つい、一週間前までは、無気力な、不景気で元気の無い、日本でした。
そんな中で、高校を卒業して行く、ゆきぼは、どんな人生を送る事だったのか。
今となっては、考えられませんね。
1000年に一度という、大震災が発生して、少し様子が変わりました。
何万人という同胞が無くなり、何十万人という仲間が、裸一貫で、放り出されました。
伊達政宗の時代から、長い年月、里を守ってきた、防潮林も崩壊し、町は水没しています。
ゆきぼが仙台へ行く頃は、激しい災難の傷跡が、あちらこちらにあって、
哀しい顔をした人が多いはずです。
これは、僕が子供の頃と似ているかもしれません。
敗戦で、傷ついた兵士が帰還して、手足の無い姿で、街角に立って、寄付金をせがんでいました。
そんな、殺伐とした中で、僕らは育って来ました。
でも、哀しい事や、嫌な事ばかりではなくて、明るい希望がいつもありました。
そうして、自分達日本人に対する誇りの気持ちが、いつもありました。
苦しいけど、生きがいに溢れた時代でした。
日本民族は、復興にかけては世界で、一番の民族です。
勿論、僕ら大人も、全力を尽くしますが、ゆきぼ、君の世代に、
本当のこの国の未来が掛かっています。
世代を超えて、手を繋ぎ、頑張りましょう。
安心して下さい。
戦後の奇跡の高度成長を実現したのは、どこかのスーパーマンではなくて、
ゆきぼの、両親であり、両祖父母なのです。
その、DNAは、ゆきぼの中に流れています。
僕は、確信しています。
ゆきぼ達の力と、長い冬にじっと耐えてきた、北国の風土を生きる、東北人の底力を。
僕も、山形に生まれ、仙台で育った、生粋の、東北人ですから。
そんな中で、高校を卒業して行く、ゆきぼは、どんな人生を送る事だったのか。
今となっては、考えられませんね。
1000年に一度という、大震災が発生して、少し様子が変わりました。
何万人という同胞が無くなり、何十万人という仲間が、裸一貫で、放り出されました。
伊達政宗の時代から、長い年月、里を守ってきた、防潮林も崩壊し、町は水没しています。
ゆきぼが仙台へ行く頃は、激しい災難の傷跡が、あちらこちらにあって、
哀しい顔をした人が多いはずです。
これは、僕が子供の頃と似ているかもしれません。
敗戦で、傷ついた兵士が帰還して、手足の無い姿で、街角に立って、寄付金をせがんでいました。
そんな、殺伐とした中で、僕らは育って来ました。
でも、哀しい事や、嫌な事ばかりではなくて、明るい希望がいつもありました。
そうして、自分達日本人に対する誇りの気持ちが、いつもありました。
苦しいけど、生きがいに溢れた時代でした。
日本民族は、復興にかけては世界で、一番の民族です。
勿論、僕ら大人も、全力を尽くしますが、ゆきぼ、君の世代に、
本当のこの国の未来が掛かっています。
世代を超えて、手を繋ぎ、頑張りましょう。
安心して下さい。
戦後の奇跡の高度成長を実現したのは、どこかのスーパーマンではなくて、
ゆきぼの、両親であり、両祖父母なのです。
その、DNAは、ゆきぼの中に流れています。
僕は、確信しています。
ゆきぼ達の力と、長い冬にじっと耐えてきた、北国の風土を生きる、東北人の底力を。
僕も、山形に生まれ、仙台で育った、生粋の、東北人ですから。