのきっかけになってしまった、としても、この映画がなかったとしても、たぶん同じような事件を起こしたんだろうしね。
映画見た人が全員、同じ反応を起こしたわけじゃないんだから、そういう素質を持ってかつ現実とフィクションの区別がつけられないまた、その耐性の弱い人はそうなる危険性もある、っていう事で。
根本的に映画が悪い、っていうわけでもないけどね。
で、映画じゃなくて原作の方の話なんだが、原作には実は二種類あって、最初に出た版と後から出た完全版があり内容がちょいと違うというかラストが違う、というのがこの話の大きなヒントになるんですよね~。
で、一般的に考えると、作者が実際に考えて書いたのが一番ホンモノ、っていう感じになると思うんだけど、この本の場合は後からよくよく冷静に考えると、最初の版のラストだったからこそ話題になって、キューブリックが映画化して、っていうことになったのかもなぁ、という気がしますねぇ。
よく、映画とかがDVDになったとき、時々、デュレクターズ・カット版というスペシャルバージョンが劇場公開版とは別に出ることがあるんだけど、大体スペシャルバージョンの方が長くて、そこからいろいろカットして時間短縮したのが劇場公開バージョン、というケースが多いようですな。
監督が、自分が作った映画なんだけど、いろいろ商業上興行上の理由で泣く泣くカットした場面を改めて再現した!!っていうので、より作品が深まり、面白くなってる・・・ハズなんだけど、実際そうでもない、っていうのもあるわけでして、と私は思う。
例えば、「ニュー・シネマ・パラダイス」ジュゼッペ・トルナトーレ監督ですな。
まぁ、あくまで個人的な好みなんだけど、この映画の場合は、完全版だと主人公が映画監督として成功して地元に帰ってきて、かっての恋人と再会して、彼女はもう結婚していい年の娘もいたりするんだけど、その彼女を忘れられなくて監督がストーカーチックしている、なんつうのが完全版にはあるが、劇場公開版ではカットされているんだな~。
映画好きな人として、この映画を見るならば、やはり主題は主人公の失われた愛、よりも映画に対するノスタルジー、映画技師と映画好き少年との思い出、という方に焦点を当てたくなる、と思うんだよねぇ~、なので完全版よりも短く編集された版の方が私的には好みです。
他では、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ、これは劇場公開版とは別に、もっと長いコレクターズエディション版っていうのがあって、本来はDVDのみだったんだけど期間限定で劇場公開されたところもあった。
これは、そのまんま上映したら3時間半くらいあるんで、仕方ないかなぁ~という気もするが、確かに「涙を呑んで削った」というのが伝わってくるような感じでねぇ。
物語の、三部作の映画としての流れを考えた場合、いくら名シーン、名エピソードでも全体の流れを殺ぐ、っていうかわかりにくくなってしまうとか、っていうのから、もったいないけど削ったっていうのは分かるっていうかねぇ。
ま、ロード・・・の場合は、そもそもの劇場公開版は「入門編」であって、それだけでも十分話は通じるけど、更に知りたい方は・・・こちらへどうぞ!!(爆)っていう感じなんで、まぁそれはそれでありかな?と思いましたな。
映画じゃなくて小説で、そういう傾向で思い当たるのはダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」
1959年に中編小説として発表し、1966年に長編小説として改作されたそうで、私は高校生の時に中編版を読んで、大人になってから長編バージョンを読みましたが、こちらはうーむ、その読んだ時の自分自身の感受性の違いとかもあるのかな?とも思うが、中編版の方がズッシリ来たなぁ、という印象でした。
中編の方が、主人公の一人称語りが多くて、より主人公の変化が判る、第三者からの描写じゃなくて自分自身の変化としてリアルに判っていく、判ってしまう、その怖さがスゴかったような印象があります。
あー、確か、この小説、日本でTVドラマ化されたんだけど、ありゃ~酷かった(爆)
ドラマ化って言えば、この「ビブリア」シリーズもドラマになって、結構評判は散々らしいですがねぇ~。
日本のドラマって、原作を大切にする、っていうよりも、キャストの役者なりアイドル目当の人気・話題性頼みで視聴率優先主義っていうとこらあたりに、原作ファンを落胆させる原因があるんじゃないかなぁ?と思いますねぇ。
邦画ともそうだけど、人気マンガとかアニメの実写化がほとんど内容的に失敗しているケースが多いのは、そーいうあたりにあるんじゃないか?と思うぞよ。
人気あるから、とやたらめったら実写化すればいい、っていうもんじゃないんですよねぇ~。
というわけで、なんか話がズレまくってますが、要するに「作者が自分でいいと思ったモノ=名作・完品・素晴らしい」でもない、っていうところかな?
コメント
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