昔、(若造は知らぬと思うが)「おじゃまんが山田君」っていうアニメがあったんだけれど、
わたくしの母方の祖父は、その主人公と同じやまだよしおさんという名前です。
やまだよしおさん、突然、孫娘(むすめでは全然ないが、彼から見たら、孫むすめ)に思い出され、訳の判らないブログとやらに実名で引っぱりだされ、ごめんね~。許して。
よしおさんは、若い頃の写真を見ると、坂本龍一に似ていて結構素敵でした。おじいちゃんになってからも、わたくしは、割に、かっこいいなあ、と、思ったりしたものです。一年365日、晩ご飯は自分でそうめんを茹でて、おつゆではなく、酢味噌のたれにつけてすすり、平家物語を読んで、ラジオを聴いて、お正月等にじぶんのこどもや孫が集まってわいわいしていても、そのスタイルは頑に崩さず、ちょっと気難しいような一面もありました。
孫らをちやほやするようなタイプではなかったですが、優しいひとで、わらべ歌や、ススキでつくるミミズクのような、民芸品的なもののつくりかたを教えてくれたり、在日のかたがやっている
ホルモン焼きやさんの常連でいつもそこで「どぶろく」を日暮れ頃飲むのですが、わたしも何度か
どさくさに紛れてそこに連れていってもらったのを覚えています。
(浜松の、茄子町という下町が母の実家でした。)
おじいちゃんが亡くなってから、実はおじいちゃんは、ベーシストであったということを知りました。かなり、驚いたように記憶しています。
若い頃の写真に、確かに、ウッドベ-スを弾いているよしおさんがいました。
当時の状況を知る人がすくなく、しかも、音楽的な時代背景を説明出来る人が全くいないのでどんな音楽をやっていたのかは判りませんが、推測するに、ジャズ歌謡的な(演歌でない美空ひばりの歌みたいな)音楽をやっていたのではないでしょうか。
おじいちゃんが亡くなって数年後、当時大学生だったわたしが実家に帰省した折、
「おじいちゃんとバンドをやっていた」という老紳士が、いろいろ諸事情もろもろあって、わたしの実家に(今わたしが寝泊まりしている場所ですが)泊まりにいらした。
よしおさんとの思い出話をそのときいくつかしてくれた。
よしおさんと、東京は銀座の、ヤマハのお店の前で演奏したこと。
戦争が激しくなり、音楽などやる者は非国民と白い眼で見られ、大きい声で歌が歌えないフラストレーションが溜まり、とうとう、浜名湖で手漕ぎボートを借りて二人で沖合まで漕いでって、心ゆくまで大きい声で歌を歌ったこと。
わたしの知らないよしおさんの姿が語られ、非常に驚いたものです。
そういえば、よしおさんは、わたしがピアノで「流行歌」を弾いて歌うと、特別なかんじで嬉しそうにしていたのを思い出したりしました。
よしおさんの、浜名湖沖の歌を、聴いてみたかったなあ。
よしおさん、今はちょっと無理すれば、(わたしのはなしですが)自由に歌えるんです。
よしおさんたちが、そうまでして歌った歌、ほんと、聴きたかったなあ。
よしおさんと、そのバンド仲間であったこれまた故人のおじさんのエピソード、もういっこ、あるんでした。
「中田島砂丘ヌード撮影会の思いで」。
これ、あした、書くかもしれないし、書かないかもしれない。
眼が充血して、痛いよう。
もう寝ましょう。おやすみなさい。
わたくしの母方の祖父は、その主人公と同じやまだよしおさんという名前です。
やまだよしおさん、突然、孫娘(むすめでは全然ないが、彼から見たら、孫むすめ)に思い出され、訳の判らないブログとやらに実名で引っぱりだされ、ごめんね~。許して。
よしおさんは、若い頃の写真を見ると、坂本龍一に似ていて結構素敵でした。おじいちゃんになってからも、わたくしは、割に、かっこいいなあ、と、思ったりしたものです。一年365日、晩ご飯は自分でそうめんを茹でて、おつゆではなく、酢味噌のたれにつけてすすり、平家物語を読んで、ラジオを聴いて、お正月等にじぶんのこどもや孫が集まってわいわいしていても、そのスタイルは頑に崩さず、ちょっと気難しいような一面もありました。
孫らをちやほやするようなタイプではなかったですが、優しいひとで、わらべ歌や、ススキでつくるミミズクのような、民芸品的なもののつくりかたを教えてくれたり、在日のかたがやっている
ホルモン焼きやさんの常連でいつもそこで「どぶろく」を日暮れ頃飲むのですが、わたしも何度か
どさくさに紛れてそこに連れていってもらったのを覚えています。
(浜松の、茄子町という下町が母の実家でした。)
おじいちゃんが亡くなってから、実はおじいちゃんは、ベーシストであったということを知りました。かなり、驚いたように記憶しています。
若い頃の写真に、確かに、ウッドベ-スを弾いているよしおさんがいました。
当時の状況を知る人がすくなく、しかも、音楽的な時代背景を説明出来る人が全くいないのでどんな音楽をやっていたのかは判りませんが、推測するに、ジャズ歌謡的な(演歌でない美空ひばりの歌みたいな)音楽をやっていたのではないでしょうか。
おじいちゃんが亡くなって数年後、当時大学生だったわたしが実家に帰省した折、
「おじいちゃんとバンドをやっていた」という老紳士が、いろいろ諸事情もろもろあって、わたしの実家に(今わたしが寝泊まりしている場所ですが)泊まりにいらした。
よしおさんとの思い出話をそのときいくつかしてくれた。
よしおさんと、東京は銀座の、ヤマハのお店の前で演奏したこと。
戦争が激しくなり、音楽などやる者は非国民と白い眼で見られ、大きい声で歌が歌えないフラストレーションが溜まり、とうとう、浜名湖で手漕ぎボートを借りて二人で沖合まで漕いでって、心ゆくまで大きい声で歌を歌ったこと。
わたしの知らないよしおさんの姿が語られ、非常に驚いたものです。
そういえば、よしおさんは、わたしがピアノで「流行歌」を弾いて歌うと、特別なかんじで嬉しそうにしていたのを思い出したりしました。
よしおさんの、浜名湖沖の歌を、聴いてみたかったなあ。
よしおさん、今はちょっと無理すれば、(わたしのはなしですが)自由に歌えるんです。
よしおさんたちが、そうまでして歌った歌、ほんと、聴きたかったなあ。
よしおさんと、そのバンド仲間であったこれまた故人のおじさんのエピソード、もういっこ、あるんでした。
「中田島砂丘ヌード撮影会の思いで」。
これ、あした、書くかもしれないし、書かないかもしれない。
眼が充血して、痛いよう。
もう寝ましょう。おやすみなさい。
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