丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

いろいろな思い込みが現実を作っているってお話

2022-04-02 21:15:57 | 心の解放シリーズ
先日の憲法審査会について書こうと思ったんだけど、
週末だし、リラックスして最近思ったことを書いてみたくなった。

最近、あいつらがとんでもない改憲をすすめようとしているから、
すっかり政治や憲法の話が多くなっちゃったからさ。
あいつらブログだからしょうがないんだけど、
堅い話ばっかりだとおばさんも疲れちゃうのね。


「全体主義」について、思う所があってね。
あいつらは全体主義、社会主義にしたいわけなんだけど、
つくづく、人々の思い込みがこれをアシストしてしまっているなぁって思ってね。


それから、朝起きたら突然、「衆愚政治」というワードが頭に浮かんだんだ。
それ、なんだっけ?昔、世界史で習ったような・・・?

それで気分のおもむくままに調べてみたら、けっこうおもしろかったの。


古代ギリシャのアテネでは、紀元前だったにもかかわらず、民主主義政治が行われていた。

〔世界史・古代ギリシア〕アテネの民主政 -オンライン無料塾「ターンナップ」-

内容まとめ:
最初は王政、貴族政治だったんだけど、だんだん貨幣経済になっていって平民が力をつけていった。
カネの力ともいえるけど、平民が国防でも力を発揮したりして、法律を整えたりして。
でも奴隷がいたのね~。
そして財産政治だったから、やっぱり金持ちが力を持っていたよね・・。
だから民主政治といってもなかなかの支配構造なわけだけど。(あれ?なんだか今と変わらない?)
すごいリーダーシップで貧しい人を率いて、貴族をやっつけて土地をみんなに分配した指導者(ペイシストラトスさん)ってのがあらわれるのね。
でもこれも、いいことしてくれたけど、独裁だったんだって。
そして、その子どもは暴君になっちゃって追放されちゃうの。
でもその後、本格的に貴族をやっつけて、ついに民主制になる。
国会みたいのもできて。最悪な独裁者は追放するシステムをつくったりして。
でもこれが裏目に出て、衆愚政治になっちゃうんだ。
だれでも抽選で官職につけるようにしちゃったから、能力がなくても役人になれちゃう。無知な大衆で政治が支配される。
そしてそのころアテネは戦争で負けて衰退しちゃう。
そしてデマゴゴス(「デマ」という言葉の由来)という、うまいこと言って民衆を煽る人が登場するんだ。
扇動政治家ともいう。
つまり、民衆がアホだから、うまいことを言えば世論をそっちに誘導することができる。
そういうのを利用して自分たちに都合のいい政治をするような局面になってしまった・・・。
そして崩壊、衰退へ。

あ~、まさか、今、これをやってるってこと?

あべちゃんは平和主義の理念はお嫌いのようだ。そうだろうな。この憲法が嫌いなんだもんな。
押し付け憲法というのも、ウソだし。

戦後、当時の日本政府はGHQに命じられて憲法改正の検討をしたんだけど、そこでまとめられたものはポツダム宣言に沿ったものとはいえず、天皇主権が残ったままの、明治憲法の一部修正だったんだって。
それで、マッカーサーはGHQ内で新しい日本国憲法の草案を作成し日本側に提示したんだって。その際、日本国内の研究者の間でもいろんな案が作られていて、ちゃんとそういうのを参考に作ったってさ。中でも鈴木安蔵氏が中心になってつくった「憲法草案要綱」が大きな影響を与えたと言われている。
(中略)
常識だって。
私もこの件をブログに書いたことがあり、他の研究者もそう言っていた。
あいつらは専門家の言うことをいっさい聞かないって、専門家が証言しているからなw

今の憲法はあの当時、国民の圧倒的な支持で受け入れられたそうだ。。。

こんなふうにちょっと調べればおばさんでもわかるウソを言って、民衆を扇動している。。。

あらあらそういうことか。おばさんは自分のひらめきが、ときにコワい。

肝心なことは報道しないもんだから、人々はよけいにだまされていってしまう。
これで民主主義だからと、多数決で決めると、、、
あらあらあらあらあら、やっぱ、デマゴゴスと衆愚政治なのか~?
デマゴークともいう)

それからポピュリズムの政治家もこれに入ると思うんだけど。
人々が喜ぶことをリップサービスで言って、支持を得る政治手法。
代表は、トランプやプーチンなど。
あ、ウクライナの大統領もたぶんそうだよね。元コメディアンの。
これだと、民衆の喜ぶことや正論を言いながら、独裁やるなんてこともできちゃうわけだ。KGBなんかでそのように訓練され、洗脳の手法を熟知した人間であるならばなおさら、こういう言行不一致ができちゃうわけだ。

そしてそれを陰謀論と光と闇プロパガンダで鼓舞する工作員。

反ワクチンと「あいつら」のお話でみなさんの支持を得てから、
突然「憲法改正推進!」と言い出す方もいらっしゃる。
これもその手法だろう。
民衆の喜ぶことや正論を言いながら、あいつらのお望みどおりの全体主義に扇動してるわけだから。(いわゆるガス抜きね)

上から下までこんな感じだ。

でもこれは、言ってることだけでなく、やってることを見ると分かる。

不正選挙を覆さず、民主主義を後退させ、ワクチン接種を推進。
戦争起こしたり。
言ってることとやっていることが、一致していないからな。

グレートリセットやるためにいったん今の社会を壊すわけだから、
うまいこと言って民衆を騙しながらやらないと、不満が爆発しちゃてできないから、世界的にこういう手法でやっているのだろう。
人口削減も・・・。

というわけで、こんなことに気づいたところで、けっこう孤独だ。
周りはみんな、そこまで深読みして世の中を見てはいないからな。

でも、こんなふうに、
自分の頭にふと浮かんだことは、なにかの意味があったりする。

知識なんて、あと付けだ。
直感や感じることは無意識からの声だから、そっちのほうが賢いんだ。人間は。
朝起きてすぐにひらめくなんてのも、寝起きは寝ぼけていて思考してないから、そういうのが顕在意識にあがってきやすいのだろう。

それが絶対正しいかどうかは分からないけど、
少なくとも今の自分にとってはなにか意味がある。
自分の無意識はつねに自分にメッセージを送ってくれている。
それは危険を教えてくれていることもあるし、いつも愛だ。
これに気づいてから、自分は孤独感やさびしさを感じなくなった。
多くの人はここをふだん無視して、あまり心を感じていない。
そして自分のそういう感覚をそこまで信じていない。
そういう状態だと、いっしょにいてもたくさん話しても、心が通じ合えないのだなとわかった。

それは生き方で自由だけど、
ここを無視していると、アタマと心が不一致で苦しくなって、
崩壊させることで、自分を苦しみから救ったり、リセットしたりする。

だから、心の声が聞けるようになって、活用できるようになると、もうそんなに崩壊までいかなくなるんだ。トラブルが未然に防げるようになるから。

心の声やひらめきをキャッチするには、あんまり思考しないでリラックスすることなんだ。
感情を感じたり、五感をじっくり味わったりすることなんだ。
ガリ勉したり、苦しく努力するより、こっちのほうが本質をはずさなくてすむ。
あいつらのペテンエビデンスなどに騙されずにすむ。
報道や工作員のスピンにもひっかからなくなる。
このモードだと、デマゴゴスのウソやポピュリズム政治家の戯言にも、違和感を感じやすくなり、自分で調べる流れになったり、気づく流れになったりする。

政治家、工作員の目的が、分断や争い、戦争をつくり出しながら666を実現していくことで一致していることも、実感として感じられるだろう。

そして、なにより自分が楽だし、自分を信じられて、自分が好きになっていく。
自分の心を抑えつけたり我慢したり否定する必要がないとわかってくるから。
むしろ心の声を聞いた方がうまくいくんだと分かるから。

だから勉強だけできてもダメなんだ。
むしろ思考が多すぎると、だまされてしまう。的外れになっていってしまう。
そんな教科書秀才が国を、社会を、国民を、家族をダメにしている。

でもこれも、思考や理性で、努力と根性でやるのがいいことなんだ、成功の近道なんだという思い込みが、競争に駆り立てている。
そのやり方しか知らない人もたくさんいる。

「親が、先生が、自分にガリ勉(死語?w)を強いたんだ」と被害者意識で語る人も多いけれど、自分自身にそういう思い込みがないか?

自分を救うには、そんな思い込みから解放してあげることだ。

それには、ガリ勉よりも、自分の直感や感情のほうが正しかったんだって経験をしていくことだ。

すると、自分に、今までいじめてごめんねと言ってあげて、自分と仲直りできるんだ。
そしたら自分が癒されてうれしくて、今まで苦しくてしょうがなかった方は涙が出るはずだ。
親の言うことなんて、どうでもよかったんだと気づいて、恨むことから抜けることになったりもする。

私も日々、気づいて自分と仲直りして、の連続だ。
あ、これもやめていいんだ、って。やめても大丈夫なんだって。

楽で、やさしいのが正解だ。
そうでないものは、たいていウソだ。

こうしてムダなことをやめていくと、(自分にとって)大事なことに集中する流れに勝手になる。
すると、能力があがったり、お金を稼ぐことにつながっていく。
自分を犠牲にして我慢して稼ぐというスタイルではなくて。

ふだん、「思考を止めて、感情を感じている」ってモードでいることの意味を知らないか、知ったとしてもこわかったり、うまくできなかったりする人がほとんどだろう。
大人になるとそうなっちゃう。
社会で厳しくまじめに生きている人ほどそうなっちゃう。
なんだか思考しないなんて、アホになった気がして。ぼーっとしてる感じがして。
こんなんで仕事ができるかよって。
さらに、いまやなんでもデジタル化されて、よけいに感情を感じることを忘れやすい社会だ。
ロボットみたいな人が増えている。

それでも職場でもどこでも、つねに感情を感じることを忘れないって意識することはできるはずだ。
すると「なにかおかしい」とか、違和感を感じて、トラブルを未然に回避する、とかいうことができるようになる。
このままいったら問題になるな、といち早くわかったりする。
それを職場で言っても採用されないかもしれないけれど、自分の意見として、言っておく。そして記録しておく。
すると、案の定何かが起きたとき、「私はあのとき言いました」と言えるのね。
責任を問われなくて済む。
(だんだん職場の人もマネするようになって組織がよくなる可能性もある)

だから思考だけで効率効率「~なければならない」とやるよりも、ずっと安全なんだ。つねに感情を感じているということは。
思考だけだと危機管理ができないんだ。
危機は、思考より、直感のほうが早く気づいていたりする。
あれ?って感じてから、なんでそう感じるのかな?とアタマで納得していく。
この順番だ。私はいつも。
だから感情は、貴重な情報なんだ。

きっとコロナワクチンの騒ぎで、こういう経験をされた方が多かったのではないだろうか?
よくわからないことだらけだったけど、自分の心の声に従って、よかったんだ」って。

こういう経験をして、だんだん頭だけでなく、感情や心がゆったり開くようになって、その力を活用できるようになっていく。だんだんそれが上手になっていく。

すると自信がつく。
文字通り、自分を信じられるようになるわけだ。
「あぁ、苦労して努力の末に成功したり願いが叶う」っていうのは、思い込みだったんだって気づくんだ。

もちろん必要に応じてアタマも使っていいし、努力というか、行動は必要だけど、
心を感じてから、やりたいからやるってする。
(思考を止めても必要な時、思考している。そのくらいが適切だ)
こっちのほうがうまくいくんだ。

すると、あいつらがやろうとしていること(全体主義)って、
個人の自由や人権を抑えつけて、
もちろん感情などは抑えて
全体のために我慢することだけど、
こんなことが必要で正しいんだって思いこまされて、
全国民で一斉にこれをやったら、「個人」が滅びるじゃないか。。
「個人」が滅びれば、その「個人」が属する「集団」(国とか社会とか家とか)も滅びるじゃないか。。。

と、当たり前のことに気づくだろう。
滅びる方向に一直線であることに気づくだろう。

アテネも戦争が続き、デマゴゴスが出てきて衆愚政治に陥った後、衰退してしまった。

結局、今も昔も、基本は変わらないのだろう。
個人の人生も、社会も、人々のこんな思い込みがつくってるんだ。

こういった思い込みから自分自身を解放できないと、全体主義がいいんだ、必要なんだと思ってしまう。

だから全体のために自分が犠牲になるなんてことはやめてくれとずっと書いてきたんだ。
それは、逆に全体にとって迷惑ですと。
それはあいつらの理不尽な支配をアシストし、滅びる方向へ導くことだからだ。

正しいか/まちがってるか、じゃないんだ。
自分がどう思い込んでいるかで、未来がどうなるかまで決まっちゃうの。
だからある意味、自由だ。自分が何を思いこむか、だから。

そんな圧倒的な自由のなかで、
楽や、自分を解放することを選択する人が、どのくらい増えるか?
未来はこれにかかっている。

あいつらがいてもいなくても、みんなの思い込みで決まっちゃうから、こっちのほうが大事なの。
あいつらも、それ分かってるから、「心理学なのだよ」とみずから手口を言っている

思い込みを外すというのは、自分を楽にしてあげることなんだ。解放してあげることなんだ。(あいつらは反対のことを教えるw)
最初はコワいんだ。その思い込みで長年自分を守ってきたわけだから。
でも、「なーんだ、これでも大丈夫なのね」と気づくと、だんだん心が楽に、幸せになっていく。

だから、苦労に耐えた末に幸せがあるっていうのも思い込みだ。(あいつらがそう教えたのw)
じつは、逆だ。苦労を選択したら、ずっと苦労だ。支配し、支配される人生になる。

自分が違和感感じる人、モノ、情報、場所からは離れていいんだ。それは今の自分にとっては必要ないってことなんだ。

楽を選択できると、楽に幸せになれるんだと、わかる。
その経験をしていくと、だんだんこれが強化されていく。
楽、あ、幸せって。
こっちの思い込みを増やしたいのね。思い込みっていうか、じっさいそうなるんだわ。

これだと勝手に能力も伸びていく。争いやマイナスから縁遠くなっていく。

今こうやって、みんなでいっしょに成長、進化しているところだ。
未熟なわたしたちだけど、まだ活用できていない力があるわけだ。

てことは、不要な思い込みに気づいて、やめて、
楽にできるようになって、トラブルに悩まなくなっていくと、
今まで気づいていなかった自分の力、能力が開いてくるんだ。
それは頭で考えてやらなくても、勝手にそうなる。
気づいたらやっているって感じだ。
だから楽しみにしてほしいんだ。希望はあるんだ。

ただ、みんなが少しずつ経験して気づいて腑に落としていくってことだから、
一気にいますぐ世の中をよくするなんてことは難しいかもしれないんだ。

以前は私も、はやくみんなが「あいつら」やご自分の思い込みに気が付かないと大変なことになると思っていたんだけど、
最近は私も含めてみんなが自分のペースで気が付きながら生きているんだってことが腑に落ちてきたの。

だから、民主主義というのは多数決だから、みんなの選択次第では、まずい社会に一時的になるかもしれないけど、
それならそれで受け入れながら、なんとか少しでも無難にしたり、逃げたりしようと思えたんだ。
デマゴゴスが支持され、国民の人権が制限される事態になったのなら、
それも必要な過程として起きているのかもしれないから、そこで自分はどうするか?だよなって。
そんな世界になったとしても、その状況のなかでの選択というものがあるはずだ。

今自分にできることをしたら、あとは自然にまかせるのが一番近道であったりする。
自分のできること以上に他人を変えようとすると、これは支配だから、あんまりうまくいかないのね。
私が思うことが相手にとって最善とは限らないのね。
遠回りして苦しむ経験がしたい方もいるんだわ。
それはバカとかじゃなく、本当に人それぞれ経験したいことがいろいろなんだわ。
ここも思考だけだとわからない部分なんだ。

実は私たちはまだまだ全体主義的な意識から抜けられていないと思うんだ。
私はこどものころから、学校も、家も全体主義的だなと思ってきた。

全体のために個人が我慢をする。規則を守れと。
あるいはお父さんが、お母さんが、家族のために自分を犠牲にする。

これが正しいことだと教えられ、そう生きてきた方が、
「緊急事態だから、人権を制限し、国民は協力しなければならない、義務だ」と国に言われたら、なんの疑いもなくそのとおりだと思って従うだろう。

でもこうういう意識が、逆に犠牲を増やし、社会全体も国も衰退させてしまうことだろう。

自由にやったら、問題が起きてダメなんだと思うのは、
自分と相手の責任が見えていないからだ。それでトラブルになっているだけだ。

自由だからと相手の領域にずかずか踏み込めば、トラブルになる。

単に離れたり
相手の選択を守ったうえで、自分の領域で自由にやっていると、トラブルにならない

戦争、個人のトラブルも、誰と誰の問題か?と見極めることだ。
そして当事者でない部外者がやたらと立ち入らないことだ。
問題解決に向けて助けてあげたいならば、
部外者は、当事者同士が向き合えるようにしてあげることだ。
それができないならば、部外者は距離を置くべきだ。
争いの当事者のどっちかについて、争いに加勢するのは一番ダメだ
争いに加勢しちゃ、泥沼化し、よけい悪くなる。争いに参加するメンバーが増えるだけだから。

「第〇次世界大戦」なんて言って、多くの国が戦争に加わっちゃうのは、まさにそういうことだろ?
人間がそのところに気づいてないから、扇動され、そういうことが起きたわけだ。(あいつらがそう仕向けているとはいえ)
今もまた、これをやりかけているように見える。

集団(国、職場、家)のために個人が犠牲になるしかないんだ、という勘違い。
他国といっしょに戦うことが必要なんだ、善なんだという勘違い。

責任が見極められないがための、
こういった思い込みが全体主義を後押しするだろう。

人々がこんな意識に絡めとられているいっぽうで、
自衛隊の方はさすがにもう少し現実的だ。
海外での活動において、武力行使できないとしていても、きわどい場面があるというお話↓

『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』香田洋一 著 pより
例えば、日本以外の国の軍隊は、外国に派遣された際、自衛権(個別・集団の両方)が行使できるので、近くにいる自衛隊など他国軍隊が武力攻撃を受けたとき、必要な場合にはこれを守ることができます。
しかし、自衛隊の舞台がPKOや復興支援で外国に派遣される場合は、そもそも自衛権に基づく武力行使を想定していないので、外国軍隊のような活動は問題外です。また、対テロ支援の補給活動などPKO以外の海外派遣でも基本は同じです。
仮に個別的自衛権が認められたとしてもその範囲では、同じ目的で活動している他国の仲間が武力攻撃を受けても、これを守るために武器を使用することができません
目の前で他国の軍隊が攻撃され危険にさらされているときに、自分の部下に「撤退」を指示しなければならないケースもありえます。現場では予測不可能なことがいくらでも起こるので、ある行動が「個別的自衛権」の行使なのか「集団的自衛権」の行使になるのか、はっきりと線を引くことは容易ではありません。
第6章 より引用 (kindleってページ数が出ないんだね)

だから集団的自衛権を容認することを歓迎しているというお話をされているんだけど、そこはちょっと置いといて。

例えばホルムズ海峡の機雷除去など。
ここが封鎖されると日本もエネルギーが来なくなって困るということが、あのころ議論されていた。
2015/02/18

まず危険なところに行って活動するということは、
つねにそこから戦争になる可能性があるのではないだろうか?

現場では予測不可能なことがいくらでも起こるので、ある行動が「個別的自衛権」の行使なのか「集団的自衛権」の行使になるのか、はっきりと線を引くことは容易ではありません。
と、現場を熟知した軍人も、現場はそんなにきっちり理屈通りとはいかないことを示唆している。

てことは法がどうであろうと、危険なところに行って活動に参加すれば、
つねにうっかり戦争に巻き込まれる恐れは、あるのではないか?

憲法をこのように↓変えて、

改憲草案
( 国 防 軍 )
第 九 条 の 二
3 国 防 軍 は 、 第 一 項 に 規 定 す る 任 務 を 遂 行 す る た め の 活 動 の ほ か 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 国 際 社 会 の 平 和 と 安 全 を 確 保 す る た め に 国 際 的 に 協 調 し て 行 わ れ る 活 動 及 び 公 の 秩 序 を 維 持 し 、 又 は 国 民 の 生 命 若 し く は 自 由 を 守 る た め の 活 動 を 行 う こ と が で き る

たびたびそういうところに行って活動したならば。
必要だから、国際平和のためだからという理由で、米軍と活動するようになったらば。
しかも武力行使できるように憲法を変えてしまったならば。
(あいつらは戦争したければマッチポンプや偽旗も起こすだろう)

日本にとっても必要だからという理由で、危ない所に行かなければと考えるか?

あるいは、
この“危険な状態”は、あるいは紛争は、誰と誰の問題か。
責任を見極めて、できる限り離れようとか、なにか他の方法を考えようという発想が出てくるか?


これを決めるのは最終的には日本の人々の意識だろう。


なし崩し的に改憲されて、何かが起きてしまってから、責任が見えていないと、どこまでも争いに入っていってしまう。
これに国民が、全体主義的な、自己犠牲の意識で同調したら、また第〇次世界大戦に行ってしまうだろうと思えてならない。

私は人々が問題の責任を見極めることを学んで、
不必要な戦いから離れたり降りたりできるようにならないと、憲法も守れないだろうとも思うんだ。
みずから全体主義の憲法改正を選択してしまうだろう。

最終的には、人々が自己犠牲はいらないんだと気づいて卒業していかないと、適切な憲法を自力で作ることもできないだろう

だって衆愚政治に陥っているようでは、適切な代表者を選んで国会におくることすらことすらできないのだから。
自らは安全なところにいて絶対戦わないで、国民に戦争を強いるような人を、代表に選び続けるだろう。

あ、その前に人材がいないという悩みがあるわけか・・・。

それも、政治も選挙もあいつらにのっとられているからともいえるけど、
人々の意識の底上げが必要であることを示唆しているとも思うんだ。

だからこんなふうに社会の現象と人の心はつねに連動している。

ここに向き合って気づいていくことが、じつは根本的な問題解決だと思うんだ。






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