出来ました・・・!?
と云う事で、
超・超お久し振りの…二年以上振りの
過去の舞台を振り返って・・・!
です。
前回の「振り返り舞台」は、
『長唄 新曲浦島』/2002年春…の舞台
でした。
今回の振り返りは・・・
↑ より、一年半前に成る
2000年 秋の舞台より
『清元:義太夫 吉野山』
「忠信」
平成十二年 霜月三日
幕開きは花道より「静御前」のお出ましです。
そして、吉野山に着き後に控えている「忠信」が来ないので、
鼓をついて待ちますと・・・暗転に!
花道の七三より「忠信」の登場です。
(…本来は「すっぽん」より上がって来るのですが、
この時の舞台での花道は本花道ではなかったので、
暗闇の中、花道の七三まで行き…からのスポットがあたり踊り始めます)
ひとしきり踊りましたら舞台へ・・・
そして、台詞有りでの
「静御前」と「忠信」は対面致します。
・・・
とありましての、
吉野山(満開の桜…)を見渡している二人
一枚目の写真(忠信)は ↑ と同じ場面です
月を見る二人
超有名な場面です!
兄継信の事を・・・
静様は片肌脱いで踊られた後・・・
八島の戦いの事を・・・
忠信の見せ場!
片肌脱いで戦のあらましを踊ります
色々あって・・・
〜 幕 〜
二人は吉野山を後にする・・・
歌舞伎では、この後「早見の藤太」が家来と共に現れ二人を捕らえようと・・・
また、
舞踊では、静様が一人先に花道へ引っ込んだ後に「花四天」が現れ、忠信は狐の姿に・・・
となります。
が、
この折りは、二人で舞台で終わる型にて行いました。
※ 写真の角度やポーズ(決まりの場!でなかったり…)が・・・
ではありますが、あくまでも素人写真の添付。
ですので・・・
しかも、プリントした写真をスキャンして・・・と成るので、
かなり画質が・・・
これは、どうしようも有りませんね
また、
今回…『吉野山』は、写真が少なめですし、
静御前様&後見さんのお顔を隠していますが、
特にご許可を頂いておりませんので・・・ご理解下さりませ。
(忠信は、ほぼ静御前様と一緒なのです )
と、余りに今ひとつの写真しか無かったので、
最後にもう一枚・・・
玄人写真での「忠信」見せ場の場面を!
『吉野山』・・・
日本舞踊は勿論の事、歌舞伎でも超有名な皆様ご存知の踊りですね。
立役をなさる方なら、一度は踊ってみたい「忠信」ではないでしょうか。
私は、これよりズッと以前に「静御前」は踊らせて頂いておりました。
その折には「忠信」を踊れるとは・・・夢にも思っておらずの憧れの「忠信」
そんな想いから十数年・・・
念願の「忠信」のお許しを頂けました。
何事にもチャンス!と云うものが有ると思います。
この折りは「静御前」を踊られた後輩ちゃんが、殊の外「静御前」が大好きで、
いつかは踊りたい・・・
と常々聞いておりました。
この舞台の一年程前に「初顔合わせ」での組物を踊る事があり・・・
そんな具合もあり、私が「忠信」を踊りたくなっていたので、
『吉野山』を・・・「静御前」を踊られませんか?
と伺った所、
是非!!
と、即答での嬉しき御言葉を頂きました。
そして、先生にお伺いしましたら快くお許しを頂けて・・・の舞台挑戦が実現したのです。
お稽古は、
始めからズッと二人でのお稽古をしてまいりました。
私としては「静御前」を以前に踊っているので、曲は入っておりますし、やり取りも分かって・・・
と思っている「つもり」でしたが、
やはり…当然の事、
見るのとやるのは違う!!
訳で、
「立役」のソレ・・・から御指導の嵐でした。
一生懸命…ひたすら一生懸命「力強く」踊っていました。
が、
稽古の始めの頃に何度となく御注意されたのが、
〜相手は姫様よ! 御主人様よ!
忠信は家来。 そんなに偉そうにしない事!〜
でした。
それは重々分かっていました。
自身では偉そうにしているつもりは、コレっぽっちも無かった・・・つもりです。
が、
只只…一生懸命に力強く「立役」であれ・・・と踊っていると、
「家来」である様に見えなくなっていたのだと思います。
少しでも力を抜くと、
〜弱いよ!
立役!しかも「忠信」なのよ。〜
と・・・
何とも未熟な事だったでしょうか
それでも、お稽古を積むにつれ、その様な御注意は無くなってきました。
やはり最初は「つもり」だったのです。
そして、お稽古を積む事で幾らかは「忠信」らしくなっていった様です。
嬉しい事も有りました!
下浚いの折りに、踊り終わって「刀」を小道具さんにお返しする時、
小道具の親方さん…
〜 あんた良いよ! 恰好良いよ!〜
と嬉しき御言葉を頂けました。
勿論、御世辞であろうし、まだまだ若造…カリメロ君 ですので、
本番への元気づけに仰って下さったのだと思います。
が、それでも何でも嬉しかった一言でした。
そして、
舞台後には、
この折り見て下さっていた某超有名歌舞伎役者の奥様(…現某超有名歌舞伎役者の母上)より、
〜 良い『吉野山』でしたね 〜
との御言葉を頂きました。
個人情報となりますので御名前は控えさせて頂きますが、
この様な方に お褒めの御言葉を頂けた事は、
例え御世辞であれ、とっても嬉しかった・・・良き想い出です。
残念な事は・・・
いつもの如しで、やり直したい事は山の様です。
その中でも、
お扇子を片手でパッと開く
が、舞台では行わなかった・・・事が一番のやり直したき事です。
実は、
下浚いの折りに、一回目の「パッと開く」が上手くいかずでした。
(忠信の踊りには、何回もあるのです)
二回目・三回目・・・になりましたら、どうにか出来たのですが、
お扇子が堅いのです。
この時分は、まだ余り巧くなく苦手意識のある振り…お扇子の扱いで・・・
自前のお扇子では、どうにか出来ていた・・・程度でした。
先生からも、
〜 上手くいかない様なら両手にしなさいね。
片手でなくては駄目な訳では無いのよ。
それに、無理にやって「自分」になってしまったら舞台が駄目になるからね。〜
と・・・
その事は以前より言われていた事なので、重々分かっておりました。
でも「パッと」が恰好良い訳で・・・
一度目は駄目だったけれど、二度目からは出来たから・・・とも思ったりしましたが、
万が一 出来なかったら・・・との思いの方が強く、
ここはスッパリ諦めよう!
と心に思い(…やりたい思いは心の奥底に沈め)
舞台では始めから「両手で開く」の型にて踊りました。
(…この時は下浚いが本番の前日でしたので、
帰るや否や、両手で・・・の振りをひたすら練習致しておりました )
無理な想いかもしれませんが、
いつか・・・改めての「忠信」に挑戦してみたい!
です。
・・・・・・
写真が少ないと思ったら、
長々と想いを書き過ぎてしまいました
否否、書きたき想いは…想い出は まだまだ有りまするが、
この辺に致します。
長い事 読んで下さり有り難うございました
と云う事で、
超・超お久し振りの…二年以上振りの
過去の舞台を振り返って・・・!
です。
前回の「振り返り舞台」は、
『長唄 新曲浦島』/2002年春…の舞台
でした。
今回の振り返りは・・・
↑ より、一年半前に成る
2000年 秋の舞台より
『清元:義太夫 吉野山』
「忠信」
平成十二年 霜月三日
幕開きは花道より「静御前」のお出ましです。
そして、吉野山に着き後に控えている「忠信」が来ないので、
鼓をついて待ちますと・・・暗転に!
花道の七三より「忠信」の登場です。
(…本来は「すっぽん」より上がって来るのですが、
この時の舞台での花道は本花道ではなかったので、
暗闇の中、花道の七三まで行き…からのスポットがあたり踊り始めます)
ひとしきり踊りましたら舞台へ・・・
そして、台詞有りでの
「静御前」と「忠信」は対面致します。
・・・
とありましての、
吉野山(満開の桜…)を見渡している二人
一枚目の写真(忠信)は ↑ と同じ場面です
月を見る二人
超有名な場面です!
兄継信の事を・・・
静様は片肌脱いで踊られた後・・・
八島の戦いの事を・・・
忠信の見せ場!
片肌脱いで戦のあらましを踊ります
色々あって・・・
〜 幕 〜
二人は吉野山を後にする・・・
歌舞伎では、この後「早見の藤太」が家来と共に現れ二人を捕らえようと・・・
また、
舞踊では、静様が一人先に花道へ引っ込んだ後に「花四天」が現れ、忠信は狐の姿に・・・
となります。
が、
この折りは、二人で舞台で終わる型にて行いました。
※ 写真の角度やポーズ(決まりの場!でなかったり…)が・・・
ではありますが、あくまでも素人写真の添付。
ですので・・・
しかも、プリントした写真をスキャンして・・・と成るので、
かなり画質が・・・
これは、どうしようも有りませんね
また、
今回…『吉野山』は、写真が少なめですし、
静御前様&後見さんのお顔を隠していますが、
特にご許可を頂いておりませんので・・・ご理解下さりませ。
(忠信は、ほぼ静御前様と一緒なのです )
と、余りに今ひとつの写真しか無かったので、
最後にもう一枚・・・
玄人写真での「忠信」見せ場の場面を!
『吉野山』・・・
日本舞踊は勿論の事、歌舞伎でも超有名な皆様ご存知の踊りですね。
立役をなさる方なら、一度は踊ってみたい「忠信」ではないでしょうか。
私は、これよりズッと以前に「静御前」は踊らせて頂いておりました。
その折には「忠信」を踊れるとは・・・夢にも思っておらずの憧れの「忠信」
そんな想いから十数年・・・
念願の「忠信」のお許しを頂けました。
何事にもチャンス!と云うものが有ると思います。
この折りは「静御前」を踊られた後輩ちゃんが、殊の外「静御前」が大好きで、
いつかは踊りたい・・・
と常々聞いておりました。
この舞台の一年程前に「初顔合わせ」での組物を踊る事があり・・・
そんな具合もあり、私が「忠信」を踊りたくなっていたので、
『吉野山』を・・・「静御前」を踊られませんか?
と伺った所、
是非!!
と、即答での嬉しき御言葉を頂きました。
そして、先生にお伺いしましたら快くお許しを頂けて・・・の舞台挑戦が実現したのです。
お稽古は、
始めからズッと二人でのお稽古をしてまいりました。
私としては「静御前」を以前に踊っているので、曲は入っておりますし、やり取りも分かって・・・
と思っている「つもり」でしたが、
やはり…当然の事、
見るのとやるのは違う!!
訳で、
「立役」のソレ・・・から御指導の嵐でした。
一生懸命…ひたすら一生懸命「力強く」踊っていました。
が、
稽古の始めの頃に何度となく御注意されたのが、
〜相手は姫様よ! 御主人様よ!
忠信は家来。 そんなに偉そうにしない事!〜
でした。
それは重々分かっていました。
自身では偉そうにしているつもりは、コレっぽっちも無かった・・・つもりです。
が、
只只…一生懸命に力強く「立役」であれ・・・と踊っていると、
「家来」である様に見えなくなっていたのだと思います。
少しでも力を抜くと、
〜弱いよ!
立役!しかも「忠信」なのよ。〜
と・・・
何とも未熟な事だったでしょうか
それでも、お稽古を積むにつれ、その様な御注意は無くなってきました。
やはり最初は「つもり」だったのです。
そして、お稽古を積む事で幾らかは「忠信」らしくなっていった様です。
嬉しい事も有りました!
下浚いの折りに、踊り終わって「刀」を小道具さんにお返しする時、
小道具の親方さん…
〜 あんた良いよ! 恰好良いよ!〜
と嬉しき御言葉を頂けました。
勿論、御世辞であろうし、まだまだ若造…カリメロ君 ですので、
本番への元気づけに仰って下さったのだと思います。
が、それでも何でも嬉しかった一言でした。
そして、
舞台後には、
この折り見て下さっていた某超有名歌舞伎役者の奥様(…現某超有名歌舞伎役者の母上)より、
〜 良い『吉野山』でしたね 〜
との御言葉を頂きました。
個人情報となりますので御名前は控えさせて頂きますが、
この様な方に お褒めの御言葉を頂けた事は、
例え御世辞であれ、とっても嬉しかった・・・良き想い出です。
残念な事は・・・
いつもの如しで、やり直したい事は山の様です。
その中でも、
お扇子を片手でパッと開く
が、舞台では行わなかった・・・事が一番のやり直したき事です。
実は、
下浚いの折りに、一回目の「パッと開く」が上手くいかずでした。
(忠信の踊りには、何回もあるのです)
二回目・三回目・・・になりましたら、どうにか出来たのですが、
お扇子が堅いのです。
この時分は、まだ余り巧くなく苦手意識のある振り…お扇子の扱いで・・・
自前のお扇子では、どうにか出来ていた・・・程度でした。
先生からも、
〜 上手くいかない様なら両手にしなさいね。
片手でなくては駄目な訳では無いのよ。
それに、無理にやって「自分」になってしまったら舞台が駄目になるからね。〜
と・・・
その事は以前より言われていた事なので、重々分かっておりました。
でも「パッと」が恰好良い訳で・・・
一度目は駄目だったけれど、二度目からは出来たから・・・とも思ったりしましたが、
万が一 出来なかったら・・・との思いの方が強く、
ここはスッパリ諦めよう!
と心に思い(…やりたい思いは心の奥底に沈め)
舞台では始めから「両手で開く」の型にて踊りました。
(…この時は下浚いが本番の前日でしたので、
帰るや否や、両手で・・・の振りをひたすら練習致しておりました )
無理な想いかもしれませんが、
いつか・・・改めての「忠信」に挑戦してみたい!
です。
・・・・・・
写真が少ないと思ったら、
長々と想いを書き過ぎてしまいました
否否、書きたき想いは…想い出は まだまだ有りまするが、
この辺に致します。
長い事 読んで下さり有り難うございました