平成徒然草(萩原 希仁)

毎日の喜怒哀楽をストレートに表現してゆく。

道楽者の薦め。

2011-03-06 16:31:46 | 日記
お金持ちになったらしたい生活は? ブログネタ:お金持ちになったらしたい生活は? 参加中
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お金を儲けて、利潤を上げて、などと考えるとお店の経営も面白く無くなってゆく。

本当のお金持ちになったら、特別な贅沢はしなくて良いから、自分の道楽で、

好きなお店を開いてみたい。

南フランス風の内装で、家庭的で美味しい食べ物を、手頃な値段で、

美味しいお酒と共に供したい。

店の中には、小さいステージがあって、自分でギターの弾き語りをしたり、

ピアノ演奏なんかもあって、音楽の絶えない店にしたい。

アーティストの夢を抱えた人間が、お客と従業員で集まるような店。

僕は、気が向いたときだけ、美味しい料理を作り、あとは、お客さんと一体化している。

昔、本当にやっていたように、一番奥には、全自動の麻雀卓でも、置こうか。

もし叶うなら、もちろん彼女と一緒に働きたい。





















早熟児伝説。

2011-03-06 16:29:35 | 日記
身長、何センチ? ブログネタ:身長、何センチ? 参加中
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父親の考えなのか、僕は、生まれてから直ぐに、色々な栄養剤を飲まされたらしい。

頭を良くしたり、プロレスラーのような身体を作るのが、父親の目的だったようだ。

それが原因かどうか知らないが、僕は、幼稚園のころから、凄い、早熟児であった。

幼稚園で、いちご組に入学するのに、身長は、既に140cmを越えていたし、

体重も40kgはあった。

担任の早坂先生は、小さい女性の先生だったので、僕のほうが大きいくらいだった。

丸裸になって、校庭の砂場の砂をかき出して、プールの代わりに、水遊びをすると、

最後に先生に、おちんちんを拭いてもらうのが恥ずかしかった。

早坂先生は、僕の初恋の相手だったから。

何の話だったか。

そうだ、身長の話だった。

そんな感じだったから、小学校で、6年生にもなると、身長は172cmにもなっていた。

デストロイヤー風の、プロレス流のトレーニングと、小学校の3年から始めた、

柔道の影響で、既に、男性教師を凌ぐ、体型になっていた。

自分でも、このまま大きくなって、2mは、楽に越えて、

絶対に、プロレスラーになると思っていた。

ところがである。

中学に上がると、極端に身長は止まってしまい、今でも、175cmである。

だから友達に、どんどん追い越されていった。

身長には、そんな思い出がある。

もしかしたら、身長と一緒に、精神年齢も、その辺で止まったかと、最近思う。