満月倶楽部

大阪発のハープとアコーディオンのデュオです。

「Sideways」東西観比べ

2010年05月07日 | 生じゃないモノ
またネガティヴな事を書かなければいけません。
いや、別に書かんでもええねんけど。書きます。
日本版サイドウェイズが大好きでたまらない、という人は読まないでください。

一昨日に引き続き、昨日、日本版「Sideways」観ました。

・・・・・どうしてこうなってしまうのでしょう。
まず一番はじめに気になることは、脚本の陳腐さ。どうすればこんなに陳腐な本が書けるのでしょう。設定も安っぽいし、その設定をナレーションで説明するってのもださいし、一つ一つのセリフの応酬が、どうしようもなく、古くさくて、気が利いて無くて、目を覆います。
折角良い役者さん達をそろえているのに。
こういう時に、役者ってのはたいへんな仕事だなあと思います。こんな陳腐なセリフにも、命を吹き込まなければならないのですから。

そうなると、そもそも、何故この企画が持ち上がったのか、というあたりに思いを馳せないわけにはいきません。今回の場合は、元々、US版の「Sideways」があって、それを観て、なにがしかを感じたどこかの日本人が、これは日本版をやっても面白いに違いない、と思って始まった事はまず間違いありません。まずは、そこを「浅い」と思います。企画ミスですね。企画ミスを周囲のスタッフや役者でカバーする事も不可能ではないんでしょうが、もう一つ冒した大きなミスが、脚本家の選択であったと思います。
致命的です。

プロットもひどい。
なんだよ、あの過去を引きずった設定は。で、色々な部分で踏み込む勇気もない。「ワインになる前のブドウ」のくだりも、違和感たっぷり。ワインをからめればおしゃれになるとでも考えたんでしょうが、浅いです。
そのワインも、日本版では単なる小道具。作り手のワインに対する愛情は感じることができません。

US版の舞台であるサンタバーバラは、より俗っぽいナパバレーに変更。どうせなら、東京の人間が灘の作り酒屋を回る、とかいう設定にした方が、より地に足のついたものになったのではないか、と愚考します。あんな、ちょっとこじゃれたロードムービー風のものに、一体だれが共感するというのでしょう。話の進み方も、ご都合主義。んで、時々、都合の良い部分だけを、US版から拝借です。
もちろん、これは場合によっては脚本家だけの責任ではありません。ある程度のプロットが決まった時点での本書き作業であった可能性もあります。それにしても、あのどうしようもなく陳腐なセリフのやりとりは、ライターの責任でしょう。

生瀬もたいへんやなあ、と。それでも、最低限以上の事はちゃんとこなすところは、さすがです。他の役者さん達もね。

コメント
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