丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

「味わう」ってことが、自分の支配権を取り戻すコツさ。

2021-08-08 16:07:26 | 心の解放シリーズ

味わうってことを、忘れがちなんだ。

頭がいいかどうか、賢いかどうか、じゃないんだ。ほんとうは。


学校で先生に教わったとおりのことを暗記してるだけじゃだめなんだ。

そんなことはこれからは全部ロボットがやってくれるからな。

親や先生の期待になんて応えようとしちゃダメなんだ。

親や先生の言うことの中に嘘もいっぱいあるぞ。

親の言うことなんて、一番聞いちゃいけないことだ。
おばさんはいっさい親の言うことを聞かない。

それからな、毎日せっせとネットで情報収集しても、思考だけでデジタルに情報処理してるだけじゃ、なんにも見えないんだ。

そいつの言ってる言葉をじっくり味わってみる。書いてあることをじっくり味わう。
ニュースの言葉は無味乾燥だけどな、
そこを自分の感覚で、血のかよった人間の言葉に変換するんだ。

酒でも飲みながら。

こういう意味か~〜。

ははーん。なるほどね。こいつ、こういうことたくらんでるんだ。
こういう目的があってこういうこと言ってるんだー。
そういえば、過去にあんなこともあったよね、と関連情報を思い出し、過去の記事をまた見返したりする。
あー、過去にこういうことしてて、今のこれなのね、と起きていることが繋がる。

今は情報社会だから、いっぱい情報が入ってくる。昔と比べたら、はるかに情報量が多い。いくらマスコミが報じないといっても。

すると、味わうことを意識しないと、すぐ流れていっちゃうんだ。
入って、流れて、入って、流れて。
毎日この繰り返しじゃ、洗脳されていくの当たり前だ。
ニュースだけでなく、学校の授業も似たようなもんだなw

そうじゃなくて、いったん自分に落とし込むって感覚だ。味わうっていうのは。

だからおばさん、こどものころから、先生の説明に納得いかないと、頭に入れる気がしないのね。どの教科でも、それ、ホントかねー?って。
でも先生は学校の勉強はすべての基礎学力だからとりあえず頭に入れよという。

機械的に頭に入れなくてよかったと思うわ、おばさんになった今。

機械的にがんばって頭にいれまくった方が、今エリートとしてご活躍だ。

積極的にあいつらの手下として、筋のとおらないこと言いながら、日本を支配なさっている。

てゆうか、ニュースやお勉強だけでなく、なににしても味わうということをやんないと、つまんないだろ?生きてても。
何見ても、感動もなにもないだろう?

こいつはなんでこんなふうに描くんだろう?とか。

感じて、ふーん♪と思ってからそれをしゃべる。そういうのがおもしろいんだと思うけど。

でも今は民主主義がおわっちゃってすっかり全体主義になっっちゃったから、勝手なこと言うと怒られる世になってしまった。
でも本当は、勝手なこと言っていいにきまってるだろ?
人に押し付けるのが問題なわけで。

で、ここがわかんなくて、雰囲気にのまれて、みんなが黙るから、あいつらと手下どもがつけあがるんだろ?
叩いてくるやつはみんなしもべだぞ?ネット上だけでなく、親や先生も。
だってこいつら人に押し付けたり、攻撃したり、支配したりするだろう?
そっちのほうがよっぽど問題だろ?w

ま、単にそいつが自分の無い状態で、縛られて生きてるってだけだ。

そういうわけで、大変な世の中にあいつらがしちゃったわけだけど、
もともと人々の中に全体主義的な支配の意識があって、それが今はげしく炸裂しているわけなんだ。煽られるがままに。
自業自得なわけだ。
そういう親や先生は煽られまくって自滅するだろう。
盛大にオウンゴールしていくことだろう。しかたないね。
それも長年にわたる本人の選択の結果だ。

味わい、咀嚼することを意識しないと、流れてくる情報をデジタルに左脳で処理しておわり。洗脳されながら。これでも学校や就職の試験では100点満点だろう。

味わうということを意識して見ると、偏向報道であっても、「書き手の意図」がわかるの。(それをぺろっと言っちゃうのがおもしろいと思ってる)

味わうということをしてると、自分の感情、感覚中心に「情報を咀嚼する」ことになる。
こっちのほうが正確にとらえられる

難しかったら、実際に酒でも飲みながら、味わう練習をしたらいいんだ。
自分の五感や味覚や感情を感じるの。そうすると他人の意図や気持ちも感じられるの。
いい人とは心通う関係でいられるの。
相手の企み、目的、意識が感じられるから、不快なら近寄らない、言うことを真に受けないようにして自分を守れるの。
安全なの。味わっていると。自分を感じていると。
不快なのはちゃんと理由があるの。相手がなんか仕掛けてるからなのw

これは、リラックスしてのんびりいないとできないの。
せかせかして「~なきゃならない」と思考ばっかしてるとできないの。
だからそういう雰囲気の職場にいる人は要注意だ。
雰囲気にのまれてはいけない。
せめて自分だけはリラックスしてゆったりして、上司・同僚の本来の業務の指示以外の、つまらぬ支配を断ち切る練習をしたほうがいいだろう。


デジタルに思考で処理してる人は、発信者の意図にのせられてしまいがちだ。支配されてしまいがちだ。
相手が陥れようといていることに気づかないの。
理屈で処理してると、相手の支配の意図が感じられない。
するとだまされるの。支配され洗脳されるの。
残念ながら、ほとんどの人がそんなふうだ。
勉強のできる優等生ほど、あいつらに洗脳されてるってのはこういうことだ。

それから、攻撃する意図でネット上に書き込むやつが多いけど、そんなのに、どこまでも、のっていってしまうんだ。思考ばっかりのやつは。
理屈で争いを仕掛けられて、理屈で応戦するってパターンね。
問題の本質がどんどん分からなくなって、単なる言葉をつかった攻撃、争いになって不毛だ。
こんなことばっかやっている。
これは脳幹という戦いスイッチが入っていて、さらに左脳をマイナスに使っている。まだ脳をプラスに使えない、我々人類なんだ。
(たまに脳科学者がこれをやってるのを見る。やれやれ、脳についてなんもわかってないんだなと思う)

リアルな人間関係でも、理詰めで来る左脳支配者の言うことは無視してよろしい。
いちいち答えなくてよろしい。
どうせその理論は正しいようで破綻している。細かく見ると。
だから無視して自分の気持ちを言う。のらないで、自分の感情を言う。これが一番つよい。
そんな相手の自由も認めて、戦わないで言えるとさらに強い。
肩透かしを食らわせることができる。

気持ちいって、離れる。以上。
まともに取っ組み合うと疲れるから。
相手に戦う意図がある以上、意味ある議論なんてのは皆無だ。だからムダなんだ。
目的が戦って相手を打ち負かすことになっちゃってるから、問題を解決したり、事態をよくすることではなくなっているの、すでに。
(夫婦喧嘩なんかもそうだろう。。憂さ晴らしと、争うことで相手とくっつきたい、関わりたい意識だ)
こうやって相手が不毛な支配や戦いを仕掛けてくるのを切る。
そして戦いから降りて、脳の戦いスイッチをさっさと切って、

味わうということを、思い出してほしい。こっちのほうが楽しいだろ?

味わうということは、急いでいると、できない。戦っていると、できない。

だから、私は、ヒマでのんびりいるように、あえて、している。

しかし世の中はなんでもスピードと効率追求。
なんでも早くできることがいいことなんだ、「仕事が早い・できる」などと言って優秀であることになっている、社会の価値観だから、そういう感覚でいると、1日をせかせか送っておしまい。
人の期待に応えたい、いい人だと思われたい、仕事ができると思われたい、
こういう思いが強い人ほどそういう生き方になる。

その流れで、ネットなどで情報収集しても、デジタルにふんふんと頭に入れておしまい、となってしまう。洗脳されてるのに気づかない。

これだと、あいつらの謀略になんて思い至るはずもない

こんなふうに人の期待に応えたいとか、他人の目を中心に生きている時点で、羊になる運命が決まってしまう。

「全部陰謀で物事を見たら、仕事できんで〜」とレッテル貼ったり決めつけて、却下してしまう。
ここでフィルターがかかってしまうわけだ。
大事な問題があっても細かく見ようともせずに流される。
だから、みんな見方がザツだと思う。専門家であっても。


こんなふうに有名な先生であってもザツなお話しか書けない。
強力なフィルターがかかっていると、こうなる。
この忽那先生なんかは、きっと小さいころから、一生けん命お勉強して、おかーちゃんの期待に応えることが生き甲斐だったんだろうなぁと想像される。
今は河野太郎の期待に応えるのがうれしいんだろうな。
でもこういう人であっても潜在意識や無意識層では知ってるんだ。
いいかげんなこと言ってるってこと。
するといつか、無意識が本心のほうを叶えてくれて、矛盾を解消してくれるから。
矛盾が大きければ大きいほど、マイナスの出来事を起こして、自分の心の矛盾を解消してくれる。それを楽しみに見ている。だからトラブルもちゃんと意味があって起きている。病気などもそうだ。
なので、起こることにわるいことなんてひとつもない。マイナスエネルギーの解消だ。

みんな言ってることが、誰かの受け売りか、似たようなことを言っている。
しかしもう自分の感覚でオリジナルに丁寧に見ないと命に関わるようになってきた。
このようにして導き出した結論ならば、仮にまちがっていたとしても、自分で考えて自分で決めたことだと納得できるのね。

でも人の言うことを真に受けて決めたとしたらどうだろう?
それが間違っていて、大変な目に遭ったとして、納得できるか?
結果、自分が泣きを見ることになる。
あいつらの悪事の責任をとらされることになる。
これが、自分なく他者や世の中に迎合するという選択をした結果だ。
支配をゆるしたのは自分だからな。
いくら小さいときから親に支配されてきて、迎合パターンがしみついているとはいえ。

製薬会社も国も医者も専門家も責任をとらない準備、万端だ。
そのうえでの発言やアドバイスであることを前提に、彼らの言ってることを聞く必要がある。




むしろ、打たない、勧めない判断をしたほうが、責められる?訴えられる?という雰囲気なわけだ。
そりゃ、無責任に、好き勝手言うで~。責任ないと定められてるんだもん。
言っても訴えられないし、そのほうが儲かるし。
良心なんか発揮しても、商売あがったりで生活できなくなっちゃうと困るもんね。
だから私は、そういう方たちのアドバイスを根拠に決めるなんてことは、こわくてできないんだ。責任とってくれないもん。

もう専門家の意見を聞いて決めるっていう常識もそろそろおしまいだなと思う、今日この頃。

自分の支配者は、自分だ。

そうね。
ワクチンでもマスクでも、するかどうか決めるとき、
本来は、その効果や害の情報を集めて、判断する。
でもあの人が勧めるから、周りが打てというから、とか、そういう意識でいると、
ワクチンならワクチンについて考えることがちっともできないのね。
職場で学校で打てというから、とか。
全然客観的な考察がなされないわけだ。

問題が起きたとき、そのテーマはなにか?と見極める。
この場合、ご近所さんとの人間関係ではない。職場で気まずくならないかどうか、ではない。
ワクチンのメリット・デメリット比較して、自分にとってメリットが上回るかどうかだ。
でも、支配関係に生きているかぎり、これができないのね。こんなあたりまえなことが。
専門家でもそうなのね。他人や周りの期待に応えることしか頭になければ。

それでお医者さんも、国も、製薬会社も、いいかげんなことを言っても免責なのね。

そして、「職場で打てというんだもん」っていったって、職場もまた、接種後に副反応や免疫がおかしくなっても責任とってくれないだろ?

いいかげんなこと言って支配するくせにその責任はとらない。
これを何度やられたら気づくんだろう。

こういう人や場所から距離を置くことだ。そこに罪悪感はいっさい不要だ。

意志表示しても認めない人や職場に長くいてもいいことはないだろう。私なら転職を考えるな。

世の中ワクチンで大変なことになっているけれど、



覆すには、なにもあいつらを力でもってやっつけるだけが手段ってわけじゃないんだ。
多くの人がそれを選択しないっていうのが、もっとも強い
一部の人がデモをしても、大多数が賛成・選択してしまうならば、あいつらは推し進めるだろう。
でも、人口の大多数が拒否したら、それだけでワクチンパスポートなどは無理だろう?

嫌なら離れる。選択しない。それだけだ。それは、こういう身近な問題もいっしょだ↓

嫌な人との付き合い方:③愚痴をこぼす人・クレーマー


人の愚痴なんて聞かなくていいんだよ。
まず、そう思えるかどうかだ。

それはその人の問題だ。
自分に全く関係ない。

その人が問題の解決をしたくて困ってて、「どうしたらいいか教えて」って真摯に求めているのならいいけど、たいてい愚痴をいうやつっていうのは、自分で問題解決する気がない。

つまり単なる憂さ晴らしだ。

人を殴って憂さ晴らしするのとなんらかわらない

(殴るのは肉体の支配。愚痴は感情を使った支配
支配者タイプ暴力や恫喝にうったえがち

犠牲者タイプ感情で支配

なぜ自分がサンドバックにならなきゃなんないんだ?

よく居酒屋で酒飲みながら同僚と職場の愚痴を言いあって憂さ晴らしっていうのがあるけど、あれはお互いにやりあって納得して満足してるからいいだろう。

わたしは親が愚痴を言う人間だったから、ずいぶん悩まされた。

こどもは親の言葉を額面通り受け取るから、こどものわたしが親に解決方法を教えてあげて助けてあげなくてはならないような気持ちになるのね。
でもそんなもん、相手は聞く気なんてさらさらないわけだ。

こどもに愚痴いって憂さ晴らしして、さらに子どもを味方に付けて、夫や姑と戦うってのをやりたいだけだから。そういう無意識の目的があります。こういう人、多いです。
だから愚痴をいう人は、無意識のよこしまな目的があるの。
そこに言ってる本人も、言われている人も気づいていない。

それで、私がえらかったのは、高校生くらいの頃だっただろうか。
「気持ちはわかるんだけど、わたしもつらくなるんだわ」と言ったことがあるの。愚痴を言う親に対して。

そしたら親は「それでも家族か!」って逆ギレしたよ。
今にして思えば、相手のものすごい支配性が露呈した瞬間であった。

それから私はだんだん親を見限るようになっていった。

これは重症パターンだ。こんなふうに言って、はっと気づく人もいる。そういう人は、支配から抜けて、愛の関わりにシフトする見込みがある。

逆ギレするのは、なにがなんでも、支配の関わりにしがみついていたいということなんだ。これが本人の意思だから、これ以上つきあってると、わたしがダメになっていく。

実際、罪悪感から、この重症支配者とつきあい続けてダメになっていく人は多いだろう。

こういう支配関係から抜けられないと、職場でも自分の家庭でも、どこででも人と支配関係を築くようになっていく。だからつらく厳しい人生になる。

だから上記、私の逆ギレした親も、ワクチンの危険や情報を教えてあげても、打ちましたよ。死んだとしても打ちたいということだった。
自分の頭と心で考えて決めたならまだいいんだけど、やっぱり周りの人が打つからという理由で打ちました。
当然、こんな感じなので、全ての人と支配関係だから、自分の意思を持つなんて芸当できないわけだ。こわくて。
その他、人間関係、子育て、全部同じパターンでやっているから苦しんでいる。
全部、支配関係だからな。当然そうなるんだ。

すると、昨日の記事に書いた、人々の感情までもあいつら支配、コントロールしようと企んでいるという話、苦しく生きている人は、そうしてほしいと自ら望むのではないかな、と思えるんだ。自分の親見てると。
支配をやめることはできない、でも苦しみから逃れたい。ならばロボットのようにあいつらに操ってもらった方が、もう楽だ、と。

そういう人が今後、けっこう出る可能性があると思った。

苦しんで、救いを求めて、救われず、神も仏もあるものかって言うけれど、
全部自分のしてきたことの結果だからね。
覚悟決めて、そこに向き合って、これ↓やれば解決する。
相手の領域、自分の領域というものがあるんだ。
その人が決めて、その人が責任をとるならば、それはその人の自由なんだ。
あれこれ口出しすると、トラブルになるんだ。

この見極めができず、めちゃくちゃで、
他人の領域に踏み込んで支配したり、逆に相手に入るのを許して支配させたりしてるのが、すべてのトラブルの原因だ。自分のマイナス感情の原因だ。
これがやぶられたとき、人は不快なの。で、問題が発生し、軌道修正しないかぎり問題や苦しみが大きくなっていくの。カンタンなの。
だから、心の不調もこれが身に付いて、当たり前になっていけばなおっちゃうの。
支配的な相手を切ることがうまくなっちゃう。
すると頭の中によけいな他人がいない。
そこでやっと、自分の感情や感覚をじっくり“味わう”ってことが、できるの。

打つ・打たない、どちらが正しいかというよりも、どういう意識で自分が選択するか、だから。

スタートから責任がおかしいわけだ。
無責任に勧める者たち、医師、国、製薬会社が免責。そして治験中。
効果もリスクもわからないことだらけ。
そこを言って同意を得るインフォームドコンセントなどのプロセスがない。
だから、時間がたてば問題になってくるのは当たり前だ。

これを分かってて打つと自分が決めたならよいだろう。どんな結果も受け入れると。

そして、多くの専門家までもが、命に関わる問題なのに、自分に落とし込んで、客観的に考察するまでに至っていないのではないか、と感じる。

多くの先生が医師会や厚労省の理不尽な要求にだまって従っているようでは。
支配してくる他人を脳内で切って、
情報やエビデンスを自分に落とし込んで見極めるってこと、どのくらいの人ができているのだろう?
さらにつぶされないで、平和的に発信できるか?となると、もうほとんどいない。

安全に安全に。世の中に迎合したことだけを言う。

集団免疫のために?重症化予防には効果があると思います?

そのお言葉に、本当にご自身の実感はあるのか?

困る人が出るであろうこと、被害を受けるリスク、人生が変わってしまうリスク、死亡するかもしれないリスクを上回るメリットの実感があって言っているのか?

味わっていない、実感のない言葉は、ご自身も人々も守らないだろう。
そこで初めて、ほんとの安全ってなんなんだろうと考えるのかな?

(妄想にすぎないけど、私が医者だったら、責任がおかしい時点で、うまく逃げる決断をするだろう。その時点で、まずい未来が確定してるから。それすらも不可能ならば、そもそも医者にならないだろう。だってあいつらの責任を肩代わりするなんてやだもん)

訴えられないことが第一。
決められたとおりに診断して、決められたとおりの治療をすれば、医師は守られるんだからって前提。

でも、今回、どうですかね?




あいつらが作った欺瞞の多い医学。
もちろん緊急の時や必要な時もある。
医療をする側も、受ける側も、欺瞞の部分を知るときがついに来たんだな。
べつに、もともとそうだから。直視する時が来たってだけだ。

なんか、トランプさんが昨年、今の医学はもうすぐなくなるだろうという趣旨の発言をしたと聞いた。

この意味は、あいつらをパージして、宇宙技術をベースにした医学に切り替えるという意味なのでは?と言われている。

仮にそうだとしたら、昨日書いたようなモデルナがやりたがっている遺伝子組み換え病気予防・治療などは、なしになるかもしれない。
代わりにメドベッドのようなものを導入するのかもしれない。
しかし、これをワクチン打って不具合が出た人の治療に使い、人々を666人工智能につなげる口実にしないかなど、これはこれで疑惑は尽きない。
DSを口実に利用するの、好きみたいなんで。
そういうなにかの意図がないならば、そもそもワクチンを推進していないと思うんでね。止めてたと思うんでね。


このニュースを見て、米軍にワクチンを打たせるわけがわかった気がしました。

こういうこと↑が分かっているのになぜ止めないのか不思議だったんだ。

最初から、軍人をロボットに置き換えるつもりだったとしたら、つじつまがあう。
むしろ早く置き換えた方が強くなる。後れを取ると負ける。

日本の自衛隊にもモデルナを打ったわけだ。モデルナはなぜか防衛省の管轄だという。



現代医学の欺瞞をさらしてDSパージしたとして、
トランスヒューマンやムーンショット計画、量子コンピュータによる監視社会にはしたそうだ。トランプさん。

そしたら今は免責になってる製薬会社も、あんな契約や法整備も全部無効ってするんですかね?ニュルンベルク裁判で。そしてDS政府は?医師たちは?

責任追及して、悪質なのは量子コンピュータ監視下に置くんですかね?
で、ワクチンで被害の出た人は救われるんですかね?
亡くなった人はかえってこないわけだけど。

だから、あいつらや政治が悪いわけだけど、責任が見極められない専門家や人々もだらしないと思うわけだ。
責任がめちゃくちゃだから、ムダに人と争う。滅ぼし合う関係になる。
自分の子どももうまく育てられない。
病人を救うと言いながら逆をやっている。

今、こういう人が大爆発して、他人を支配・操作・攻撃して、民主主義をこわすのに使われている。

工作員だけでなく、上記私の親のような一般人もいっしょだ。

だから、精神的にきつさを感じている方が多いだろう。


その答えは、支配してくる他者を切って、どれだけ自分の感覚や感情を味わうことにシフトできるかってことだ。

それができれば
こんなふうにいられる。どんな世の中になったとしても。

わたしは親が死んだとしてもこのモードでいるつもりだ。
死ぬのもまた本人の選択だ。
どんな死に方をするにしても、そこに至るまでの経緯というのがある。
それは自分自身の選択の連続であったはずだ。

味わうことのなかに幸せがある。


多くの人はこんなふうに、自分自身を味わう、楽しむ、愛するところまで至らないのね。

問題や苦しみや争い、問題にばかりエネルギーをとられて。

でもそれが生き甲斐の人もいるから。やりたい人もいるから。納得するまでやられたらいいと思うんだ。

そこにくっついてつきあう必要はないの。自分がやりたくないのなら。



なんで我々ばかりが苦しまなきゃならないの?

無責任なやつらは免責でさ。
エリートで好き勝手言ってさ。守られててさ。


あいつらに関しましては、「あいつら(裏側から見る社会のシステム)」のブログ記事一覧-丸顔おばさんのブログ、古い順をクリックのうえ、初期の記事よりご覧ください。



最新の画像もっと見る